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マル・ウォルドロン『忘却のワルツ』

  
 

音楽批評 
WALTZ OF OBLIVIOUS
「忘却のワルツ」 

 この曲は、ジャズピアニストのマル・ウォルドロンが、1966年3月1日、イタリアのミラノで吹き込んだソロアルバム『All Alone(オール・アローン)』の中に収められた1曲である。
 アルバムのトップは、彼の代表作といわれる「レフト・アローン」と並ぶ名曲といわれる「オール・アローン」(↓)で飾られている。

 

 

 このアルバムを手に入れたのは、二十歳ぐらいだったろうか。
 時代でいえば、1970年か、1971年。
 もちろん、収録曲ではいちばん有名な「オール・アローン」に惹かれたことが、その購入動機だった。
 
 その曲と、どのようにして出遭ったのか。

 高速道路のアスファルトが、晩秋の色に染められた夜明けだった。
 交通量の少ない第三京浜の玉川インターが迫り、薄紫に明け行く道の彼方に、照明をともしたままの料金所の建物が見えてきた頃である。

 

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 ドライバーを務めていた友人が、トラックドライバー向けの演歌番組からラジオのチャンネルを変え、ジャズ番組に切り替えた瞬間だった。
 「オール・アローン」のとつとつとしたピアノの響きが、薄く開けたフロント席から流れ込む風とともに、首筋に絡みつき、背中を伝って流れた。
 
 …… 冷気に触れた ……

 そんな思いだった。
 フロントガラスの向こうを、神がさびしそうな背中を見せて遠ざかる姿を眺めるような、厳粛な気分がこみ上げてきた。

 「これ、誰のピアノ?」
 私は、眠気を必死にこらえながらハンドルを握る友人に、そう尋ねた記憶がある。
 「さぁな
 友人は、無愛想に吐き捨てて、眠気ざましの煙草を口にくわえた。

 リヤシートからは、深夜のドライブに同行した3人の友人たちの寝息が聞こえてくる。
 ドライバーは、その3人の寝顔をルームミラーでときどきにらみ、
 「なんで俺だけが、睡魔と闘いながら運転しなきゃならねぇんだよ」
 という気持ちを、露骨に横顔に浮かべていた。

 
 酒、麻雀。そしてどきどきナンパ。
 その車に乗っていたのは、そんな目的でつるんでいた友人たちであった。
 
 「横浜に行こうぜ」
 四畳半一間の安アパートで酒を飲んでいた4人のうち、誰かが酔った勢いで、突然叫んだのだ。
 「何しに行くんだよ、こんな夜中に」
 「ナンパだよ、ナンパ。… 横浜って、けっこうまぶいスケが多いんだってよ」
 「よし、行こう !」
 「どうやって行くんだよ。電車なんて動いてないぜ」
 「ミズノ・キヨシを呼び出そう。やつを起こして、あいつの親父の車を運転させよう」

 午前2時だった。
 友人を友人とも思わぬ傍若無人のワガママが、当時の私たちの流儀だったのである。
 
 深夜の突然の電話に起こされた友人は、それでも律儀に親父の車をこっそり車庫から持ち出し、私たちが飲んだくれている安アパートに姿を現した。

 「ひょー、車、車 !」
 当時、私たちは、まだ車はおろか、運転免許すら持っていなかった。
 だから、免許を取得し、家に車がある友人というのは、貴重な存在であったが、その友人に対し、私たちは尊敬の念を持つこともなく、ただ、いいように利用していたのだ。


 深夜の本牧、元町はさびしいところだった。
 伊勢佐木町あたりにでも行けば別だったのかもしれないが、私たちは横浜という町に対する知識をほとんど持っていなかった。

 いしだあゆみの「ブルーライト ヨコハマ」
 平山三紀の「ビューティフル ヨコハマ」

 私たちが知っていたのは、歌謡曲で歌われる、ネオンライト輝くカタカナ書きの無国籍空間の横浜でしかなかった。

 人気が絶え、どの店もシャッターを下ろしていた元町の車道に乗り入れ、
 「ここ、ほんとに横浜?」
 と疑った仲間もいたくらいだった。
 
 洒落た店舗の連なる元町の表通りは、人の姿が消えてしまうと、逆に廃墟のような寂しさを浮かび上がらせる。
 その通りを、風に舞う紙切れでも滑っていけば、それこそ西部劇に出てくるゴーストタウンだった。

 本牧あたりの車の通らない道は、もっとさびしかった。
 だだっ広いだけの産業道路は、街路灯の無機質な光を照り返らせ、まるで人の死絶えた、核戦争で滅びた未来都市に見えた。

 

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 「帰ろうぜ」
 誰かが、物憂そうな声をあげた。
 「そうだな。歌舞伎町か六本木にでも行けばよかったな」
  
 帰りの車内は、来るまでのバカ騒ぎがウソのように消えた、静まり返った空気に包まれた。

 ―― いつまでもこんな生活が続くわきゃねぇよ。
 私は、ドライバーの運転するトヨタ・コロナの助手席に体を沈め、流れる街路灯を横目で追いながら、一人で思った。
 ―― 「学生」という身分に踏んぞりかえって、親のスネをかじって遊ぶ毎日。
 ―― お前 (と自分自身に問う)  お前、将来何をやりたいの?
 
 心の中に、空虚な空洞が広がっていく。
 吸う煙草も切れて、車の灰皿から吸えそうな吸殻を見つけて、火を付ける。
 そのとき、マル・ウォルドロンの「オール・アローン」がかかったのだ。

 絶対的な孤独。
 頼れるものを失い、ヒリヒリするような虚無と向き合うことの恐ろしさ。
 夜明けの空の下に流れて来た「オール・アローン」は、そんな感情も呼び起こしたが、なぜか “爽やか” だった。

 

 ―― さびしいってことは、すがすがしいものなのかもしれない。

 そのとき、まだ考えたこともなかった “大人” になることの切なさというものに、かすかに触れたような気がした。

 

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 このアルバムは、マル・ウォルドロン( ↑ )がアメリカからイタリアのミラノに渡り、そこのレコーディングスタジオで録音したものだと言われている。
 彼にとって、ヨーロッパは新天地。
 自分の新しい仕事の展開に希望もあっただろうが、未知の土地での初仕事に不安もあったのだろう。

 そのかすかな “おののき” が、シングルトーンでくり出されるピアノの響きに深く垂れこめている。

 「これはジャズではない」
 という人もいる。
 ジャズの条件となる、スウィング感に乏しいとも。
 確かに、ジャズよりはクラシック音楽のタッチに近い。


 しかし、人間の感じる “さびしさ” というものを、これだけ「音」で表現尽くした音楽というものを、私はほかに知らない。

 実際に、このレコーディングのとき、ほんとうはベースとドラムスを担当する2人のサイドメンが来るはずになっていたという話がある。
 しかし、待ち続けるマル・ウォルドロンのもとに、ついに彼らは姿を現さなかった。
 仕方なく、彼は一人でスタジオのピアノに向かった。 

 

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 このエピソードが事実なのかどうか、私は知らない。
 確か、レコードのライナーノーツにそう書いてあったような記憶もあるが、今そのレコードは倉庫のようなところに仕舞われているので、確証が取れない。
 いずれにせよ、そんな話がまことしやかに語られるほど、このアルバムは、絶対的な “孤独” というものを表現しているということなのだろう。

 もう一つの名曲「レフト・アローン」と比べてみると、こちらの方が、より絶望の度合いが濃いように感じられる。
 「レフト・アローン」の方には、かすかなセンチメンタリズムが漂う。
 甘さが残るのだ。
 しかし、この「オール・アローン」には、その甘さがない。
 そこが、私は好きだ。
 
 
 『オール・アローン』というアルバムは、タイトル曲以外の曲にも、みな静かな憂愁が刻印されている。
 通して聞いていると陰々滅々たる気分になるが、心が塞いでいるときは、それが「癒し」になる。
 人間、さびしいときは、“明るいもの” に癒されるとは限らない。 
 むしろ、暗くてさびしいものから、元気をもらうことだってあるのだ。
 『オール・アローン』は、そんなことを教えてくれるアルバムだ。

 

 どの曲もみないいが、私は最後に収録されていた「忘却のワルツ」からいろいろなインスピレーションをもらった。
 「忘却のワルツ」では、メインテーマが奏でられたあと、延々と同じ旋律がリフレインされる。
 「不器用」という言葉が当てはまりそうな、とつとつとした演奏だが、深夜一人で聞いていると、それが、恐ろしく感じられてくる。
 底の見えない螺旋(らせん)階段を、ずっと下降していくような気分になるのだ。
 一生かかっても降りられない地下への道が見えるような気がする。

 

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 昔、この曲にインスパイアされて、小説を書き始めたことがある。
 盲目の美少女に、叶えられることのない恋をしてしまう青年の話だったが、書いている途中、とてもマルの「忘却のワルツ」の凄さに敵わないことが自分でも分かってしまい、途中であっさりとあきらめた。

 

 芸術作品は、未完であることを恥とするものなのだろうが、この「忘却のワルツ」に触発されて創造されるアートのたぐいは、おそらく絵でも小説でも、終わることのないものへの “おののき” を呼び覚まして、中座するだろう。
 そこには、人間の感性では捉えることのできない「永遠」というものが、横たわっているからだ。

 

▼ 「忘却のワルツ」

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