昨今のニュースを見ていると、韓国と日本の “経済戦争” の推移をレポートする報道が連日続いている。
特に、日本が、韓国に対する輸出管理上のカテゴリーを見直すこと(ホワイト国除外)が決定した後は、韓国が国を挙げて日本批判を過熱させている様子が伝わって来て、怖いくらいだ。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領を筆頭に、韓国政権の日本政府批判はますますトーンを高めているし、一般国民は対日批判のプラカードを掲げて、日本に対する怒りを体全体にみなぎらせている。
特に、文(ムン)大統領の日本批判のトーンは、常軌を逸している。
彼は、日本に対して、
「問題がこじれた責任はすべて日本側にあり、加害者である日本が、盗っ人たけだけしく大きな声で騒ぐ状況は絶対に許さない」
と、閣僚を招いた緊急会議の席上で発言したとか。
文(ムン)大統領の過激な発言の真意
日本語に訳すとニュアンスの違いも出るのだろうが、いずれにせよ彼の発言には、聞いている相手の心を傷つけることだけを狙ったかのような “えげつない” 空気がみなぎっており、日本人にとってはただの無慈悲な恫喝にしか聞こえない。
これほど他国に対して、容赦ない罵詈雑言(ばりぞうごん)を放つ国家元首というのも珍しい。
アメリカのトランプ大統領も言いたい放題のスピーチをするが、彼の場合はユーモアのオブラートに包む余裕を見せるときがある。
それに対して、文(ムン)大統領のスピーチにはユーモアもなければ余裕もない。
思考が硬直化しているからだ。
だから、彼の言葉は冷酷であり、響きは下品である。
たぶん、人格が下劣なのだろう。
しかし、文(ムン)大統領の激しい口調は、韓国民には心地よく聞こえるのか、彼の支持率はここのところ回復基調にあるという。
日本のメディアが流す映像だけみると、韓国人が口々に日本批判を繰り返すシーンだけが映し出される。
買ったばかりの日本車を自分で壊す韓国人オーナーの姿が登場することもあれば、「五輪ボイコット」を叫ぶ人の顔もアップされる。
激高した顔で、「日本人の来店はお断り」とまくしたてる飲食店のオーナーも登場する。
なんで、そんなに日本が憎いのか。
われわれ日本人には、日本に憎しみを持つ韓国人の情熱がどこから湧いて来るのか、ちょっと分からない。
韓国人はすべて日本に敵対的なのか?
もっとも、一部のメディアの報道によれば、韓国人のすべてが日本批判をしているわけでもなさそうだ。
親日的な感情を持っている人も多いらしいが、そういう人たちに対し、いまの韓国全体の空気は、とてもそんなことを許すような感じではないらしい。
周りの勢いに押され、心とは裏腹に「日本を糾弾しよう !」と叫ばざるを得ない人も多くいると聞いた。
経済的に不遇な韓国人ほど反日的?
ある日本のメディアは、韓国で「反日」を叫ぶ人々の素性を明かすデータを探し出してきた。
それによると、教育レベルが低く、経済的にも不遇な人ほど “反日的” であるという結果が得られたという。
逆に、経済的に余裕があり、教育レベルの高い人には親日派が多いそうだ。
つまり、韓国内における「日本批判」というのは、経済的にも教育的にも貧しい立場に置かれている韓国人のうっぷん晴らしというのがその真実に近いようだ。
こういうデータがもし本当だとしたら、そこから見えてくるのは、「財閥解体」や「経済の向上」を訴えて人気を集めた文在寅(ムン・ジェイン)政権というのは、けっきょく自らの失策を日本批判でかわそうと姑息な政権であるということだ。
政治問題に詳しいある日本人ジャーナリストは、日本批判を繰り返す文在寅大統領と、一般の韓国民というのは分けて考えた方がいいという。
日本人から見ると、韓国人がすべてが「反日スローガン」を掲げて日本に牙をむいているように見えるが、実態はそうでもないとか。
文(ムン)大統領を支持する一部の過激な思想集団が国民を煽っているだけで、そのような圧力に対し、口で「反日」を叫んでも、心のなかではそういう動きに同調していない韓国人も多いのだという。
ただ、現在韓国人のメンタリティーを主導しようとしている思想集団の主張は、やはりどこか昔から韓国人が培ってきた精神性と切り離せないところもある。
韓国人のメンタリティーを保証してきたものは、歴史的にいえば「儒教」である。
儒教というのは、為政者が民を薫陶する術を述べた啓蒙書だから、基本的に「正義」とか「徳」といった抽象的情熱を称揚する傾向が強い。
そこにキリスト教的な思想が加味される。
韓国は東アジアでは珍しくキリスト教的な精神風土に色濃く覆われた国だが、(文氏もカトリック信者だといわれている)、キリスト教においても、「正義」と「徳」は賞賛される。
キリスト教的発想では、基本的に「正義」の敵対者は自動的に “悪魔(サタン)” とみなされる。
ある意味、宗教的「原理主義」である。
今の文在寅(ムン・ジェイン)政権の根幹にあるのが、この「原理主義」である。
彼にとって、日本と政治的な課題を話し合って妥協策を講じるなどというのは、「サタン」と妥協することになるから、忌むべき戦術なのだ。(原理主義にとって、“妥協” は最大の敗北となる)
文(ムン)大統領の対日戦略の根幹には、常にこの思想がある。
彼にとって、いま最大の悪(サタン)は「日本」である。
こういう彼の思い込みは、まさに “信仰” そのものだから簡単にひるがえることはない。
両国の民間協力が再構築されることに期待
ただ、私たちはいつまでも、この頑迷固陋な文(ムン)大統領の方針に従っているわけにはいかない。
現段階では難しいだろうが、文(ムン)氏の主張に対し、心の底では意を唱えている韓国の人たちと水面下で手を握り合って仲良くしていかなければならない。
この夏、たくさん計画されていた韓国と日本の民間交流もずいぶん中止されたようだが、こういうものは、話し合う場を再構築し、なんとか計画通りに実行できるようにできないものだろうか。
そして両国の政治首脳に対し、「民間は政府同士のケンカには飽き飽きしている」という姿勢を訴えていくことはできないか。
そのためには、日本人も、韓国に敵対するような言動や思想をまきちらす人間たちに自粛をうながす空気をつくらなければならないのではなかろうか。