映画批評
“ゴジラ・ファン” にとって、ゴジラ映画の最大の関心事は、とにかく、
「ゴジラの姿がカッコいいか? どうか?」
である。
そりゃ、ストーリーも大事。
キャストの演技も大事。
しかし、それは、映画の構成要素としては、二の次、三の次。
ゴジラ映画の最大の評価ポイントは、なんといっても「カッコいいゴジラ像」が成立しえたかどうかという点に尽きる。
その点、2023年11月に公開された『ゴジラ ー1.0(マイナスワン)』は、文句なく素晴らしい映像美を創造しえたと思う。
その成果が口コミで広まったのか、公開3日間で興行収入が10億円を突破。
2016年の『シン・ゴジラ』との興収対比122・8%という好調なスタートを切ったと報道されている。
さらに、10日のニュースによると、ハリウッドの映画館では、観客総立ちのスタンディングオベーションが巻き起こったとか。
ま、それほどの評判を手にした今回のゴジラ映画だが、微細に観察すると、顔は少し「ブス」だ。
猫でいうと、「ブサかわいい」という方向に引っ張られている。
しかし、プロポーションは悪くないのだ。
バランスの良い筋肉質の体躯に恵まれ、
襲われる人間の身になってみれば、
「嫌なガキを怒らせたなぁ … 」
というトホホ感が込み上げてくる映像になっている。
だから、あの丸太のような足で踏みつぶされる人々の “うんざり感” がなんとも切ない。
「怖い」というより、「運が悪かった」と、わが身を呪う哀しさがそこから立ち昇ってくる。
あらゆる面で印象深い『ゴジラ マイナスワン』であるが、前作の『シン・ゴジラ』と比べた場合はどうか。
恐怖感でいえば、今回のゴジラの方がそうとう優っている。
ストーリー展開も、今回の方が断然面白い。
エンターティメントとしての出来映えは、かなり上だと感じた。
だが、何かが足りないのだ。
ゴジラ1作目(1954年)と比べてである。
今回の『ゴジラ マイナスワン』は、その第一作目の誕生70周年を記念した作品ということで、個々のディテールには一作目の記念的シークエンス(配列)が多用されている。
だから、“初代ゴジラ” を観た人には「見おぼえ」のある映像が出てくるようにも思えるが、決定的な “差” がひとつ。
『ゴジラ マイナスワン』におけるゴジラは “怪物” だが、初代ゴジラは “神” だった。
そういう印象が漂うのは、初代ゴジラが「モノクロ」映像であったことも大きいかもしれない。
とにかく、画面全体が “闇” 。
その闇の中を、闇よりも濃いゴジラの姿が自衛隊のサーチライトを浴びてヌルッと浮かび上がる。
それはもう「怪獣」ではなく、地上に降臨した「神の影」であった。
やがて初代ゴジラは、(お定まりのように)東京の繁華街を破壊しながら内陸部へ向かう。
そのとき堅牢なビル群が次々と灰燼に帰す。
しかし、そこには意外といっていいほど静けさが漂っている。
どのビルも、ゴジラという「神」の裁きをしょう然と受け入れる旧約聖書の民のように、沈黙を守ったままひれ伏すように倒壊していく。
その光景は、厳粛であり、神秘的であり、絶対的である。
それは、人間の意識に舞い降りる「畏れ」というものが何であるかを説く映像でもあった。
そのゴジラの神々しさが、2023年の『マイナスワン』には欠けている。
ただ、初代ゴジラの映像を見たことのない観客にとっては、この『マイナスワン』の圧倒的な存在感も、やはり、それなりに貴重である。