人生のピンチは、何の前触れもなく、突然やってくる。
「なんでこんなときに?」
「なんで俺が?」
… みたいな不条理感をともなって、ピンチは、人の不幸に舌なめずりをする死の女神のように、足音も立てず、気がつくと、ひっそりと隣りにたたずんでいるのだ。
俺の最大のピンチは、思い出すだけで2回ある。
ひとつは小学校のときだ。
休み時間、校庭の鉄棒でくるりと逆上がりをしたとき、突然訪れた。
鉄棒の上で、口が閉まらなくなったのである。
開きっぱなしのまま、口が固まってしまったのだ。
最初は何が起こったのか、まったく呑み込めなかった。
鉄棒から降りて、足を地面につけても、相変わらず口が閉まらない。
顎(アゴ)がだらんと垂れ下がったまま、閉じようとする筋肉の意志をまったく受け付けなくなっている。
声を出そうにも、ふはふはふは、と喉の奥が鳴るだけで、声が出ないのだ。
「これって、アゴが外れた状態なのだろうか?」
恐怖がじんわりと足元からこみ上げて来た。
両手でアゴを挟む。
それをカクカクと動かしながら、骨と骨が噛み合うポイントを探してみる。
しかし、なかなか見つからない。
だんだん焦りが出てきた。
保険教室にでも駆け込んで、誰かの助けを借りるか。
そう思った瞬間、カチッという音とともに、見事にアゴが頭蓋骨に収まった。
九死に一生を得た思いだった。
もうひとつの絶体絶命のピンチは、社会人になってからである。
会社のトイレで小便をすませたあとだった。
ぷるんぷるんと飛沫を便器に跳ね散らかしながら、ズボンのチャックを上にあげた。
すると、チャックが途中で動かなくなった。
同時に、激痛が襲った。
チャックが自分の大事なアレ … なんていうんだろうか、男性の、いわゆる陰茎部とでもいうのだろうか。
その裏側の皮をはさんだまま、チャックが止まったのだ。
初期状態に戻そうと思い、チャックをもう一度下側に引いてみた。
激痛が走る。
… が、動かない。
皮に食い込んだチャックは、うんともすんとも言わない。
押してもダメ。
引いてもダメ。
次第に冷や汗が垂れてきた。
厳冬期の男性用トイレ。
窓から寒風が吹き込んでくるというのに、顔が紅潮して熱くなっている。
「こうなったら、もう病院へ駈け込もう !」
というくらい気合を込めて、血が出るのも覚悟の上で、思い切ってチャックをずり下げた。
「痛てぇ !」
… というほどのこともなく、あっさりとチャックは皮からはがれた。
陰茎部を裏側にひっくりかえし、子細に皮の様子をチェックしてみたが、それほどダメッジを受けた様子もなかった。
ホッと胸をなでおろす。
チャックを開けたまま、医者のところに飛び込むのもカッコ悪いところだったから、これも九死に一生を得たような思いだった。
ピンチは知らないうちにやってくる。
しかし、それを自力で乗り越えたとき、自分が一回りも二回りも大きくなったように感じる。
次は何が起こるのか。
怖いようで、楽しみだ。