アートと文藝のCafe

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メジャーセブンスの魔法

「都会の夜」を音楽で表現するときの和音

 

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 「都会の夜に似合うサウンド
 そんな言葉があったら、多くの人はどんな音楽を連想するだろうか。

 

 私の場合は、一言ですむ。  
 メジャーセブンス系の和音で作られた音だ。
  

 まばゆいネオンライトに照らされたストリート。
 車のホーンと、人の喧騒。
  
 そんな中を、車で泳ぎながら聴くか、もしくはシャンパンの匂いが漂い、ベルベットのカーテンが揺れるようなパーティ会場で聞けば、メジャーセブンスを多用した音楽は、得も言われぬ心地よさを発揮する。

 

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 たとえば、ジュニア・ウォーカーズ & ザ・オールスターズの『What Does It Take(ホワット・ダズ・イット・テイク)』。

 

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 私の好きな曲だ。
 甘いストリング・セッションを配した、いかにもモータウンらしいゴージャス感を持った曲で、私が最初に「都会の匂い」というものを嗅ぎとったR&Bである。

 

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  コード進行は、Gm7 と Fmaj7 の繰り返し。
 しかし、このセブンスの繰り返しよって、都会の軽佻な華やかさと、同時に、ほんのかすかだけど、アンニュイを含んだ都会の哀しさが漂ってくる。

 
 「都会の輝き(ブリリアント)」
 「都会の贅沢(ゴージャス)」
 「都会の頽廃(デカダンス)」
 「都会の憂愁(メランコリー)」
 「都会の倦怠(アンニュイ)」

 そういったものが、サックスの扇情的な音色にうまく表現されていると思う。

 

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 ソウルバラードの王者スモーキー・ロビンソン(下)の作った『Ooh Baby Baby』も、メジャーセブンスのコード展開を持つソウルバラードの傑作だ。

 

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 ♪ I did you wrong
    Gmaj7
 ♪ My heart went out to play
    Am7
 ♪ And in the game I lost you
    Bm7
 ♪  What a price to pay
    Am7

 

 「♪ I did you wrong」という歌い出しのしょっぱなからかまされるGmaj7。

 もうこれだけで、スパークリングワインの華麗な泡と、口を半開きにして唇を寄せてくる美女のほほ笑みが目に浮かんでくるようだ。

 

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 サビになると、このゴージャスなコード展開に分厚いコーラスが重なる。

 

 ♪ Ooo baby baby
    Gmaj7 Am7
 ♪ Ooo baby baby
    Gmaj7 Am7

 

 ここで、天井にまで上昇しそうな浮遊感に包まれない人はいないはずだ。

  

 
あの “浮遊感” はどこから?
  
 メジャーセブンスの醸し出す雰囲気を一言でいうならば、この「浮遊感」である。

 

 「宇宙をたゆたい、星と語り合う」
 そんな夢見心地の浮遊感こそが、メジャーセブンスの真骨頂だ。

 

 1977年に大ヒットしたフローターズの『フロートオン』は、まさにメジャーセブンスの “ふわふわ感” をそのまま歌詞にしたようなソウルバラード。

 

▼ フローターズのレコードジャケ

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 Aquarius(水がめ座)、Libra(天びん座)、Leo(獅子座)、Cancer(かに座)と、それぞれ自分の星座を告げるラルフ、チャールズ、ポール、ラリーというグループの面々が、
 「♪ ほらね、見てごらん、僕らが君の前に漂っているだろう?」
 と歌い出す。

 

 そして、お互いに手を携えて、ふわふわと虚空を上昇し、宇宙空間で星座のパノラマを眺めようと呼びかけるという、まぁ実に気宇壮大なバラードが、この『フロートオン』。

 
 (ビジュアルで見ると、この三流の手品師のような衣装と振り付けにちょっと引いてしまうところがあるけれど)

 

 ♪ Float, float on
   Gmaj7 Dmaj7
 ♪ Float on, float on
     Gmaj7 Dmaj7

 

 ロングバージョンともなると、11分の長丁場になるのだが、その全編が、この「Gmaj7」と「Dmaj7」の繰り返し。

 
 要は、「メロディー展開の妙で聞かせよう」などという戦術を、もう最初から放棄したような曲なのだ。
  
 それでいて、この退屈な曲に、催眠術にかかったような気分のまま、うっとりと引きずり込まれてしまうのは、やはり、メジャーセブンスのなせるワザとしかいいようがない。
 
 
青空にぽっかり浮かんだ雲の影


 では、なぜメジャーセブンスは、都会の夕暮れ空をさまような独特の浮遊感を手に入れることができたのか。

 

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 それは、和音を構成する音に秘密がある。
 つまり、メジャーセブンスコードは4音で構成された和音であるが、その4音の中に、長調短調の両方の音が混じっているのだ。

 

 つまり、「明るい長調」と「悲しい短調」がメジャーセブンスの中には共存している。 


 そのため、ピーカンの青空ようなあっけらかんと明るい音(長調)の中に、一点だけ雲がかかるような雰囲気が生まれる。

 

 明るいのか、陰っているのか。そのどちらづかずの “陰影” のようなものが、メジャーセブンスの浮遊感の正体だ。

 

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 このメジャーセブンスを、最初に意図的に取り入れて音楽を作ったのは、19世紀の音楽家エリック・サティ(上)だといわれている。

 
 彼が1888年に作曲した『ジムノペディ』では、それまでのクラシック音楽ではあまり使われたことのないGmaj7 → Dm7 という和音進行が採用されている。

 

 いま改めてこれを聞いてみると、まさに “浮遊感音楽” の元祖である。

 

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 明るいようで、暗いような。
 どこか、空中を取りとめもなく漂っているような。
 
 この『ジムノペディ』が呼び寄せるイメージを言葉で表すとすると、「透明感」、あるいは「空気感」という言葉に行きつく。

 

 いずれにせよ、それは光と影のコントラストがはっきり分かれる自然の中から流れて来る音ではない。

 

 真昼の太陽光でもなく、夜の闇の暗さでもなく、そのどちらともいえない淡い微光に包まれた空間を想像させる音。
 そう、これは人工照明の下に広がっている “都会の光” に満たされた音なのだ。

 

 もし、自然のなかで、このような音を想像させる光を求めるとしたら、それは夕暮れの一瞬でしかない。
 昼の「明るさ」や「爽やかさ」 と、夜の「暗さ」と「寂しさ」が、淡水が海水に交わるように交差する瞬間。

 

 そういう瞬間を音で表現するとなれば、それはまさにメジャーセブンスの音になるのだが、人間がゆっくり享受できる「黄昏(たそがれ)の贅沢」というものは、時間にしてほんの10数分でしかない。

 

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「終わらない夕暮れ」を手に入れた都会人

 

 しかし、やがて人類は、終わることのない「黄昏の贅沢」を手に入れることになる。
 近代的な都市空間が誕生するようになって、街の照明が 「いつまで経っても終わらない夕暮れ」 を出現させたのだ。

 

 エリック・サティが「ジムノペディ」を作曲したのは、1888年
 その翌年に、彼が暮らしたパリでは、万国博覧会が催されるようになる。

 

 このとき、「電気館」というパビリオンが登場し、そこでは、なんと電気を使った「動く歩道」なども出現し、電気照明に照らしだされた噴水は、万華鏡のような光をまき散らしたとか。

 

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 パリの街にガス灯が登場したのは、1830年代らしいが、19世紀末には電灯も登場。それこそ街には「永遠に終わることのない夕暮れ」が生まれた。


 エリック・サティは、その人工照明に照らし出された新しい空間を、音で表現した。

 それが、メジャーセブンスだった。

 

 

近代都市住民の感性を表現したメジャーセブンス

  

 都会というのは、人々が撒き散らす喧騒がしょっちゅう渦巻いている世界。
 だけど、そこに集まる人々は、農村のような共同体から切り離されたときの孤独感やら寂しさも味わうことになった。

 

 都市に住み着いた人々は、やがて、自分たちの気持ちを代弁してくれるような音楽がないことに気づく。
 “近代都市住民” の感性を表現する音が、メジャーセブンスという和音が生まれるまではなかったからだ。 

 

 というか、この手の不協和音を “心地よい” と感じる感性を、それまでの人類は持ち合わせていなかった。

 

 言い方を変えれば、このメジャーセブンスという音を手に入れることによって、ようやく「近代の都会人」が誕生したといえるかもしれない。


 だから、この音には、都会の開放感もあり、お洒落感もあるけれど、代わりに、帰るべき故郷を失った都会人の寂寥感も表現されている。
 
 
▼ ROCKバンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」による『ジムノペディ

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