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ドリアン助川氏の「積極的感受」

エッセイ・人物批評

  

 
 NHKEテレで、作家ドリアン助川氏のインタビュー番組(『こころの時代~宗教・人生~』)を偶然観たことがあった。
 これがまた、とても印象に残った放送だった。

  

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 ドリアン助川氏の肩書は「作家」。
 2013年に執筆した小説『あん』がフランス、ドイツ、イタリア、英国など世界12ヵ国で翻訳され、2015年には映画化もされて、世界35ヵ国で評判をよんだ。

 
 ほかに、ラジオ番組のパーソナリティーとして、視聴者から寄せられる人生相談に応じたり、ロックバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカリストとして作詞・作曲を担当。ライブ活動ではそれなりの注目を集めた。


 現在56歳。
 順風満帆の人生を送ってきた人のように思える。

 

 しかし、Eテレのドキュメンタリーに登場したドリアン助川氏は、華々しい職歴とは裏腹に、「ほとんど負け犬のような人生を送ってきた」と打ちひしがれた素顔をさらす人物であった。

 

 どのようなことが “負け犬” の人生に思えてしまったのか。
 たとえばラジオ番組のパーソナリティーを務めていたときに、やむにやまれない事情で万引きしてしまった高校生や、鬱屈した気分を抱えたまま中年男性の援交を受け入れた女子高生たちからの相談を受けた。

 
 助川氏は、どうしてもその子供たちの心情に肩入れして、彼らの立場に立つようなスタンスで相談に応じてしまう。

 

 それが世の中の “良識者” を名乗る大人たちからの激しい非難を招くことになった。
 万引き高校生や援交女子高生に優しい立場で接するラジオが流れると、すかさず、「ダメなものはダメだとしっかり叱らなければダメだ」と激怒する大人たちの大合唱が始まる。

 
 今でいう “炎上” 。
 「非難のバズーカ砲が耳元で炸裂する思いでした」
 と、助川氏はEテレの番組でインタビュアーに向かって述懐する。

 

 また、ロックバンドで活動していたとき、メンバーの1人が違法薬物使用で検挙された。
 それは助川氏がまったく知らないところで起こった事件だったが、世間の非難はリーダーであった氏のもとに集中した。

 
 あまりにも激しいバッシングが続き、氏はいたたまれなくなり、アメリカに生活の拠点を移す。


 しかし、アメリカではたいした仕事もなく、4~5年後に帰国。
 そのときには、もう日本で続けていた仕事もなくなっていた。

 なんとかマスコミ人とコネを付けて、小ネタの原稿を書く仕事を再開する。
 しかし、食べていけるほどの原稿料にならない。
 本を出してもみな初版どまり。

  

 「もう生きていくのを止めちゃおうかな 」という思いとの戦いでした、と彼はいう。

 
 寝ていても、すぐ目が覚める。
 特に、明け方が怖い。
 夜が暗いうちは、まだ酒で気分をごまかせる。
 しかし、酔いが覚め、夜が白々と明けてくると、生きることの恐怖に身もだえすることがある。

 

 昼間は、途方に暮れて、住んでいた近くの多摩川沿いの舗道を歩く。
 何もするあてがない。
 ひたすら歩く。
 1日30kmぐらい歩かないと、気が狂いそうになることがある。
   
 それでも、ふと自分の心に語り掛けてくるような自然と接することがある。
 それは、河原の土手に咲く花や、夕空に輝き始める星だった。
 それらを眺めていると、心がなごむ。

 

 彼はいう。
 「自分は、言葉を持たないモノたちの “言葉” に耳を傾ける人間になりたいと思ったんです」

 
 つまり、語るべき言葉を持たない野辺の花や天空の星、草の下で息づくカエル、秋空を泳ぐトンボ、冬空に舞う雪。

 
 そういう言葉を持たないモノたちの話すことに耳を傾けることが、ほんとうの意味で「聞く」ことだ、と彼はいう。 

 

 その姿勢は、彼がラジオのパーソナリティーとして、まだ大人の言葉をしゃべることのできない中学生・高校生たちのつたない話に耳を傾けていた時代から培われてきたものなのかもしれない。

 

 まずは聞くこと。
 聞くとは、相手が心に何を抱えているのか、それをこちらが想像する力を試される場に立つことだ。
 そのとき自分の方にも、ようやく “語るべき言葉” が生まれる。

 

 表現者にとって、大事なことは、「表現」ではない。
 「感じる心」だ。
 相手の心を感じる。
 自然の息吹を感じる。


 それこそが生きることの原点。
 助川氏は、番組のなかで、一貫してそう語っていたように思う。

 

 彼は、それを「積極的感受」という言葉で表現した。
 ただ、「感受」するのではない。
 耳を澄まして、目を見開いて、それこそ全身全霊を込めて、物事を「感受」する。

 

 そうやって、“世界” を感受したとき、ようやく自分が何者であるかもわかってくる。

 

 やはり多摩川の土手を歩いていたときのことだ。
 雲の奥に、日没前の最後の残照が隠れようとしていた。
 そのとき、突然、生まれてはじめて、
 「自分の存在が太陽まで一直線につながったことを体感した」

 という。

 

 「おそらく、多くの人が宗教体験などという言葉で表現しようとしたことはこのことだったのだろうと、思いました」
 と助川氏。

 
 それはけっしてオカルト的な体験ではなく、むしろ自分の感受性が自分の身体感覚を超えて広がっていくという感覚だったとか。

 

 「感じる」ということの豊饒さ、美しさ、荘厳さ。
 そういう感覚を持てる自分をありがたいと思った。
 彼は、それを「積極的感受」という言葉で表現する。
   
 人間には、すべてが許されている。 
 何を感じるのも自由である。
 ただ、一つだけ、いけないことがある。
 それは、感じることを途中で放棄してしまうことだ。

 

 「物事をどんなに美しく感じたところで、それがカネになるわけではない。花が美しい、星がきれいだと叫んだところで、それではメシが食えない」

 

 そう思うことだけは人間として避けなければならないと、助川氏はいう。
 感じ続けていけば、いつかは何かにつながる。
 そういう彼の言葉を聞きながら、「大きな人だな」と私は思った。