「コロナ離婚」という言葉をかなり耳にするようになった。
この前読んだ新聞(朝日新聞4月14日夕刊)によると、そういう現象が実際にそうとう問題になりつつあるという。
要は、コロナウイルスの感染拡大にともない、外出自粛の習慣が定着してくると、夫婦とも家に閉じこもる時間が長くなる。
それが、お互いのストレスになる。
そのため、言い争いやケンカが生じるようになる。
そして、最後は、「もう一緒に住めない!」と奥さんがマジギレになる。
…… ということらしい。
しかし、「コロナショック」を持ち出すまでもなく、もともと現代の夫婦の繋がりそのものが脆弱だったという意見もある。
「コミュニケーション不全」
つまり、夫婦の言葉の交流がとても貧弱だったということが、ここにきて露呈したともいえるのだ。
昔、あるテレビ番組で、
「現代の夫婦の間には、会話がほんとうに成り立っているのか?」
という実験を行ったことがあった。
街を歩いていた何組かの夫婦を実際にスタジオに連れ込み、ある一部のテーマだけを除いて、いったい何分会話が続くのかということを実験したのである。
この実験のカギは、 “ある一部のテーマを除いて” というところにあった。
それは、「子供と実家の話題」だったのである。
すると、「子供」と「実家」の話題を除くと、ほとんどの夫婦は会話が10分ももたないことが分かった。
その結果を見て、番組に出演していたレギュラーコメンテーターたちがしゃべり始めた。
ある中年の男性コメンテーターはいう。
「夫婦の会話が続かないことはウチでもよくある。だって、妻の話はまどろっこしいんですよ。何が結論なのかすぐに分からない。どうでもいいような人のうわさ話が延々と続く。
だから、『ところで言いたいことは?』 と質問すると、もう話が別のテーマに移っている。
奥さん方が旦那に話しかけるときは、まず結論がはっきり出るような会話を選んでほしい」
それに対して、女性コメンテーターが反論を始めた。
「女は話しながら筋立てを構成していくんですよ。女同士はそのプロセスとスピード感に慣れているから、その方が会話が盛り上がるわけ。
なのに、男性はいちいち “論理” だの “結論” などとこだわるから、話がブツブツ切れてしまう。
そもそも女は、自分の話を聞いてくれるだけで、ストレスが解消できるんですよ。
女のうわさ話とか愚痴というのは、実はストレスを解消したいときのSOSなの。
女同士ならそれが分かるけれど、男にはそれが理解できない。
そういう男に接したとき、たとえ夫であろうとも、優しさの欠如を感じてしまうんです。
夫婦というのは、“無駄な会話” が許される関係のことをいうのではないかしら。
だから、妻の会話を “無駄だ” と一言で切り捨てる夫からは、やがて気持ちが離れていくと思う」
なるほど。
ここには、熟年離婚に傾いていく妻の気持ちが簡潔にまとめられているような気もする。
しかし、これは、「夫婦」に限ったことではない。
広く「男と女」の問題と言い換えてもいいだろう。
なぜ、男と女の会話には、それぞれ別の原理が働いているのか?
これに関して、精神科医の斎藤環さんが、『関係する女、所有する男』(講談社現代新書)という本のなかで面白いことをいっている。
まず、男というのは、「(女を)所有すること」に意味を求める動物なのだという。
それに対して、女は「(男と)関係すること」を求める動物だとか。
で、女を所有することに意味を求める男は、常に、「対象(女)を視覚化し、言語化し、自分が支配できるような形に概念化し、自分の意のままに操作しようとする」。
それに対して女性は、
「相手と心を通わせるためだけに言葉を使用する。そこには相手を所有しようという気持ちはない」
で、そこから得られる教訓を、斎藤氏は次のようにまとめる。
男が会話するのは「情報伝達」が目的である。
だから男は、いつも会話の結論を急ぐ。
いっぽう女は、結論を出すことよりも、「会話そのもの」を楽しむ。
齋藤さんは続けていう。
「すぐに結論を求める男の会話は、女性からみれば殺伐としたものに思えるはずです。
だから男性は、女性の愚痴に、『早く結論を出せ』などと要求してはいけません。
黙って聞いてあげればいいのです。
なぜなら女性の(会話の)目的は、『結論』を明確にすることではなく、『話を聞いてもらう』ことだからです。
そして、言うことだけ言ってしまえば、女性はみな気分がすっきりして、パートナーと心地よい関係を結ぼうと思い始めるのです。
なるほどね。
このさい旦那さんは、夫婦の会話の成り立ちを勉強し直すのもいいかもしれない。
だって、せっかく長く連れ添った夫婦なんだから、「話していて楽しい」ってことは、やはり大事なことだと思うのだ。