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占い師の裏話 

 自分は占いを信じるタイプか?
 そう自分自身に問うてみると、若いときは、けっこう占いの結果にこだわる人間だった。

 

 受験の失敗、失恋
 先行きに暗雲が立ち込めてくるようなときは、雑誌の片隅に掲載された星占いの結果ですら、ものすごく重要なメッセージに思っていた。
 そのようなものを意外と信じやすい迷信深い若造だったのだ。

 

 しかし、20代になったばかりの頃か。
 占いというものに対する考え方が変わった。
 占い師の友達ができたからだ。

 

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 まだ、やくざな学生だった時代。
 小雨が宙を舞う東京・吉祥寺の街角で、私は、酔っ払いのオヤジに絡まれた一人の占い師を見つけた。

 

 「バカヤロー! そんなことを聞きたくて金を払ったんじゃねぇや。いい加減なことをホザいていると、てめぇの首根っこをへし折ってやるぞ」

 

 酔っ払いオヤジが、その占い師に向かって吼えている。
 オヤジの罵声を聞き流しているのは、若い男の占い師だった。

 

 ジーンズにTシャツ。
 髪は長髪。
 占い師の格好は、その様子を立ったまま見つめている私とほとんど変わらない。
 年齢的にも似たり寄ったり。

 

 しかし、その若い占い師は、私などが持ち合わせないような豪胆さで、今にも拳を振り上げそうな中年男の罵声をクールな視線で受け止めていた。

 

 「もう一度やり直せってんだよ。このインチキ野郎」
 「何度やっても同じことです。天が一度定めた運命は、私の力でひっくり返すなどできません」

 

 そのやり取りを野次馬していた私は、この占い師を助けてやらねばと思った。

 

 で、占い師とオヤジの間に割って入り、
 「ねぇ、俺の手相を見てよ」
 と、占い師に向かって手のひらを突き出した。

 

 「てめぇ誰だ? このやろー」
 と、しばらくオヤジは騒いでいたが、しょせん酔っ払い。
 いつの間にか、どこかに消えた。

 

 雨のしずくが垂れる髪をかき分けながら、私と占い師は目を合わせた。

 「何が知りたいの?」
 その冷たい目に、ぞっとした。

 

 助けてやったのだから、もう少しフレンドリーな笑顔を見せてくれたってよさそうなのに、彼の眼は、試験管の中で起こる薬物の化学変化を待つように、何の表情も浮かべない。

 

 何が知りたい

 

 私にはその用意がなかったのである。

 

 「 将来」
 かろうじて、その言葉を口にした。

 

 「手を出して」
 無表情に私の手を引き寄せる仕草が、素っ気ないほど事務的だ。

 

 彼は手のひらを10秒ほど見つめてから、目をつぶり、また10秒ほど経って、カッと見開いた。

 

 「あなたは、二つの道で活躍できる人だね」

 

 「どうしてそれが分かる?」

 

 「頭脳線がくっきりと二つに分かれている」

 

 「で、その二つの道とは?」

 

 「それは分からない。ただ、たいていの人間は才能に恵まれたとしても、その才能を一つの分野でしか発揮できないまま一生を終える。でも、あなたは、二つの分野でその才能を使うことができる」

 

 すげぇことを言い出す男だ、と思った。

 「しかし
 と、彼は言葉を継いだ。

 

 「そのことは、あなたを一生苦しめることにもなる。ひとつの道に進んだとき、必ず捨てた方の道に未練が残る。
 その未練にほだされて、捨てたはずの道を模索すると、今度は元の道が恋しくなる。一生その繰り返し。だから、大成するとは限らない」

 

 ふぅん。
 手のひらが汗ばむような緊張を覚えた。

 

 自分の運命というものを、はじめて直視した瞬間だった。
 静かに語る男の背後に、オーラが立ち昇っているように思えた。

 

 
 で、そいつと友だちになったのである。
 そして、飲み屋なんかにも一緒に行くようになった。

 

 「占いって、どうやって勉強するの?」
 「どんなことを尋ねてくる人が多いの?」
 「今まで会った人でさぁ、死相ってのが表れた人いた?」

 

 最初のうち彼は、私の無邪気な質問におごそかなもったいぶった解説を加えていたが、ある日、こんなことを言い出した。

 

 …… 占いを商売にしようと思ったら、占いの勉強だけでは済まないんだよ。人間観察力とか、心理分析の力も当然必要になってくるのね。


 だけど、最後は哲学なの。
 社会がいくら複雑になっても、人間の悩みなんて、ソクラテスプラトンの時代から変わらないんだよ。

 

 シャカ、孔子、キリスト、ソクラテス
 この4人の共通点って知ってる?

 

 彼は、居酒屋のテーブルに空になったお銚子を倒し、こんなことを言い出した。

 

 シャカも、孔子も、キリストも、ソクラテスも、みんなものを書かなかったのね。彼らは本を残さなかったんだよ。

 

 いま残っている教典というのは、全部彼らの弟子たちが編んだものなのね。
 つまり、彼らは弟子たちとのダイアローグ(対話)を深めることで、真理を解き明かしていった人たちなんだよ。

 

 実は、占いも同じなの。

 

 占いってのは相手が黙っていると、実はできないものなんだよ。
 「黙って座ればピタリと当たる」なんてウソ。

 

 一言でもいいから、相手にしゃべらせることが大事なのね。
 で、相手が何を考えているのか探るわけ。
 それを手がかりに、対話(ダイアローグ)を始めるわけね。

 

 そのプロセスで、相手が求めている答が初めて見えてくるわけさ。
 
 その答えは、必ずしも、そのとき相手が望んだものではないかもしれない。
 だけど、もしかしたら、それを機会に相手がまったく新しい考え方を手に入れるかもしれない。
 そのとき、そのお客は哲学したわけさ。

 

 それを聞いて、私は尋ねた。


 「でも、初めて会ったとき、ほとんど対話なんかしなかったじゃない」

 

 「いやぁ、あなたがあの酔っ払いを追い払ったとき、もう対話が始まっていたのさ。 あなたの正義感、あなたの好奇心、あなたの純真さ。それがあの行動だけで分かったもの」

 
 彼の占いで、私ははじめて自分の「運命」と出会ったのだが、今度は、はじめて「哲学」と出会うことになった。

 
 この占い師から、私は二度教えられたことになる。

 

 しかし、それからプツリと、彼は吉祥寺の町から姿を消した。
 友だちだと思っていたのに、ふと考えると、私は、彼の本名も連絡先も知らないことに気がついた。

 

 落ち合う場所は、彼が占いのテーブルを広げていた街角だったから、そこに行けば会えると思っていたのだ。

 

 
 彼の言葉は、いまだに脳裏に深く刻み込まれているが、肝心な占いだけは当たらなかった。

 

 私には、二つの才能を発揮するなどという能力もなく、そのために、その二つの才能の間で悩むなんてこともなかったからである。