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ハマスホイ 『陽光習作』

 

絵画批評
ハンマースホイの「扉」


 この1月21日(2020年)から3月26日まで、東京都美術館台東区上野)で『ハマスホイとデンマーク絵画』展が開かれている。

 

 ヴィルヘルム・ハマスホイ

 

 昔は、「ハンマースホイ」といった。
 最近日本語で表記するときには、「ハマスホイ」と呼ぶようになったらしい。
 その方がデンマーク語の発音に近いからだという。

 

 ただ、私は新しい呼称に慣れないため、ここでは従来どおり、「ハンマースホイ」と表記するつもりでいる。
  

 

 この画家のことを知ったのは、テレビ東京の「美の巨人たち」という番組を観たときである。
 
 その2010年 3月に放映された回で、ハンマースホイが描く様々な扉の絵が紹介された。

 

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 たとえば、上の絵。
 描かれているのは、開け放たれた3枚の「扉」だ。
  
 白っぽい扉が並んでいるだけなのに、この絵がはらんでいる不穏な空気は、観る人に奇妙な沈黙を強いる。

 

 「扉」というのは「境界」なんだな、とそのとき思った。
 そこを開けると違った空間が開けるという意味で、「扉」は日常生活の中で最もポピュラーな「異界」への入口かもしれない。

  
 こんなに鮮やかな異界へ渡る「装置」が、われわれの生活の中にあるというのに、われわれは日頃そのことに気づかない。
 
 「扉」の向こう側が、ある日突然 “異なる世界” へ通じてしまったかもしれないのに、われわれは、そんなことを思いもせずに、扉を開ける。
 毎度、見慣れた景色が広がる。
 でも、そこは、昨日とは違った世界なのかもしれない。

 ハンマースホイの描く扉は、そんな感覚を私に刷り込んできた。

 

 

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ハンマースホイ自画像
 
 ハンマースホイは、19世紀にデンマークで生まれた人である。
 人と交わることの嫌いな、寡黙な人だったと伝えられている。
 自分のアパートに閉じこもり、ほとんどその室内だけを描いた。
 たまに登場する人物は彼の妻だが、それも、ほとんどが後ろ姿だ。
 
▼ 「背を向けた若い女性のいる室内」

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 そのことだけを取り上げみても、「人間味の薄い人」という印象が伝わってくる。 
 しかし、作風として、“この世ならぬ世界” を描く画家は、みなこのような絵を描く。

 

 フェルメールの影響を受けているという人もいるが、フェルメールとの共通性は、その画面を覆う “静謐感” だけで、フェルメールが持っている「人間の存在感」のようなものはハンマースホイには希薄だ。
 むしろエドワード・ホッパーに近い画家だという印象を受ける。

 

エドワード・ホッパー 「空っぽの部屋の太陽」

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 ホッパーとの共通性は、「光」。
 淋しいのか、暖かいのか分からないような、独特の太陽光。
 
ハンマースホイ 「居間に射す陽光」

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 われわれの住む地球を照らす太陽は一つしかないはずなのに、彼らの描く陽光は、われわれの知らない、もう一つの太陽から射してくる光を思わせる。
  
 「美の巨人たち」で取りあげたハンマースホイの『陽光習作』は、まさにそのような空気感に満たされた絵であった。

 

 
『陽光習作』の謎


▼ 「陽光習作」

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 この絵について、小林薫さんのナレーションが次のような解説を加える。
 
 「描かれているのは、窓とドアのある部屋です。
 人はおらず、家具も調度品もありません。
 生活の匂いも、温もりもありません。
 あるものは、窓の外の曖昧な景色。
 そして、窓から差し込む光が作りだす心細い陽だまりだけです。
 この絵には、見るべき物が何もありません。
 しかし、なぜか目が離せず、惹き込まれてしまうのです」
 

 
 見るべき物がないのに、なぜ惹きこまれてしまうのか。
 それは、この絵が、鑑賞者の意識の整合性を、微妙に狂わせているからだ。

 

 つまり鑑賞者は、自分の感じる違和感の正体を知りたいがために、この絵から目が離せなくなるのだ。
 
 番組では、この絵には「騙し絵」の効果が盛り込まれているという。
 
 まず、右側の扉。
 ドアノブがないのだ。
 よく見ると、外に出ることのできない扉であることが分かる。

 

  
これはこの世の「扉」ではない!

 
▼ 「陽光習作」 部分

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 さらに、左側の窓を通して差し込む陽の角度。
 これが、床に落ちた影の角度と微妙にズレている。
 本来ならば、床の影はもう少し右側に描かれていなければおかしい。
 画家の故意なのか。
 それとも画家の無意識なのか。

  
 いずれにせよ、相当注意して見なければ分からない作画上のズレが、この “な~んにもない” 部屋に、ただならぬ空気を呼び寄せている。

 

 「現実」の世界を描きながら、鑑賞者が見つめているうちに、「非現実」のほうに誘導していくような画家の視線。

 「現実」と「非現実」の間に広がった、淡い “透き間” 。
 そこから「虚無の深淵」が顔を覗かせる。

  
 怖い絵でもある。
 しかし、デジャブ体験をしたときのような、ノスタルジックな懐かしさが、絵の奥からそおっと忍び寄ってくる。

 

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 すでに、記憶の古層に沈殿して、思い出すこともない昔。
 場所はどこか分からないが、遠い昔、このような部屋にいて、誰かを待っていたことがある …… というような気分にさせる絵だ。
 

 幼児期の記憶というのは、自分のものであっても、すでに自分から遠ざけられた世界に行ってしまっている。
 そこは、まさに「扉」の向こう側にある「異界」である。
 その異界が、ドアの向こう側でじっと待っている。
 『陽光習作』とは、そんな絵だ。 

  

 

調律されていないピアノの音色

  
 ハンマースホイの名を知って、少しネットで調べてみた。
 いろいろな人が、この画家についてさまざまな発言をしていた。
 それらの記事のレベルの高さにびっくりした。
 どこかのブログのコメントで、「(彼の絵には)きちんと調律されていないピアノの音が流れているような 」という表現があった。
 言いえて妙だと思った。

 

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 ネットを見ていると、この画家の絵に触れると、つい何かを語りたくなってしまう人がたくさんいることを知った。

 しかし、その感想の大半は、次のようなものだった。

 

 「(これらの絵には)何かが象徴されているのだが、それが何なのかは、いつまで眺めていてもけっして明らかにならない」

 

 絵画というのは、描かれたもの中に、「描かれないもの」を描くことだと思う。
 ハンマースホイの絵は、そのことを端的に教えてくれる。