絵画・文芸批評
与謝蕪村(よさ・ぶそん)の有名な俳句の一つに、
「月天心(つきてんしん)貧しき町を 通りけり」
という句がある。
「月が、空の真ん中(天心)に輝いている貧しい町を、いま私は通り過ぎようとしている」
という意味だ。
「つきてんしん」という言葉の響きになじみがなくても、「月天心」という漢語から、冷たい光を放っている冬の月を想像することはできるだろう。
この句を思い出すたびに、下の絵を思い出す。
▲ ジョルジュ・ルオー 『郊外のキリスト』
逆もある。
この絵を見ると、与謝蕪村の『月天心 … 』の方を思い出すこともある。
蕪村は江戸中期の日本の俳人。
ルオーは、19世紀末から20世紀に生きたフランスの画家。
国も時代もまったく異なる世界で生きた人たちだが、なにかしら共通した精神性を持っていたのではないかという気がする。
特に、この蕪村の句とルオーの絵には、強い類似性がある。
モチーフがまったく同じなのだ。
両者とも、その前面に浮かび上がってくるのは、暗い空を照らす白々とした月。
そして、寝静まった貧しい町並み。
それを見ながら、足跡を忍ばせるように通り過ぎようとしている人影。
蕪村のうたう “貧しき町” というのは黒々と静まり返った日本家屋だろうし、ルオーが描いたのは、石造りの西洋建築だ。
しかし、両者から感じ取れるのは、まるで核戦争後の廃墟をさまよう「最後の人類」の気分である。
そこには、人類は滅び去っても、自然は変わらないというメッセージさえ託されているような気さえしてくる。
しかしながら、これらの作品には、絶望的な孤独感の果てに、かすかな温かさが伝わってくる。
この「さびしさ」と「温かさ」の配分が、二つの作品では似通っている。
まず、蕪村の句を見てみる。
「貧しき町」という言葉がある。
もし、これが町の上に輝く月をうたいたい句であるならば、それを受ける言葉は「さびしき町」でもよかったはずである。
あるいは、「哀しき町」という言葉も使えたかもしれない。
しかし、「貧しき町」。
これは、「人が住んでいる町」だという認識が前提となっている言葉である。
さびしくて、みすぼらしい町ではあるけれど、「人の生活がある」という視線が「貧しき」という言葉を選ばせている。
つまり、“通りすがりの自分” が、貧しき町に住む住人たちと共振している様子がしのばれるのだ。
一方のルオーの『郊外のキリスト』。
この絵においても、二人の子供に連れ添う大人がキリストならば、このキリストは、夜道を歩く子供たちを家まで送り届けるような、優しさを見せている。
蕪村の句にもルオーの絵にも表われてくるのは、貧しき者への共感である。
実際にルオーは、この絵からもしのばれるような、パリ郊外のラ・ヴィレット地区という貧困家庭の家ばかり並ぶ町で生まれたという。
家が貧しかったため、ルオーは10代半ばで、ステンドグラス工房で働く道を選ぶ。
そこで得たステンドグラスの作成技法が、後の画家修業にも生かされるようになる。
黒く太い輪郭線。
その間に塗られる黄、オレンジ、赤などの暖色系カラー。
まさに、そこに描かれるのは、西欧の教会建築などに飾られるステンドグラス芸術そのものだ。
そこにルオーの絵の本質を解くカギがありそうだ。
▲ ジョルジュ・ルオー 『受難』
ステンドグラスの絵を鑑賞するためには、屋外から差し込む「光」が不可欠であるように、ルオーの絵もまた、絵の(目には見えないはずの) “向こう側” から差し込んでくる「光」によって成立しているのだ。
ルオーの絵を、その裏から照らしている「光」とは何か。
敬虔なクリスチャンでもあるルオー自身は、その「光」の正体を、「神」という言葉で説明したかもしれない。
しかし、そういう説明があったとしても、それが正しいのかどうか、私にはよく分からない。
ただ、いずれにせよ、ルオーの絵は、キャンバスの上に塗り固められた絵具の向こう側に、可視的にとらえることのできない “もう一つの世界” が潜んでいることを暗示してやまない。
『郊外のキリスト』という絵は、それまで奥に潜んでいた、その “謎の光源” が「月」という形をとって、ついにその姿を現した絵だといえる。
まさに、“天心” を飾る月。
その月の姿に「神の恩寵」を感じるかどうかは、この絵に接した鑑賞者の文化環境や宗教観、芸術観によって異なるだろうけれど、いずれにせよ、この月が、単なる天体的な「月」を超えて、この世にあらざる光を投げかける神秘な発光体であることだけは理解できると思う。
そして、蕪村もまた同じように、「貧しき町」を通りかかったとき、この世ならぬ姿をした「月」を見てしまったのだろう。