2020五輪の柔道をテレビで見ていて、73kg級で金メダルをとった大野将平という選手の存在に強く惹かれるものがあった。
ちょうどこの日、柔道の話題としては、阿部一二三&阿部詩兄妹の「同日金メダル獲得」という快挙が話題になったが、私自身は、その後に登場した大野将平の存在感の方が印象に残った。
大野将平という人には、飛びぬけて “硬派” のイメージがある。
“チャラい” キャラクターの男に人気が集まる最近の風潮のなかにいて、彼は、それとはまったく別の存在感を示している。
それは、「無骨」、「剛直」という言葉にも近い個性だが、いってしまえば「質実剛健」。
その表情、言動、立ち居振る舞いには、最近の若者にはなかなか感じられない強烈なストイシズムが漂っている。
いわば、戦国時代を生き抜いた「古武士」。
戦場で、たとえ敵将の首を獲っても、相手の冥福を祈り、まずは合掌してから、丁寧に首を布で包み、敬いながら陣屋に持ち帰るという「礼儀」を知った武将の精神を持っている男のように思える。
彼は、金メダルを取った後のインタビューで、こう答えていた。
「自分にとって、競技は遊びの場ではない。それはいつだって戦場だ」
こういう言葉は、誰が使ってもサマになるというものでもない。
最近は、競技の緊張感から逃れるためか、試合に勝った後に、「思いっきり試合を楽しみました」と答えるアスリートが多い。
そういうアスリートは、勝利の瞬間に、拳を振り上げて雄たけびをあげたり、感極まって号泣したりする人もいる。
それはそれで、きわめて素直な反応だと思う。
そういう無邪気さは、応援するファンに「感動を与える」契機ともなるからだ。
しかし、大野将平は試合に勝っても笑わない。
試合の場である「畳」を降りるまで、感激を感じる感性がないのか? … と思えるほどの仏頂面を貫き通す。
彼の思考は、おそらく次のようなものであろう。
競技の場は真剣勝負の “戦場” なのだから、敗れた者は(首を取られたような)無念の思いに駆られるはずだ。
そんなときに、勝者が勝ちほかって笑みをこぼしていたり、雄たけびを上げていたりすれば、敗者はさらに屈辱の気持ちを強く持つかもしれない。
彼が試合に勝った瞬間に無表情を貫き通すのは、おそらく、そんな敗者への気づかいがあるからだろう。
誠に、彼は「武士」という言葉がふさわしい格闘家である。
きっとこれからますます人気が出るなぁ … と思った。
今の世の中で、こういう硬派の雰囲気を湛えた男性というのは珍しい。
ちょうどラグビー選手では、「笑わない男」として注目を浴びた稲垣啓太にも似た存在である。