アートと文藝のCafe

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“オネェ系” の店でモテるコツ    

 “オネェ系” というのか、昔は「オカマ」っていったんだけど、あの人たちって、面白いよね。

 ときどき顔を出す居酒屋で、カシラを塩で焼いてもらって遅い夕食をとっていたら、隣りのオカマバーのママさんがふらりと入ってきた。
 
 「マスター、やきそば! お客が来ないんで、鏡を見ながら自分を口説いていたら、フラれちゃったわよ。
 あんな “ブス” にフラれるなんて、私も落ちたものよ」
 
 はるな愛というよりは、マツコ・デラックスに近いそのママさんのひと言で、店内の雰囲気が一変した。
 
 独り者の老人たちしかいないどんよりとした店だったのに、オカマの《彼女》が入店しただけで、とたんに、マフィアや芸人や、不倫カップルがひしめく妖しくも華やかなナイトクラブのように見えてきたのだから不思議である。

 

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 あの人たちが持っている「空気を変える力」というのは、どこから出てくるのだろう。

 

 テレビを見ていても、マツコ・デラックス、IKKO、ミッツ・マングローブ美輪明宏あたりが登場するだけで、場の空気がさぁ~っと変化する。

 

 それは、《彼女》たちのしゃべりが、たとえ「毒舌」であったとしても、そこに冷徹な真実が隠されているという説得力に裏打ちされているからだ。
 
 その説得力というのは、自分自身を自虐ネタとして使える、ふてぶてしいサービス精神から生まれてくる。
 
 《彼女》たちの会話が面白いのは、自分自身をピエロ化して、「自分を笑ってもらう」精神に徹しているからだ。

 

 だから、オカマバーに行っても、大半のお客は、“バカで間抜けな” そのオカマを、遠慮なく笑い飛ばす快感を与えられる。
 
 しかし、調子に乗ると怖い。
 《彼女》たちは、自分自身を冷静に分析する視線を、今度はお客の方に向ける。
 
 その “取り引き” のタイミングを飲み込めない客は、《彼女》たちから辛らつな皮肉を浴びることになる。
 オカマバーは「人間道場」だな と、つくづく思う。

 

 

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 昔、オカマバーで、給料の半分を一晩で使ってしまったことがある。
 その月の後半は、ほとんど水だけを飲んで寝ていたが、それでも後悔しなかった。
 
 池袋の場末のスナック街を一人でふらついていたとき、妖しげなバーの前にたたずんでいた不二家のペコちゃんみたいな女の子に声かけられた。
 「1時間2千円でいいから、遊んでいかない?」
 声は、男そのものだった。

 

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 そこは、剥げかけたカウンターの前に、ひび割れたスツールが6脚だけ並んだ粗末な店だった。
 真ん中のスツールに腰掛けた私は、たちまちのうちに、ドサ回りの田舎芝居のような一団に取り囲まれた。

 

 ペコちゃんとママさんは “美人系” 。
 残りの2人は “怪物系” 。

 

 《彼女》たちの乾杯の音頭が店内に鳴り響き、たちまちのうちに、店は、リオのカーニバルのような喧騒に包まれた。
 
 “異次元” の世界に引きずり込まれるのは、あっという間だった。
 気づくと、すでに私は、飛び込みでこの店を訪れた「芸能スカウト」の役を振り当てられていたのだ。

 

 ママさんがいう。
 「あなたさぁ、芸能界の雰囲気を知っている感じの人よね、ひょっとして、新人タレントを発掘しているスカウトマンじゃない?」
 
 もちろん《彼女》たちだって、本気でそう思っているわけではない。
 話題をスタートさせるための、“空気” をつくっただけなのだ。
 
 「おいおい、よせよ。今日は仕事を忘れて、飲みに来ただけなんだから。俺が芸能スカウトマンだとしても、今日は仕事をしないよ」
 
 冗談めかしてそう答えただけなのに、それで、《彼女》たちの、今晩のお客のからかい方が決まったようだ。
 つまり、店全体が、タレントになりたいためにオーディションを受ける人間が集まる疑似イベントの場となった。
  
 そうなると、私の役はオーディションの審査委員だ。

 「だめだめ。そこは高音部がヴィブラートしないとだめ。全盛期の松田聖子でも勉強しろよ」
 と、《彼女》たちがうたう歌に、私が “ダメ出し” をする。

 

 「じゃ、先生ひとつ歌ってよ」 
 と、今度は《彼女》たちが迫る。

 そこでテキトーな歌をうたう。

 

 「すごい! さすがプロ。勉強になるぅ!」
 と、虚偽の賛美の大嵐。
 
 すべては「虚偽」。
 《彼女》たちのタレント志望も虚偽ならば、私のスカウトマンも虚偽。

 

 しかし、“まじめに” 虚偽の人格を装い続ける私に、虚偽の「女性」を生きてきた《彼女》たちは、そこに「同僚の匂い」を嗅ぎ取ってくれたのだと思う。

 

 もし、本当に私が芸能関係の仕事に就いていたら、《彼女》たちの反応はもっと冷ややかなものだったろう。 

 


 
 「1時間2千円」の制限時間はとっくに過ぎて、「ここから後は1時間3千円コースだけどいい?」
 その後は、 「これからは、1万円コースよ。いい?」
 どんどん高くなっていく延長料金。
 
 いい加減に神経もマヒしていた。
 でも、それだけ楽しかったのだ。
 「よーし、ナミちゃんに水割り一杯。ママさんにはブランデーロック」
  ってな感じで、ついに明け方を迎えてしまった。

 

 ああ、 こんな感じで、カネをむしりとられるのだな と分かった時には、もらったばかりの給料の半分を、一晩で使い果たしていた。
 
 でも不思議と私は、それを後悔していない。
 あの時、自分は、八方ふさがりのどん底に追い詰められていた。
 「自分はこうであらねばならぬ」という目指すべき自分と、そこに到達できない自分との乖離を感じてアセっていたときだった。

 その鬱屈した思いが、一晩で、洗い流されたように思う。
 

 

 虚構の「性」を生きるオカマたちは、その不安定さと引き換えに、透徹した認識力を獲得する。
 《彼女》たちは、女であることに甘えている女性も許さないが、それ以上に威張った男を許さない。

 

 別の店で、女を粗末にしていることを吹聴した男が、オカマたちからコテンパンにやりこめられる現場を目撃したことがあった。
 《彼女》たちは、女以上に、「男の既得権益」のようなものを振りかざす男に容赦がない。

 

 自分がどういう「男」なのか知りたい男性は、一度オカマバーに行くといいのかもしれない。