アートと文藝のCafe

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“9・11” という悪夢

 
 ハイジャックされた旅客機が、アメリカのワールド・トレード・センター世界貿易センタービル)に突入し、旅客機の乗客と実行犯、および倒壊したビルで働いていた関係者2,977人が死亡した2001年の「アメリ同時多発テロ」。

 一般的に、「9・11」といわれる惨劇が起こってから、今年でちょうど20年になる。

 

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 20年前、私がこの事件の第一報を聞いたのは、新宿のROCKバーだった。


 アナログレコードを主な音源とした店で、お客同志で特定の音楽の話が弾むと、カウンターのなかにいた店主が気を効かせ、お客が話題にしたレコードをさりげなくかけてくれることもあった。
 その日も、1970年代ぐらいの心地よい洋楽が流れていた。
  
 私はその店で、小説家の桐野夏生氏の旦那と2人でウイスキーを飲んでいた。

 

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 突然、彼の携帯に電話が入った。
 「あなた、今どこにいるの? アメリカで大変なことが起こっているのよ」
 電話の主は、彼の奥さんだった。

 

 夜の10時半か11時ぐらいのことだったろうか。
 その時間帯には、すでに、航空機がワールド・トレード・センターに突入したのは事故ではなく、ハイジャック犯によるテロ攻撃だという情報が入っていた。

 

 店にいたお客の一人が、急いでノートパソコンをカウンターの上で開き、崩落するワールド・トレード・センターの映像をキャッチした。

 

 「あ、これは大変なことが起こっているなぁ!」
 その客の声に反応し、店にいた他の客もいっせいに自分の携帯電話が拾うニュースに耳を傾け始めた。

 

 店の狭いカウンターで、お客たちが顔を見合わせ、お互いに仕入れたばかりの情報を交換することになった。
 ハイジャックされた旅客機は2機だけでなく、そのほかにも無数の航空機がハイジャックされ、ペンタゴンホワイトハウスといった政府の主要機関に向かっているという話だった。

 

 家に帰り、テレビをつけると、炎を噴きながら崩壊していく高層ビルの映像が幾度となく放映されていた。
 画面に映し出されたその惨劇に、私は身のすくむような恐ろしさを感じた。
 

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 世界全体が理由も定かでもない不安に包まれ始めたのは、その事件の直後ぐらいからである。

 

 「テロの匂い」
 というやつなのだろう。
 街を行く人々が、みな敵対者に見えてくるような不安。
 人心が乱れ、暴力が横行するような予兆。
 そういうキナ臭い空気が世界中に蔓延するような時代が訪れた。

 

 実際、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、「テロとの戦い」を宣言し、実行犯たちを指揮したというウサマ・ビンラーディンが潜伏しているとされるアフガニスタンへの侵攻を開始。
 その後20年に及ぶタリバンとの戦いを始める。

 

 さらに2003年には、ブッシュ大統領は対イラク戦争に踏み切った。
 そして、イラクサダム・フセイン大統領を失脚させ、イラクとの戦いには勝利をしたものの、広く中東のイスラム勢力の「反米」機運を煽り立てる結果を招いた。

 

 その後、「反米」を掲げるイスラム過激派勢力は、アルカイダだけにとどまらず、一時崩壊したイラクの軍事指導者たちが IS(イスラム国  写真下)などに流れ込み、中東は無政府状態になっていく。

 

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 アメリカは、このイラクやアフガンで広がり始めたイスラム過激派集団の「反米闘争」を封じるため、大量の軍隊を中東に派遣した。

 

 しかし、それは莫大な犠牲をアメリカに強いた。
 費やした戦費は日本円で約700兆円。死亡したアメリカ兵士は7千人近くに達した。

 

 それだけの犠牲を払いながら、アメリカは何も手に入れることができなかった。
 逆に、アメリカと敵対したイスラム過激派集団は、たくさんのグループが戦闘員を増やし続けた。

 

 ある情報によると、現在の各過激派の戦闘員は約23万人。アメリ同時多発テロが起きた2001年と比べると、270%にふくれあがっているらしい。

 

 こういうイスラム過激派の戦闘員の増加は、いったい何を意味するのだろうか。


 
 私がよく分からないのは、彼らの闘争の形態に「自爆テロ」という手段がよく使われることだ。
 自分の身体に大量の爆薬を巻き付け、人の往来が激しいところまで自力でたどり着き、そこで爆薬を破裂させ、自己の死と引き換えに、大量の “敵” を同時に殺す。

 

 なぜ、そういう奇怪な攻撃欲が生まれて来るのか。
 自分で体に巻き付けた爆薬の導線を引くことに、本人はためらいや恐怖を感じないのだろうか。


 私にはそれが分からない。

 

 確かに、「自分の死と引き換えに敵に勝つ」というヒロイズムは、おそらく、人類が戦争というものを経験するようになってから広く生まれてきたように思う。
 
 その場合、「自分の死」を美化するイデオロギーが必要になる。
 いわば、「個人の死」を超越する絶対的な思想。
 そういったものを信じなければ、人間は簡単には死地におもむかない。

 

 イスラム過激派の「自爆テロ」では、「神がジハード(聖戦)による個人の死を望んでおられる」などという言説がまかり通っているらしい。
 「ジハードで死ぬと天国に行くことが保証される」
 自爆テロの指揮者は、よくそういってテロリストの背中を押すのだとか。

 

 しかし、それはイスラム教徒の間でも、ほんとうにごく一部の指導層だけが固執するイデオロギーに過ぎないはずだ。
 むしろ多くのイスラム教徒にとっては、そういう過激思想を信奉する集団は迷惑以外の何ものでもないだろうと思う。

 

 しかし、洗脳などによって特殊な境地を強いられた自爆テロリストは、過激派指導部のいう「ジハードの大義に殉じる」という思想を誇らしく思ったり、死の間際に高揚感に包まれたりすることもあるだろう。
 
 おそらく、そういう意識は、戦争中の日本の特攻隊のパイロットにも見られたものだったかもしれない。
 私には悲惨なものにしか思えないが、戦争中に特攻を強いられた日本の若い戦闘員たちにとっても、「皇国日本を救う」などといった「大義に殉じる」幻想を持たななければ、とても操縦桿など握れなかったろう。

 

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 このような「大義に殉じる」という思想は、どこから生まれるのだろうか。
 太平洋戦争中の日本においては、それは戦争を遂行する政府が国民に強いたものであった。

 

 では、現在のイスラム過激派の思想を遵奉する若者たちの意識はどうやって生まれるのか。

 ある学者の分析によると、それは欧米を中心とした白人社会に対する抵抗だという。


 
 経済力や軍事力において、中東を中心としたイスラム勢力は、欧米の白人勢力にかなわないことを19世紀に知ってしまった。
 かつては、アジア・アフリカを支配したイスラム勢力は、白人文化や白人の軍事力を圧倒するオスマン帝国のような巨大国家を樹立してきた。

 

 西洋の白人たちがそれを覆したのは、たかだか100年ぐらい前のことでしかない。
 しかし、そのことが、イスラムの地で生きてきた人々に精神的なコンプレックスを与えた。


 かつて欧米文化を陵駕するほどの栄耀栄華を築いたイスラムの人々は、プライドがそうとう傷つけられるという経験を持つことになった。

 イスラムの人たちを怒らせたのは、白人種が、あたかも自分たちの文化が最初からイスラム文化よりも優位を保っていたかのように振舞うことだった。
 
 それにくわえ、20世紀の終わりごろから経済のグローバル化が進行し、イスラム圏にも欧米企業が大手を振って参入し、地元資本を駆逐してファストフードやコーラに代表されるような下品な生活様式を浸透させていった。

 
  
 もちろん、イスラム教徒の家庭でも、お金を稼いで欧米に仕事場を得る人たちもたくさん出てくる。
 しかし、そこで彼らは待ち受けていたのは、宗教的・人種的偏見だった。
 
  イスラム教とイスラム文化を “異端視する” キリスト教文化。
 欧米に渡ったイスラム教徒の子弟たちは、まずこれに反発した。
 彼らは資金的にも豊かで程度の高い教育も受けていたから、キリスト教的な白人文化の傲慢さに敏感に反応し、それに嫌悪を感じた。

 

 そういう若者の間から、欧米の地を離れて中東に渡り、IS(イスラム国)の戦闘員になっていった人間がたくさん出てくる。

 

 そう見ていくと、自爆テロを起こした若者が、けっして、狂信的でもなければ貧困と無知の世界から生まれたわけでもないことが見えてくる。

 

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 実際に、9・11の「アメリ同時多発テロ」で旅客機を乗っ取ってワールド・トレード・センターに突入したモハメド・アタというテロリストは、ドイツのハンブルクで暮らし、英語にも堪能で、高い教育を受けた人物だったという。
 
 私自身は、多数の死者を出す自爆テロも、旧日本軍の特攻攻撃もすべて認めたくはない。
 しかし、そういうことが起こってくる背景を知ることは、テロや戦争の再発を防ぐためには重要なことかもしれない。

 

 我々も、20年目を迎えた「9・11」から、改めていろいろなことを学び直さなければならない。