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吉本隆明に対する二度目の挫折

 

 合田正人氏の書いた『吉本隆明柄谷行人』(PHP新書)という本を読んだ。
 この二人の思想家の名前は、若い頃に人文系思想書に没頭したシニア世代なら、忘れられない名前かもしれない。
 著者の合田氏がまさにその一人であるようだ。

 

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 「1975年に大学に入学してから4、5年の間、吉本隆明全著作集はつねに木賃アパートの机上に置かれていて、毎日むさぼるようにそれを読んだ」
 と、合田氏は「序」で書いている。
 
 実際の吉本隆明が当時の若者たちに熱狂的に迎え入れられたのは、実は、1975年よりもさらに5~6年前だったと思う。
 彼の著作の最初のブームは、60年代後半から70年代初頭にかけて盛り上がった70年安保闘争の高揚期に重なっている。

 

鹿島茂氏の『吉本隆明1968年』の表紙

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 この時期、私の周りにいた者は(実際にその著作を読んだか、読まないかは別として)、みな議論の際に「吉本隆明」という固有名詞を出したがった。その名前を語ることが、あたかも、“腐った時代” に対する自分の「倫理の証し」であるかのようだった。
 
 だから、私は読めなかった。
 相当難解な文章らしいという先入観もあり、それを読んでも理解できない自分が惨めになると予測できたからである。

 

 それと、吉本を読みこなすことが “インテリの証明” みたいな周囲の風潮も強すぎて、「そういうのに迎合するのはお洒落じゃないな」という奇妙な自意識もあった。
 


 だから、彼の書物に私がはじめて接したのは、すでに年齢も30を超え、社会人になってからである。
 「今ならブームと関係なく、先入観に惑わされることもなく、虚心坦懐に向き合えるかもしれない」という気持ちが生じてからだ。 


 男の30歳というのは、ある意味で、自信がもっとも揺らぐ時でもある。
 向こう見ずな若さを振りかざせる年でもない。
 かといって、社会が認めてくれるような実績を手に入れているわけでもない。
 自分を支える根拠となるものが、見えない。

 

 「だからこそ、“普遍” に到達できる原理論的なものが欲しい」
 そういう気持ちが、ようやく吉本隆明の著作に向かわせたのかもしれない。
  
 著名な『共同幻想論』を皮切りに、『原語にとって美とは何か』、『心的現象論序説』など、一連の主要著作は手当たりしだいに読んだと思う。

 

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 先ほど、懐かしさも手伝って、昔読んだ『言語にとって美とは何か』を書棚の奥から引き出してみた。
 
 1ページごとに無数の書き込みがあり、赤ペンのアンダーラインが引かれていた。
 そうとう “格闘” した跡が伺われる。
 
 が、結果はやはり空しかったことを思い出した。
 そこまで格闘しても、結局何を言っているのかほとんど解らなかったのだ。
 
 学生時代、吉本を議論していた人たちは、いったいこれを理解できたのだろうか?
 これを解った人たちというのは、いったいどういう頭脳構造を持っていたのか?
 そんな疑問が次々と浮かんできて、切なかった。
 
 「指示表出と自己表出を構造とする言語の全体を、自己表出によって意識からしぼり出したものとしてみるところに、言語の価値はよこたわっている。あたかも、言語を指示表出によって意識が外界に関係をもとめたものとしてみるとき言語の構造につきあたるように」
 
 『言語にとって美とはなにか』をパッと開いたページから任意に引き出した文章だが、もう、この独特の用語法についていけない。
 「指示表出」と「自己表出」は、吉本言語論の根幹を成すキータームであるということは知っていても、どうしても、それが頭の中にイメージ形成できない。
 
 もし、学生時代にこれを読んでいたら、たぶん「頭の悪い自分」を恥じ、これを読みこなしたと豪語するインテリたちの前に顔を出せなかっただろう。

 

 しかし、さすがに30を過ぎて、少しは図々しくなっていた私は、「これは自分には縁のない書物だ」という自己合理化を図ることができた。

 

  
 それから、さらに30年が経った。
 そして、もう一度チャレンジするつもりで、合田正人氏の書いた『吉本隆明柄谷行人』を読んだ。

 

 吉本隆明の原著で挫折した自分ではあったが、別の人が書いた解説ならば、読みきれなかった自分の弱さをカバーしてもらえるかもしれないという期待があったからだ。
 
 が、やはり結果は似たようなものだった。
 合田氏の文章は、吉本隆明の原著と同じくらい難しかったのである。
 
 理解できない自分の頭の悪さを棚にあげ、私は、こんなことすら思った。

 

 「こういう書物は、人間に必要なのだろうか?」

  
 まぁ、このような本を “理解する” ところに(世間で言うところの)「哲学がある」とするならば、私には、そもそも “哲学する” ための素養も覚悟もなかったというだけのことかもしれない。
 
 なにしろ、カントやヘーゲルや、スピノザハイデッガー、ヴィトゲンシュタイなどといった高名な哲学者の書いたものからの引用が恐ろしいほど無造作に繰り出されてくるのだから、引用される原典について( 理解するに至らなくても)、およそどのようなことが書かれているのかというイメージを持っていないと、もうその引用された後に続く文章をたどることができない。
 
 「お前のような不勉強な人間が読むべき書物ではないわ」
 と、誰かに責められれば、もう「その通りでございます」と素直に首(こうべ)を垂れるしかないのだ。
 

 
 もっとも、ある著作をどのくらい “理解” するかは、読み手の切実さと大きく関わってくる。
 そういった意味で、私は「吉本の著作を理解しなければならない」といった切実さから遠かっただけのことかもしれない。

 

▼ 若き頃の吉本氏

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 合田氏の文章もそうなのだが、吉本隆明思想書の難解さというのは、別に、ことさら自分を偉く見せようというようなペダントリー(衒学趣味)から来たものではない。
 むしろ、思考の厳密さを求めんがために生まれてきた文体である。
 そういった意味で、「数式」にも近い。
  


 実際に、吉本隆明は、日本では珍しい理科系出身の思想家であった。
 だから、「あいまいなものの価値」を論じるときも、あいまいさを極端に排除し、夾雑物を慎重に取り除き、幾何学の図形のような叙述を極めていった。
 そこには真摯さと誠実さが溢れている。
 
 だからこそ、やっかいなのだ。
 
 そういう姿勢を貫くと、「書くことによって “書くことが不可能なもの” を浮かび上がらせる」という契機が失われてしまう。
 つまり、言葉にできないものへの眼差しが生まれてこない。
 

 
 吉本隆明と対比されてこの本に登場する柄谷行人は、その初期作品群から『探求』に至るまでは、「書くことによって “書くことの不可能なもの” を浮かび上がらせる」ことにこだわり続けた。

 

▼ 若き頃の柄谷氏

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 私はその姿勢に心を惹かれた。

 
 自分はその頃、商業資本主義の先兵のような企業PR誌の編集に携わっており、読者に分かりやすい文章を書くことを自分の最大の責務だと信じてきたが、それでも “物書き” である以上、常に「書くことの不可能なもの」への眼差しを忘れないようにしていた。

 それはすべて柄谷行人の姿勢から学んだことである。

 
  
 しかし、吉本隆明は、「書くことが不可能なものを、あえて書く」ことこそ批評行為だと信じていたフシがある。
 柄谷とは逆に、「言葉に表現できないようなもの」を、あえて言葉で表現しようとしたのだ。 

 

 いつの時代の誰との対談かは忘れたが、吉本は、
 「“人間” を理論で解明しようと覚悟した場合、それがどんなに説明不可能なように見えても、必ずどこかにその理路が通る坑道があるはずなんです」
 と発言していたように記憶している。

 
 
 語彙はこの通りではなかったかもしれないが、とにかくそれを読んだとき、吉本の “思考することへの徹底ぶり” に心が震撼させられた記憶がある。
 

 
 吉本隆明は、その「理路の坑道」を、たった独りで掘り続けた。
 それが、あの独特の用語法にまみれた超難解な文章スタイルを呼び寄せることになった。
 
 その独特の用語法で貫かれた原理論的な主要著作は、どれも私には息の詰まるような重苦しさを感じさせた。
 その感覚は今でも変わらない。
  

 
 とは、いいつつも、私はやはり名文家としての吉本隆明も知っている。
 
 『共同幻想論』の一節には、次のような一文が添えられている。
 『吉本隆明柄谷行人』の著者である合田正人氏も、自著で二度も引用している文章だ。

 

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 吉本は書く。

 「この本(共同幻想論)のなかに、わたし個人のひそかな嗜好が含まれてないことはないだろう。
 子供のころ深夜にたまたまひとりだけ眼がさめたおり、冬の木枯の音にききいった恐怖。遠くの街へ遊びに出かけ、迷い込んで帰れなかったときの心細さ。手の平をなめながら感じた運命の予感の暗さといったものが、対象を扱う手さばきのなかに潜んでいるかもしれない。
 その意味ではこの本は、子供たちが感受する異空間の世界についての大人の論理の書であるかもしれない」
 

 
 いささかセンチメンタルな詠嘆が勝っているが、しかし、素直に心情を吐露した美しい文だと思う。

 

 今、私はこの『共同幻想論』を、思想書というよりも “読み物” だと位置づけている。それは、「物語」というものの構造の秘密を解いた書であるというよりも、それ自体が構造化された「物語」であるように思う。

 

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 “思想家” としての吉本隆明に対して、結局私は何一つ理解する力を持たなかったが、それでも、肩の力を抜いたようなエッセイのたぐいに出てくる文章には、記憶に残るものが多い。
 
 たとえば、『初源への言葉』という思索集に収録されている「うえの挿話」の一節。

 

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 「失業してやりきれなくなったとき、墓地をぬけて山上の図書館へ通った。
 そういうときは、辞書をひんめくって語学を勉強するとか、図書館で調べものをしているのが、いちばんよいのだ。
 ひとの心は、それほど長い苦境には耐えられないように出来ているから、心を凍らせたままでできることが救いなのである。
 国立博物館の暗い陳列ケースをのぞいてあるくこともおなじだった。そのころ、本館の裏側にあたる陳列室でみた長次郎の見事な茶碗のことが忘れられない」

 
 
 何気ない叙述であるように見えながら、“やるせない心” が拾い上げた、暗い陳列室の茶碗の輝きが、手に取るように浮かんでくる。
 
 漆黒の闇の底から這い上がってくる、さらに艶やかな<闇>を秘めた茶碗。
 精神の希望が断たれたときに、はじめて見えてくる物質の輝き。
 見事な文だと思った。

 
  
 思想家としての吉本隆明に挫折した自分だが、それでも詩人としての若い吉本隆明はいまだに好きである。
 
 

 
 
(↓)「吉本隆明」という固有名詞が出てくる過去のエントリー

 

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