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ロックンローラー司馬遼太郎

 文芸批評

   
 司馬遼太郎の文体は、ロックンロールだ。
 黙読していても、言葉の転がり方が、実に軽快だ。
 読んでいると、気分がうきうきと高揚し、血液中のアドレナリンが毛穴からいっせいに吹き出すような錯覚に襲われる。
 
 たとえば、こんな感じ。
 
  …… 元亀元年二月。
  城下にえたいの知れぬ男が入ってきた、といううわさは、その日のうちに広ま

  った。
  いやもう、傍若無人
  ちょうど城外の長良川畔で、諸国の博労(ばくろう)があつまる馬市が立って

  いたが、
  「この馬はなんぼじゃ」
  と、その怪漢が野太くきいた。
  金二枚よ。
  と、博労がいうと、「やすいのう。あとで旅館へ曳いてこい。あまりは酒で

  もくらえ」
  と、むぞうさに金をつかみ出し、なんと金で五枚、ちゃらりと投げ捨てた。
  (狂人か)
  と、みな思ったのはむりはない。

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 雑賀孫市の活躍を描いた『尻啖え(くらえ)孫市』の書き出しである。
 冒頭の2~3行から、もうこの作者ならではの、独特のリズムがある。
 
 …… 元亀元年二月。
 という体言止めで終わる短いフレーズをポンと投げて、後はあっさり改行している。
 
 このわずか7字だけ突出した書き出しは、後に続く言葉と断絶している分、響きが新鮮だ。
 まるでギターがイントロのワンフレーズを弾いたあと、ふっ、と一呼吸おいてリズムセクションがスタートするというような、あのモダンブルースの小気味よさが出ている。
 
 次に続く文にも仕掛けがある。
 
 …… 城下にえたいの知れぬ男が入ってきた、といううわさは、その日のうちに広まった。
 
 何の変哲もない文だが、よく注意すると、
 「入ってきた」と「といううわさ」の間に、えもいわれぬタイミングで、読点がポツンと入っている。 
 些細なことだが、ここで、ロックンロールのアフタービートのような “タメ” が生じているのだ。
 
 アフタービートとは、4拍子の3拍目に強拍を置いた黒人音楽独特のリズム形式だが、その効果は舞踏性をもたらすことにある。
 リズムに「ねばり」と「揺れ」が生まれるのだ。
 つまり、マーチのような2拍子型のリズムが、頭に強拍を置くことで、大地を前進していく水平感覚を呼び起こすのに比べ、後ろにアクセントが来るアフタービートは、聞く人間に上下動感覚を呼び起こし、ダンスに臨むような気分をもたらせてくれる。
 
 司馬遼太郎の文体は、読む人間に、体が踊りだすような躍動感を呼び起こすという意味で、このアフタービートのバイブレーションを持っている。
 その心地よい刺激に、ときどきシンコペーションやブレイクというアクセントが導入され、変幻自在な変化の妙を見せる。
 
 さきほどの引用文では、
 …… いや、もう傍若無人
 というところが、ブレイクに当たる。
 ここで、リズムがスパっと途切れ、聞かせどころのワンフレーズが朗々と響きわたるという計算がなされている。

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 『尻啖え孫市』の書き出しは、ロックンロールの古典「ロングトール・サリー」のメロディに乗せて朗読しても、きっと合うはずだ。
 司馬さんが、なぜそういう文章の音響効果に、独特のセンスを発揮できたのか。

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 ひとつのヒントがある。
 若い頃、岩波文庫の『歎異抄』を、声を出して読んだそうだ。
 
 「はじめは目でよんでいたんです。そうしましたら、さっぱりわかりませんね。あるとき音読したら、よくわかった。なるほど昔の人は音読していたんだ、ということに気がついて、その後ずっと音読でやりました」
(文春文庫『手掘り日本史』)
 
 つまり、目で読むと、論理的・知的に理解しようとする心が働くから、文の行間にある<ひびき>というものにまで、注意が届かない。
 しかし、<ひびき>を伴なったとき、はじめて書物から伝わってくるものがある。
 そういうことらしい。
 このあたりに、司馬文学の独特のリズム感が生まれてくる秘密がありそうだ。
 
 よい作家になるための条件はいろいろあると思うが、
 「耳がいい」
 ということも、その一つに入るのではなかろうか。
 
 彼の使う擬態語を調べてみると、いずれも普通の人間の耳ではとらえられない不思議な音を拾っている。
 「鉄砲の音が、山腹ではねかえり、しゃああん、と反響した」
 「金を、ちゃらりと投げ捨てた」
 「ホタ、ホタと膝をうった」
 
 どれもありきたりの擬態語のようでいて、実は類例がない。
 鉄砲の音が反響するなら、普通は「しゃーん」であり、「しゃああん」と「あ」を二つ続けない。
 また、金が落ちる音は、せいぜい「ちゃらん」だろう。
 ハタと膝をうつ、という言葉はよく聞くが、「ホタ、ホタ」という音は聞いたことがない。
 「しゃああん」
 「ちゃらり」
 「ホタ、ホタ」
 
 このような、独特のオリジナル擬態語を創造できる力というのは、日常の中の音を拾うセンスに長けているということであり、それはとりもなおさず、「耳のよさ」を証明することになる。
 よい音楽家の条件のひとつに、「耳のよさ」があるとしたら、司馬遼太郎は、音楽家になっても、一流になっていたかもしれない。
 
 司馬さんは、「独自の史観をうち立てた作家」として、理念的なとらえ方をされることの多い人だが、見逃していけないことは、ロックンローラーとしての司馬遼太郎であり、ポップミュージシャンとしての司馬遼太郎である。