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韓国人のプライドの根底にあるもの

 8月22日以降の夜のニュースは、どのメディアにおいても、韓国によるGSOMIA(ジーソミア=日韓軍事情報包括保護協定)の破棄通告がトップニュースを飾っている。

 

 日本の安全保障問題の解説者はみな一様に、この韓国政府の決定を “愚行” というニュアンスに近い言葉で表現した。

 

 日本政府の高官たちの発言によると、(韓国政府のGSOMIA破棄通告は)軍事合理主義的には考えられないような決断であり、政治的にも経済的にも、理性的な配慮をはなはだしく欠いた行動だという。

 

 しかし、こういう観察は、文在寅ムン・ジェイン)政権による今の韓国が合理性を重んじる “近代国家” だという前提で成り立っている意見にすぎず、「近代国家」という枠組みを外せば、別に驚くに当たらない。

 

 「近代国家」が地球に誕生する以前には、政治常識や経済合理性よりも、国民の感情的な盛り上がりや政権のプライドやメンツを優先して、時に無謀な戦争に突入していった国もたくさんあった。

 

 中世のヨーロッパ諸国で盛り上がった十字軍の遠征などは、意味のない宗教的な高揚感に突き動かされて中東に軍隊を進めた国家的愚行の最たるものだった。

 

 つまり、文在寅大統領は、「日本憎し」のあまり、近代国家としての政治力学や経済成長を無視した情念的決断を下したのであり、それによって、今の韓国は、浮世離れした理想主義によって国民統一をめざすイデオロギー国家だったということが、より鮮明な形で浮き彫りになった。

 

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 20世紀には、ソヴィエト連邦中華人民共和国北朝鮮のような社会主義イデオロギー国家がたくさん登場した。
 それらはみな国民の感情に訴えるプロパガンダを駆使して、国民を洗脳しようとした。

 

 しかし、現実的な視点を欠いた理想主義的国家運営がうまくいくはずはなく、ソ連は崩壊し、中華人民共和国は、当初の理念を修正して共産党独裁による資本主義国家へ宗旨替えし、北朝鮮も「社会主義国家」とは無縁の “金王家” が支配する独裁帝国としての道を歩んだ。

 

 もちろん韓国は、自由主義陣営に名を連ねる “民主主義国家” という体裁をとっている。

 

 しかし、文在寅ムン・ジェイン)大統領の目指しているものは、民主主義の精神を象徴する “多様性” を排除し、自分自身の理想を実現するための実験的な国家である。

 

 すなわち、現実政治とは無縁の抽象的な「夢」や「理想」で国民を引っ張ろうとする国家を目指している。

 

 そういった意味で、今の文在寅ムン・ジェイン)政権のやっていることは、冷戦構造の崩壊によって20世紀型社会主義イデオロギー国家が消滅したあとに登場した “新・イデオロギー国家” といえるものかもしれない。

 

 文在寅氏とその側近たちにとって「政治」とは、「正義」を実現する手段にほかならない。


 その場合の「正義」とは、かつて朝鮮半島を植民地支配した日本を徹底的に断罪し、日本を擁護する保守派勢力を韓国内から完全に排除することである。

 

 文在寅ムン・ジェイン)大統領は、先の8月15日の「光復節」の演説において、「2045年には朝鮮半島における南北統一を実現し、それによって経済的にも日本より優位な立場に立つ」と明言した。

 

 この発言そのものが、現実よりも理念を優先するイデオロギー的判断にほかならない。


 政治形態も国家運営理念も異なる北朝鮮と、いったいどうやって統一を実現しようというのだろう。

 

 そもそも自分の体制の存続しか考えていない北朝鮮金正恩委員長と、いったいどういう連携を取るつもりでいるのか。
  
 もし、今の状態で南北統一が実現すれば、韓国の国民が北朝鮮の人民と同じように、言論弾圧思想統制を受けるような国が生まれることになることは火を見るよりも明らかである。

 

 なのに、文在寅大統領は、そういう未来予測には目をつぶり、半島が統一されることに対する “夢” の部分しか語らない。
 
 南北統一が実現すれば、日本を超える経済大国が極東に出現することになり、長年続いた日本の優位性をくつがえす理想国家が誕生するという。

 
 もちろん、今のところ数値的にそれを裏付ける根拠はなく、文大統領の頭の中にしか存在しない能天気なビジョンにすぎない。

 

 しかし、彼は国民に嘘を言っているのではない。
 ほんとうに “バラ色の未来” を確信しているのだ。 
 ただ、彼のいう “バラ色の未来” は、現実を無視することによってようやく見えてくる幻想の未来でしかない。
  
  
 しかし、それにしても、なぜ文在寅ムン・ジェイン)大統領を中心として現政権は、それほど日本を敵対視するのか。

 

 そこには、日本人には理解できない彼らの「歴史観」というものがあるように思える。

 

 その「歴史観」とは何か。

 

 彼らの歴史観は、
 「我々は日本人より優越した民族である」
 という自負に支えられたものだ。

 

 もちろん、それには根拠がある。
 東アジアの歴史は、政治においても文化においても、常に中国が指導的な立場に立って周辺国をてなづけるという形で推移してきた。

 

 地政学的にも中国の脅威から逃れられないと悟っていた朝鮮半島の人々は、常に中国周辺国のなかのナンバーワンという地位を目指して研鑽を重ねてきた。

 

 つまり、朝鮮民族は、
 「自分たちは、日本よりも早く中国文明に接した先進民族であり、文明的にも人格的にも、日本人より上である」
 という意識を長い時間をかけてつちかってきたのである。

 

 ところが、近代になって、“後進国” であるはずの日本が突然国力を伸ばし、あろうことか、朝鮮半島に侵略を開始した。


 一時的にせよ、今まで見下していた日本人の統治を受けたということは、朝鮮民族にとって忘れられない屈辱だといっていい。

 

 そういう彼らの “痛み” に対して、ほとんどの日本人は無自覚である。

 

 これははっきり日本が悪いといえるのだが、朝鮮を支配した当時の日本人は、あからさまに朝鮮人を侮蔑して差別していた。

 

 それは、朝鮮半島を占領していた昔の日本軍の国策からきた悪しき風習であったと思う。

 

 日本が戦争に負けて、半島から撤退しても、当時の日本人が口にしていた「朝鮮人」という言葉には、どこか侮蔑的な響きがこもっていた。

 

 人をバカにする用語のひとつに、
 「バカだ、チョンだ」
 という表現があるが、その「チョン」とは「朝鮮人」を指す蔑称だという見解もあり、その後、この表現はだんだん使われないようになった。

 

 しかし、そういう表現が生まれるくらい、昔はあからさまな朝鮮人差別があったのだと思う。

 

 私自身の記憶をたどっても、1950年代、私の叔母などが家族の会話のはしばしで朝鮮民族を差別的に語っていたことがあった。

 

 その後、半島系の人々を侮蔑的に語る風潮はじょじょに影を潜めていったが、現在70代から80代ぐらいの日本人のなかには、昔、半島系の人を差別して侮蔑していたという記憶を持っている人がかなりいるのではなかろうか。

 

 当然、在日韓国人のなかには、老人を中心に、日本人から侮蔑的な待遇を受けたという記憶を消せない人もいるはずである。


 現在韓国にいる人でも、古い人は、当時日本人から差別されていたという苦い思い出を持っている人がいるように思う。

 

 もちろんこういうことは、日本人においても、韓国人においても、若い人は知らない。


 私(69歳)自身も、自分の生活のなかには実感がない。
 ただ、私たちの上の世代は朝鮮人を差別していたという事実が当時の記憶をただっていくと、何となく見えてくる。

 

 文在寅ムン・ジェイン)大統領が、
 「日本人は加害者なのだから謝罪しなければならない」
 と常にいうのは、かつて日本人が朝鮮人を差別していたという事実に照らし合わせてみれば、その部分だけは正しいような気もする。

 

 現在の文在寅ムン・ジェイン)政権が日本に要求してくる様々な事案はすべて理不尽な言いがかりにすぎないが、だからといって、事務的に、機械的に突っぱねているだけでは埒(らち)が明かない。 

 

 実際の交渉は政府に任せるしかないが、われわれ民間人は、韓国人のプライドや、それが傷つけられたときの痛みなどについて、少しは想像してやってもいいように思う。