アートと文藝のCafe

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七歳までは神の内

 一番最初にお化けを見たのは、3歳ぐらいのときだった。
 いま住んでいる町に越してくる前。
 古びた町の古い一軒屋の中で、両親と伯母と4人で暮らしていた頃だ。

 

 一軒屋といっても、今の感覚でいえばスラム街のバラック。 
 柱はみな黒塗りながらハゲだらけ。わずかに広がる庭に面した縁側は敷き板が腐りかけ、その隙間から下の地面が見えていた。
 庭には茫洋と雑草が生い茂り、いつも荒野の風にさらされているようだった。

 

 しかし、当時はみんなそんな家屋に住んでいたので、うちだけが貧乏というわけではなかった。

 

 間取りは6畳ほどの居間と、父親の書斎兼応接間。
 あとは、床が抜けそうに頼りない板敷きの台所。

 

 台所では、そこだけは“文化的”ともいえるタイル張りの流しの上を、しまりの悪くなった水道栓から漏れる水のしずくが、ぽたりぽたりと眠そうな音を立てていた。
 
 娯楽はラジオぐらいしかない時代。
 それも深夜などにはもう雑音すら入らない。
 ラジオが終わると、居間に布団を敷いて、みんな一斉に寝る。
 静かな夜の時間が長い暮らしをしていたのだと思う。
 
 夜中に目が醒めた。
 小さな裸電球の灯りの下で、両親と伯母の立てるかすかな寝息が部屋の底に澱んでいた。
 
 一人起きているのは寂しいので、また眠ろうと思い、目をつぶる。
 しかし、眠気は遠くに去っている。

 

 気配を感じた。

 

 4人しかいない部屋の中に、何かが潜んでいる気配が漂っている。
 生きているものが発する気配ではない。
 闇の底から、空気の裂け目をぬって這い上がり、そっとたどり着いたものが、この部屋にいる。

 

 思い切って目をあけると、カビで煤けたような天井板の木目がゆっくりと輪を描き始めていた。

 

 その輪が、海峡の渦巻きのように次第に勢いを増してくる。

 

 怖くて、布団を口元あたりまで引き上げた。
 もう眠れない。

 

 思い切って、また目を開ける。
 異変など何も起こっていないことを確認するつもりで、ことさら目を大きく見開いた。

 

 木目の渦巻きは、今や天井全体を飲み込みそうだった。

 隣りに寝ている母親を起こそうかと迷った。
 しかし、体が硬直して、声が出ない。

 

 そのとき、部屋の奥に置かれた箪笥の上から、手が伸びた。
 老人の皮膚に似た枯れた木立のような腕が、箪笥と天井の隙間からするすると伸びてきて、こっちに向かって「おいでおいで」を始めたのだ。

 

 揺れる腕は、あたかも渦巻く天井に上がって来いとでもいわんばかりに、しつこく私を誘ってくる。

 

 絵本などでお化けの話をさんざん聞かされたりしたが、よもや本物に遭遇するとは思ってもいなかった。


 童話では、こういうとき、魔物を退散させるための呪文を唱えることになっている。

 

 しかし、自分はその呪文を覚えていない。
 あの手が、寝ている自分のところまで迫ってきても、それを追い払うすべがない。

 

 もう目をつぶることができない。
 目を閉じれば、すぐにも自分はその腕に抱きすくめられ、どこか知らない世界に連れて行かれることは必至であるように感じられたからだ。

 

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 でも、いつのまにか寝た。
 眠ることができたのは、極度の恐怖で神経が消耗しきったからだと思う。

 

 あのときほど、朝の到来がありがたく感じられたことはない。
 朝日が部屋に差し込む平凡な日常が始まり、私はようやく胸をなでおろすことができた。

 

 「入眠時幻覚」、あるいは「脳内物質の代謝異常」。
 今なら、そんな言葉で自分を納得させることができる。

 

 知覚訓練が十分になされていない幼児のやわな神経がもたらせた一瞬の幻影であることは分かっている。

 

 しかし、箪笥の上から伸びてきた枯れた腕のなまなましい映像は、いまだに脳裏から消えない。
 
 昔は、「七歳までは神のうち」という言葉があった。


 それほど、幼児の死亡率は高く、無事に成人することが「祝い事」の対象となるような時代を、人類は長く持った。

 

 七歳までの生命をまっとうし得なかった子どもたちは、みな天井から伸びてくるあの枯れた腕に抱きすくめられたのだろうか。