ドイツの哲学者カール・シュミットによると、
「世界史は、“陸の国家” と “海の国家” の戦いだった」
という。
もちろん “陸の国家” の歴史の方が古い。
古代の西アジアに栄えたアッシリア帝国やペルシャ帝国。
中世のサラセン帝国。
東アジアでは、中華帝国やモンゴル帝国。
近世の中東を支配したオスマン帝国。
古代から近世にかけての世界史は、このようなアジア型専制君主が統治する大帝国が版図を広げる歴史だった。
フランスの “ナポレオン帝国” やナチスドイツの “第三帝国” なども、陸の国家の部類に入る。
船による大量の物資や軍隊の輸送が可能になるまで、大軍団を派遣するのは陸路しかなかったから、“陸の国家” が近隣の小国を併合し、広大な領土を獲得していくのが当たり前だったのだ。
これに対し、“海の国家” として世界制覇を成し遂げたのが、18~19世紀のイギリスである。
イギリスは大陸型の諸国家に比べ、国土も狭く、人口も少なかった。
そのため、大陸国家に対し、陸上で戦いを仕掛けるには、ハンディがありすぎた。
そこで、洋上に活路を求め、陸型国家の “海の通商網” を切り裂くという戦略に出た。
すなわち、海賊である。
近世ヨーロッパ最大の陸軍国家スペインは、南米のインカやアステカを征服し、そこで略奪した金銀財宝を船に積んで本国に搬送することで富を築いていた。
イギリスの海賊たちは、その大西洋を行き来するスペイン船を襲い、スペインが略奪した南米の財宝を海上で横取りしたのだ。
これがイギリスの富の源泉となった。
彼らは、ヨーロッパ最強の海軍を建設。歴史上初の海洋国家として世界制覇を成し遂げた。
アメリカもまた、イギリスの血を受け継いだ海洋国家である。
アメリカ大陸そのものが広大だから、海洋国家というイメージは薄いが、第二次大戦では、大西洋を横切ってナチスドイツと戦い、次に太平洋を越えて日本を制圧した。
いずれの戦いも、それを支えたのは相手国の海域で空軍を展開できる海軍力だった。
こうして、20世紀は、イギリス/アメリカというアングロサクソン系民族による海洋国家が、アジア/ヨーロッパの陸型諸国家をコントロールするという形で推移した。
この海洋国家群の勝利を、政治的には「自由主義の勝利」といい、経済的には「資本主義の勝利」という。
しかし、21世紀になると、大陸型国家の逆襲が始まった。
その一つが中国であり、もうひとつはロシアである。
ともに、かつては「共産主義」というイデオロギーで自国を染め上げていた大国だ。
中国には、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清という壮大な王朝の歴史があり、ロシアにはロマノフ王朝という絶対権力を確立した歴史があった。
その二つの “陸の帝国” が、イギリス・アメリカ型の “海の王国” の優位性をくつがえして、再び地球上にその覇権を確立しようとしているのが現在だ。
特に、経済力でアメリカに次ぐ力を持ち得た中国の発展には目を見張るものがある。
広大な版図、膨大な人口。
アメリカをしのぐまでに発展した IT テクノロジー。
今の中国は、歴代中華王朝のなかでも、最強の陸上帝国を築きつつある。
このように、「陸」の勢力が「海」の勢力に反転攻勢を仕掛けられたのは、やはり核兵器とミサイルという “海を超える兵器” の配備が充実してきたからだ。
さらには、21世紀型のサイバー兵器が発達したことも挙げられる。
サイバー兵器の進展によって、“海” と “陸” という地勢的な区分けはまったく意味を失った。
そうなると、中国のような、広大な領土と莫大な人口に支えられたシンプルな “数の論理” が、けっきょく「国力」そのものとなる。
その中国の “国力” に押されて、現在香港(ホンコン)で起こっている民主化デモも早晩鎮圧されるだろうし、次は台湾が中国に呑み込まれるだろう。
過去にも、中国はチベット人を弾圧し、ウイグル民族を弾圧して、中国政府への抵抗を封じ込めてきた。
こういう弾圧政策は、ある意味、中国の立場に立つとやむを得ない部分がある。
中国のように、文化や宗教の異なる多民族がひしめき合う国家になると、個々の民族の自由を容認すると収拾がつかなくなる。
収拾がつかなくなれば、分裂が生まれ、反乱が生まれる。
それを防ぐために、中国は強力な国家理念を掲げて人民を管理しているのである。
では、国家による管理が強くなると、個々の人民はどうなるのか。
どの人も、人間性を「数値」に還元して理解するような思考を自然に受け入れるようになる。
具体的には、たくさん儲けて、お金持ちになれる人を「優秀な人間」と評価する傾向が強まる。
言葉を変えていえば、それは「人間のAI 化」である。
実際、いま中国では、人間の能力や個性をAI を使って数値化していくことがブームとなり、結婚でも企業への就職でも、AI による人間評価が重視されつつあるという。
つまり中国では、新しい “人間観” が生まれつつあるのだ。
こういう人間観の先に見えてくるのは、人間の「個性の違い」よりも「同一性」を重んじる社会だ。
そういう社会では、「個々人の違い」を前提とする「民主主義」という政治思想も必要なくなる。
こういう中国社会の動きを「民主主義の死」として捉えるような危機感は、現在のアメリカにはない。
トランプ大統領の頭のなかにあるのは、中国との貿易戦争を通じて、最終的には、アメリカがどれだけ利益を確保できるかどうかということだけであり、東アジアの民主主義が危機的状況に陥っているかどうかということに対しては、トランプ大統領の感受性では捉えることができない。
「陸の大国」として復活した中国に、かつての「海洋王国」アメリカが破れていくのは時間の問題という気もする。
アメリカの凋落を招いたのはトランプだという意見も多いが、そもそも斜陽に傾いたアメリカそのものがトランプを登場させたという言い方もできる。
同じことがイギリスにもいえる。
EU離脱問題にいまだに決着を付けられないイギリスも、かつて海洋国家として “七つの海” を支配した頃の面影はない。
イギリス議会を混乱に導いているボリス・ジョンソン新首相も、凋落していくイギリスそのものが生んだ指導者といえる。
このような “西側諸国” の劣勢を計算した韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、日米韓の連携を抜け出し、北朝鮮や中国などに歩み寄る姿勢を見せ始めた。
要は韓国でも、強大な勢力を確立した文在寅(ムン・ジェイン)政権によって、民主主義が死滅しようとしているのだ。
文在寅(ムン・ジェイン)政権を支える政治勢力(「共に民主党」)は、民主主義運動を推進する「進歩派」を語っているが、それは現在香港などの若者が掲げる民主主義とはまったく別ものである。
つまり現在の韓国大統領府(青瓦台)は、自分たちの保身と利益を優先する既得権益集団と化してしまっている。
そもそも「民主主義」という思想そのものが、第二次大戦後の一時期だけ可能になった奇跡でしかなかったという見方もあるのだ。
日本はそれを守り続けるのか。
それとも、それに代わる新しい政治理念を打ち立てるのか。
いずれにせよ、深刻に考えないと、東アジア全体から「民主主義」は霧散していく。