NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』は、最近の大河としては珍しく面白い作品だと思っている。
脚本が悪くない。
演出もいい。
キャストも、(ごく一部を除いては、)いい役者をそろえたと思っている。
だから話しのテンポが小気味よく、予想外の展開に度肝を抜かれることもある。
そんな大河というのは、私の経験でいえば、1965年の『太閤記』、1973年の『国盗り物語』、2010年の『龍馬伝』、2016年の『真田丸』ぐらいしかなく、日曜日の放映が待ち遠しくなるような出来映えなのだ。
…… が、『麒麟がくる』には、致命的なことが一つある。
ごく一部のキャストが、ドラマ全体の仕上がりを損ねていることだ。
それは誰かといえば、染谷将太の演じる織田信長(写真下)である。
誤解がないように先に言っておくが、役者としての染谷将太の実力は相当なものだと思う。
彼は、さりげない表情のなかに “狂気” を宿す演技がうまく、さらに、その表情のままアンニュイを漂わせることもできる。
おそらく、役者として「いい映画・いいドラマ」の情報ストックをたくさん持っており、絶えず勉強している人なのだろう。
まだ27歳というから、今後は、日本の映画界・ドラマ界を背負っていく名俳優になっていくことは間違いない。
だが、「信長」ではない。
これは、まったくヴィジュアルだけにこだわったものすごく私的な感想だが、信長というのは、「長身・痩躯」でなければならない。
すっくと立ったとき、臣下を睥睨(へいげい)するような背の高さがまず確保されており、かつ痩せていなければならない。
“染谷信長” は、この点で(ヴィジュアル的に)、「信長」になり切れていない。
染谷将太は、身長が172cmしかないので、182cmの長谷川博己演じる明智光秀と向かい合うと、光秀に見下ろされてしまう。
これは致命的である。
光秀に見下ろされた段階で、主君としての信長の優位性は画面上から消える。
いったいNHKの制作陣は何を考えたのだろう。
「今までとはまったく違った信長像を創造してみせる」というNHK側の意欲も分からないではない。
しかし、「長身・痩躯で気難しい」という信長像は、すでに日本人の感性に沁み込んでおり、いわばもう “文化” になっている。
だから、「丸顔・短躯」の “染谷信長” を見ている限り、私などは、「これはもう我々の知っている歴史とは違うものだ」と思ってしまう。
実際の信長の身長がどれくらいだったのか。
それはあまり知られていない。
▼ 誰もが知っている信長の肖像画
ルイス・フロイスなどが書き残した資料によると、信長は、
「中くらいの背丈で華奢。髭は少なく、……」
とあるから、痩せてはいるが、背がそれほど高いというわけでもなさそうだ。
しかし、“長身の信長” というイメージは、実は、NHKの昔の大河ドラマで作られてしまったものなのだ。
1965年の『太閤記』で、高橋幸治(写真下)の演じた信長が、まず長身・痩躯であった。
高橋幸治の実際の身長は明らかになっていないが、残された映像から推測するかぎり、180cm程度の上背があったように思う。
それから8年後の大河『国盗り物語』で信長を演じた高橋英樹。
こちらは、181cmという身長が公表されている。
「信長は長身・痩躯である」
というイメージは、おそらくこの二代続いた “二人の信長” によって固定されたものだと思う。
一度こういうビジュアル・イメージが確立されると、それはやがて「日本人の文化」となり、万人の脳裏に、「痩せて背の高い」信長像が定着することになる。
私はそれでいいと思っている。
「今までになかった信長像を披露する」と、いくらNHKが意気込んでも、丸顔・短躯の信長など見たくはない。
むしろ、ステレオタイプ化された「長身の信長」を見たい。
そして、そういう代わり映えのしない信長の “まったく見たこともない一面” こそ見たいのだ。
だから、体型的に「信長」が似合うのであれば、演技力に乏しかろうが、無名の新人だろうが、どんな役者でもいいと思っている。
実際の信長も、「であるか」と「是非に及ばず」の二言しか言わない大名だったらしいので(笑)、セリフ回しが下手な役者でも務まるはずだ。
それよりも大事なのは姿・形。
セリフ回しよりも、立ち居姿が美しいことが、何よりも信長を演じる役者に求められるものだと思っている。
NHKの大河プロデューサーは、そこのところで、かなり挑発的である。
どういう人がキャスティングの権限を握っているのかしらないが、彼は、われわれのようなオールド大河ファンを目の敵(かたき)にしているとしか思えない。
その人は、きっとこう思っているに違いない。
「染谷信長に違和感を感じているのは、大昔の大河になじんでしまった老人たちにすぎない。
彼らの感性はひからびている。
だから、染谷将太の新しい信長像についていけないのだ」
もしそう思っているとしたら、そりゃ間違いだ。
大河をいちばん楽しみにしているのは誰だ?
それは、少年時代から大河ドラマに胸をときめかせてきた60代から70代ぐらいの(私のような)老人たちである。
その人間たちの心に根を下した人物像を壊すことはそうとうなリスクを伴う。
成功した場合はいいが、その確率は低い。
では、私が理想とする「信長役者」は誰かというと、1位と2位は、すでにここに名前を出した高橋幸治と高橋英樹である。
大河ドラマに信長に限っていえば、近年では2003年の『利家とまつ』で信長を演じた反町隆史(写真下)。
あとは、2014年の『軍師官兵衛』に登場した江口洋介(写真下)。
この2人は合格点だ。
NHK大河以外の信長役で素晴らしかったのは、黒澤明が1980年に制作した『影武者』で信長を演じた隆大介(写真下)。
何ものも信じないという心を、そのまま投影したような疑り深い表情。
物憂さを漂わせた、暗い目つき。
海外のシェークスピア劇に登場しても存在感を保つような役作りだった。
これ以外にも、ごく個人的に「信長」をやらせてみたいという役者は多い。
その1人に、深水元基という俳優がいる。
まだ主役を張るようなところまで認められていないが、身長187cmという体格が生み出す存在感は圧倒的だ。
もうそれだけで、歴史上の信長の威圧感というものが表現できる。
▼ NHKの大河ドラマ『真田丸』で福島正則の役を演じた深水元基。
この深水元基の迫力がたっぷり堪能できる映画が、園子温監督の『新宿スワン1/2』(2015年/2017年)だった。
深水はこの映画で、暴力団的な怖さを発揮する「関玄介」(写真下)という役で登場する。
そのときの目に狂気をはらんだ表情は、映画を見終わっても、しばらく脳裏から消え去ることがなかった。
やっぱり、信長を演じるには、こういう狂気が必要だと思うのだ。
染谷将太にこの迫力が宿るだろうか?
今後木下藤吉郎(羽柴秀吉)や成人した徳川家康が登場したとき、はたして “染谷信長” は戦国武将として互角に立ち向かえるのだろうか?
前回の『麒麟がくる』では、ついにその「藤吉郎」を演じる佐々木蔵之介が登場した。
「あぁあぁ … 」とため息をついてしまった。
佐々木蔵之介がいい役者であることは間違いない。
しかし、役者としての佐々木は、年齢が52歳である。
しかも、身長が182cmもある。
実際の信長に見出された頃の藤吉郎は、信長とほぼ同年齢(信長より3歳年下)であったし、背は信長より低かったはず。
27歳で172cmの “染谷信長” は、この25歳も年上で、しかも10cmも背の高い家臣の藤吉郎とどう向かい合うのか。
背の低い信長が、自分を見下ろすような藤吉郎を仰いで、
「サル!」
とか呼びかけても、きっと違和感が生じるはずだ。
しかし、考えてみると、NHKでこのキャスティングを考えた人は、あえてそこを狙ったのかもしれない。
「新しい人物像を創造して、感性のひからびたオールド大河ファンを驚かせてやろう」と。
確かに驚いたよ。
もちろん、いい意味じゃなくね。
問題は、コロナ騒動で、撮影が途中で止まっているとか。
オリンピックも延期になったんだから、『麒麟がくる』も年をまたいで続けたらどうか。