現在73歳。
東京生まれで、東京育ち。
それでも50年間、“大阪の阪神” ファンをやっている。
江夏、田淵という選手が輝きを放っている時代の阪神に魅せられたのだ。
東京という土地柄もあって、周りの友達はみな巨人ファンだった。
しかし私は、完璧なチームワークを誇る巨人にはない、ワイルドで、いい加減で、強いのか弱いのか分からない阪神が好きだった。
忘れられないのは、1985年の「日本一」。
そのとき私は35歳。
阪神が最初の「日本一」を達成した瞬間を、私は西武球場のレフトスタンドで眺めた。
吉田監督が胴上げされるのを見て、興奮状態に陥った私だったが、醒めるのも早かった。
それは、
「もうこんな瞬間を、自分が生きている間に見ることはないだろう」
という寂しさと哀しさが入り交じったものだった。
そういうチームだったのだ、阪神は。
「今年こそは優勝しそうだ」と思わせるときがあっても、シーズンが終わる頃はけっきょく定位置 … 3位とか4位に沈んでいくチーム。
阪神ファンの多くも、そのことを十分承知していて、
「こんな駄目チームを応援する俺はほんとうにバカだ!」
と泣き笑いするような人が多かった。
だから、リーグ優勝がはっきり見えてきた1985年の後半は、もう「風邪」でもひいたかのような微熱状態が私を襲った。
勝った日の翌日は、スポーツ新聞を何紙も買い込んで、通勤途中の電車のなかで読みふけった。
このときの阪神はどんなチームだったのか。
1年中活火山が噴火しているようなチームだった。
特にクリーンアップの打撃力がすさまじく、どんな対戦相手のピッチャーも、もう1回か2回で交代しなければならないような試合の連続だった。
語り草になっているのは、4月17日の巨人戦におけるバース・掛布・岡田の「バックスクリーン三連発」。
7回裏の攻撃時に、巨人槙原投手から、3者連続でバックスクリーンにホームランを放った “事件” だった。
1年を通してみると、
3番バース 打率.350 54本塁打 134打点
4番掛布 打率.300 40本塁打 108打点
5番岡田 打率.342 35本塁打 101打点
こんなクリーンアップは、その後の野球史上にも類を見ない。
ちなみに、バースは、この年三冠王をとっている。
以降、
「もう自分が生きている間に、阪神の日本一を見ることはないだろう」
そう思い続けてきた38年だった。
しかし、この2023年に二度目の奇跡が起こった。
不思議なものだ。
「これからは阪神の黄金時代が訪れるかもしれない」
今はそんな気分になりかけている。