アートと文藝のCafe

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最後の義理チョコ

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

ヨタ話

 
 「あら、まだ残っていたから、〇〇君にもあげるわ」
 と、余った義理チョコを押し付けるように、彼女は俺の手のひらに小さなチョコレートの包みを載せ、教室の扉を開けて、廊下に去って行った。
 こちらの視線すら確認することもなく。

 

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 中学生最後のバレンタインデー。
 俺は大学付きの付属高校に青息吐息でようやく受かり、彼女は名門大学への進学校と呼び名の高い公立校にさっさと進学を決めていた。
 「才色兼備」
 という言葉を自分は使ったことはなかったけれど、大人たちなら、ためらいもなく、その言葉で修飾してしまうような女子中学生だった。

 でも、俺は彼女を憎んでいた。
 ある昼下がりの休み時間のことだ。
 彼女の机の周りには、女王にかしずく女官たちのような取り巻きの女たちがいつも群がっていた。

 その場を通り過ぎようとした俺のそばで、女たちの会話が止まった。
 一瞬だけ、気まずい空気が流れた。
 何気なく振り向いた視線の真ん中に、女官たちを従えた彼女の顔があった。
 俺に笑いかけたようにも見えた。

 そんなはずがあるわけないと、彼女の笑いを無視して通り過ぎようとしたつもりだが、わずかの間、身体が硬直してしまった。
 丸く開いた彼女の唇が、輪をつくっていた。
 そこから言葉がこぼれたような気がした。

 音は聞こえなかったが、唇の形が何を言おうとしたのか、俺にはすぐに分かった。
 「ば~か」
 という言葉を浮かべたまま、その唇は開いていたのだ。
 
 俺は恥ずかしさと怒りで顔を紅潮させたまま、走り抜けるようにその場を去った。
 「アハハハハ !」
 という女たちの残酷な笑い声が、俺の背中に浴びせられたような気がした。

 

 そんな女からもらった余り物の義理チョコ。
 何のマネか、手作りの赤い紙でラッピングされている。
 丁寧に包まれた紙の上には、金色のリボンも。
 勉強する片手間にそんなことをしている彼女が憎たらしく思えた。

 投げ捨ててしまえばいいんだ … と思いつつ、なぜか愛おしくて、ポケットの奥にそっと潜り込ませる。

 ポケットの奥に忍ばせた手で、チョコレートの包みをそっと撫でる。
 何か、手紙が入っているようだ。
 もう一度、チョコレートを取り出し、廊下の陰まで小走りに進んで、リボンをそっと解いてみる。
 
 中から4~5センチ角の小さな手紙が出てきた。
 虫眼鏡でもなければ読めないほどの、小さな文字がぎっしり詰まっていた。

 

 「〇〇君、進学おめでとう。もう別々の世界に行くね。最後のバレンタインデーになるけど、〇〇君のおかげで、このクラスは楽しかったよ。
 あの日、私が言葉に出さないまま何を言いたかったのか、伝わった? “好きだよ” といったんだよ。私、それで周りの女の子にからかわれたの。でも本気だったよ。ではね」

 

 中学時代の最大の衝撃だった。
 あり得ないことが起こったという気分だった。
 でも、その後、卒業するまで、俺は彼女に話しかけることができなかったのだ。
 何をどう話せばいいのか、まったく見当もつかなかった。
 話しかける状況を想像するだけで、顔が紅潮し、言葉が引きつりそうだった。
 結局、視線を合わせずに無視する方が気が楽だった。

 
 そんな俺の気分が伝わったのか、彼女も、もう俺に対して親し気な表情を向けることもなく、視線すら合わせなくなってしまった。

 お~い、みんな教えてくれ。
 初恋って、そんなもん?
 その日から数えて、もう50年以上経つ。