- 日本(出身)の作家 1937年(昭和12年) 東京都に生まれる。 日比谷高校、学習院大学文学部哲学科卒。 イタリアに渡ったのち、1968年に作家としてデビュー。以降、「ローマ人の物語」を始め数々の著作を送る。 2006年12月、1992年から刊行されてい.. 続きを読む
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塩野七生の珠玉の
ロマンチック・ストーリー
私がかつて読んだ本のなかで、もっとも華麗で、美しく、切ない恋物語は何かと尋ねられれば、ためらうことなく、塩野七生氏が書いた「エメラルド色の海」を挙げるだろう。
1975年に発表された『愛の年代記』に収録された一編で、わずか26ページほどの短い物語にすぎないのだが、ここには人間が恋愛を語るときに思いつく、想像力の限界に挑戦するかのような、耽美なレトリックが盛り込まれている。
語られる時代は、イタリアルネッサンス期。
舞台は、ヨーロッパのキリスト教国家と、アジアのオスマン・トルコ帝国が対立していた地中海世界。
主人公は、イタリアの有力都市国家であるサヴォイア公国の女官長を務めるピアンカリエリ伯爵夫人。
その伯爵夫人が、運命のいたずらによって、極悪非道な振る舞いで恐れられているトルコ海賊の首領に恋をしてしまうという話である。
イタリアの民間に語り継がれている伝承をベースに、塩野氏が脚色した物語のようだ。
トルコ海賊の名は、ウルグ・アリ(有名な人物だ)。
そのウルグ・アリの巧妙な作戦によって、領国を巡行していたサヴォイア公とその兵士たちが浜辺の戦いで捕虜になってしまう。
海賊の要求は、膨大な身代金のほかに、もう一つあった。
それは、「サヴォイア公妃に直接拝謁して挨拶を申し上げたい」というものだった。
身代金だけならば、払ってしまえば後腐れはないが、公妃が身分の卑しい海賊に拝謁を許したということになれば、他の西洋諸国からどのような嘲笑を浴びせられるか分からない。
トルコ海賊との駆け引き
困り果てたサヴォイア公国の宮廷は、偽物の公妃を立てて、海賊の首領であるウルグ・アリを騙すことにした。
そのニセの公妃に志願したのが、女官長のピアンカリエリ伯爵夫人だったのである。
伯爵夫人は、こみ上げてくる恐怖と緊張に耐えながら、謁見の広間で、公妃の席に座り、ウルグ・アリの来訪を待つ。
不気味な人相の下品な男を想像していた夫人は、目の前に現れた男の美しさに驚嘆する。
以下、引用しよう。
「きらびやかな金色のどんすのトルコ風長衣とガウンにつつまれ、白絹のターバンが東洋風な威厳さえただよわせながら、男は、ひざを折って丁重に礼をした。
夫人は、トルコ帝国のスルタンを眼前にしているのではないかと、一瞬ではあったが思ってしまった。
それほど、海賊アリの容姿は洗練されていた」
もともとウルグ・アリという男は、トルコ人ではない。
南イタリアの生まれで、漁村を襲ったトルコ海賊に拉致され、若い頃から奴隷船の漕ぎ手として酷使されたイタリア人だったのである。
しかし、並外れた胆力と、鋭敏な頭脳に恵まれたアリは、やがて一隻の海賊船を指揮する船長に抜擢され、さらにアフリカの各港町を治める総督に出世し、最後はトルコ帝国海軍の総司令官にまで上り詰めた人物である。
だから、小国の伯爵夫人が一目見ただけで魅了されてしまうのもやむを得ない男であったのだ。
塩野氏が描くアリの容貌は次のようなものだ。
「トルコ風の細い口ひげの顔は、長い海の上の生活のためか、浅黒く陽焼けし、栗色の眼が、夫人をじっと見据えて動かない。(そして話す言葉は)南イタリアの男がしゃべるときの荒々しく官能的な響きをたたえていた」
夫人には、目の前にいるウルグ・アリに比べ、サヴォイア公国の男たちの方が卑しく思えてくる。
生まれの良さだけを誇りにし、出身の貧しい者を常に嘲笑い、そのくせ臆病で、政治や軍事にもうとく、宮廷の女官たちとの恋だけにうつつを抜かすサヴォイア宮廷の男たち。
それに対し、ウルグ・アリの夫人に対する礼儀作法は、どのキリスト教徒の男よりも洗練され、会話は機知に富んでいた。
アリの持っていた美質は、自分の夫も含め、夫人の周りにいるキリスト教徒の男たちが、持ち合わせていないものばかりだった。
伯爵夫人は、はじめて女の心をときめかせる “本物の男” に出会ったのだ。
美しき海賊王
夫人と最後の挨拶を交わした後、海賊アリは、
「そばに控えていた従者に、トルコ語で鋭く何かを言った」
すると、
「打てば響くような素早さで、従者が進み出、夫人に小箱を捧げた」
中に入っていたのは、首飾り。
「まるで金の雲の切れ目からのぞく地中海のように、大きな角型のエメラルドのまわりは、繊細な唐草(からくさ)模様の金細工でふちどられ、そのまま金雲がたなびくよう弧を描いて、緑色の宝石にもどってくる」
… という見事な芸術品を送られた夫人は、男が立ち去った後も、その場にぼう然と立ち尽くし、やがて城壁に登り、去っていく海賊船を眺める。
「5隻のトルコ船が、いっせいに櫂を(かい)を水平にあげ、水鳥が飛び立つ瞬間の姿になった時、夫人の胸の奥に、熱い何かが急にこみあげてきた。
翼を広げたように水平に並んだ櫂が、次の瞬間、ふわりと海面に落ちる。そのまま軽やかに、海水を切り始めた。
たたまれていた帆が、するすると帆柱を伝わって伸びたかと思うと、すぐにいっぱいの風をはらんだ。
5隻のトルコ船は、一隻ずつ列をつくって、みるみるまに遠ざかっていく。
あの船は、薄い青色のこの海を離れて、濃い緑色の輝く地中海の中心に向かうのだろう、自分は見たことはない、だが人づてに聞く話では、まるでエメラルドのような色をしているという、海に向かって」
込み上げて来る “切なさ”
いやぁ、なんとも見事な描写 !!
一糸乱れぬ美しい操船によって、トルコ船団が立ち去る情景は、そのまま司令官ウルグ・アリの統率力や自信や美意識のあり方を描いており、その船が向かう先に広がる “見たこともないエメラルド色の海” は、夫人がはじめて「恋」という未知の体験を知ったことを表現している。
もう、この人の文章のうまさには、一生かかっても追いつくことができない。
▼ 『ルネッサンスの女たち』でデビューした頃の塩野氏
伯爵夫人は、そのたった1回の出会いを大切な思い出として胸の奥深くしまい込んだまま、静かな宮廷生活を送る。
敵対する異教徒の、しかも “卑しい” 海賊に恋をしたなどと打ち明ける相手が、宮廷の中にいるはずもない。
誰もが、“無知で野蛮な” 海賊をだまし通した夫人の胆力を賞賛するが、そのことで、夫人はいっそう傷ついていく。
一方、海賊の首領ウルグ・アリは、やがてトルコ正規海軍の提督として、全キリスト教徒の軍隊から憎まれる存在となり、地中海世界に君臨する。
しかし、彼もまた、二度と会うことのなかった伯爵夫人に、キリスト教徒の騎士が胸に秘めるような尊敬の念を、生涯抱きつづける。
ある日、サヴォイア公国に出入りする商人の一人が、伯爵夫人に、ウルグ・アリと会ったことをそっと打ち明ける。
「ウルグ・アリは、あの時会ったのが、公妃でなかったことを知っています」
と商人はいう。
「しかし、アリは、あなた様の正体を尋ねたあと、ふと微笑をもらし、大胆で勇気があって、それでいて優雅で美しい方だった、と独り言のようにつぶやいたのです」
そして、商人は、ウルグ・アリから預かったという贈り物を夫人に見せる。
それは ヨーロッパ社会では手に入らないような、見事な刺繍に彩られたエメラルド色の布地だった。
光によって色を変える
エメラルド色の布地
「緑色と金と銀が微妙に織り込まれた布地は、日の当たる角度で色が変わった。それは、織物を扱いなれた商人ですら、見とれてしまうほどの素晴らしいもので、朝と昼と晩で、別の布のように見えた」
と、塩野氏は書く。
商人が立ち去った後、夫人は侍女も遠ざけ、部屋に閉じこもり、錦の巻き物を部屋中に広げて、小箱からエメラルドの首飾りを取り出し、そっと布の海に置く。
そして、耐えきれなくなり、寝台の上に倒れ伏したまま、少女のように声を放って泣くのである。
そこまで読んだとき、もう「ロマンチック」という言葉は、この物語のためにあるような言葉だと、私には思えたものだった。
もちろん、夫人は、自分の恋心を相手に伝えるすべも知らず、アリの方も、夫人がプレゼントをどのような思いで受け取ったかを知らない。
でも、本当の恋愛というのはそういうものである、という思いが私にはある。
実は、私にも、自分が海賊ウルグ・アリにでもなったような思い出がある。
たった一度だけの機会であったが、仕事で塩野七生さんと会うことがあり、彼女が泊っているホテルの部屋に出向いたことがあるのだ。
昔から、塩野さんの著作を読み続けてきた私にとって、塩野七生さんは、それこそ、「エメラルド色の海」に登場する伯爵夫人のように、生涯まぶしく輝き続けている人であった。
仕事の打ち合わせを終え、私は、1冊だけカバンの中に忍ばせていた彼女の著作を差し出し、サインを所望した。
それが、「エメラルド色の海」が収録された『愛の年代記』だった。
この本は、生涯自分の宝になっている。
▼ お仕事をお願いした頃の塩野七生氏