例年この時期は、テレビなどで(太平洋戦争の)終戦にまつわる特集が組まれる。
WOWOWなどでも、映画『日本のいちばん長い日』、『アルキメデスの大戦』、『連合艦隊司令長官 山本五十六』、ドキュメンタリー映画『東京裁判』などが、ほぼ連日にわたって放映されていた。
「太平洋戦争」は、もう75年も前の出来事である。
当然、ほとんどの日本人の意識からは遠のいた “過去の話” かもしれない。
しかし、ことあるごとに、私たちはあの戦争が何であったのか、考え直す機会を失ってはならないと思う。
昔、「ホビダス」というブログサービスに頼って、個人ブログを運営していた頃、小林正樹監督の『人間の条件』という映画の感想を書いたことがあった。
その感想文のコメント欄に、一読者から反論が寄せられた。
それに対し、私もまた再反論のコメントを返した。
私とその読者の論争のテーマは、
「旧帝国陸海軍の思想と戦術をどう評価するか」
ということだった。
そのやりとりを読み返しているうちに、私が昔書いたブログ記事だけでなく、そのときのコメントの応酬そのものをここに再録するのが面白いと思うようになった。
以下に、『人間の条件』という映画に対する当時の私の感想をまず記し、その後に、ある読者から寄せられたコメントを付記する。
あらかじめ断っておくが、その読者とは同映画をめぐって意見の応酬を交わしたが、それ以降はお互いに好意的かつ紳士的なやりとりを繰り返した仲となった。
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『人間の条件』という映画の感想(2011年初出)
2011年にBS放送で、『人間の条件 第3部望郷篇』(小林正樹・監督/仲代達矢・主演)を観た。
第二次世界大戦のさなか、当時の日本が、どのような形で人々の「人間性」を損なうような戦争を遂行していったかという過程が、まさにドキュメントタッチといえるほどリアルに描かれていた。
原作は、五味川純平の小説であった。
旧満州で、製鋼所の社員として働き、軍隊に召集されてソ連国境を転戦し、捕虜生活を送ったという作者の体験が、そのまま生かされているという。
その小説を基にした映画が公開されたのは、1959年。
9歳だったとき、私は、この映画をリアルタイムで観ている。
母に連れられて、吉祥寺の映画館に行き、第3部「望郷篇」を観賞したのだ。
当時の私に、この映画のテーマが理解できたとは思えない。
ただ、おそろしく重苦しく、かつ恐ろしい映画であったという記憶はずっと残った。
旧帝国陸軍という組織が、いかに理不尽で非人間的なものであったかということは、ほぼこの映画で知ったように思う。
その後、昭和初期の日本軍が、いかに無意味な精神性ばかり強調した奇怪な組織であったかということを、いろいろなところで見聞きするようになった。
今なら、それは、戦局観の稚拙さ、兵站戦略のお粗末さ、兵器に対する認識眼の貧弱さなど、理詰めの部分でいくらでも批判することができる。
しかし、その奇怪な「組織」の中で、人間がどのような受苦を経験したかということは、やはり理屈だけでは分からない。多大な誇張があるにせよ、この映画は、そこのところでひとつの「真実」を提示しているように思う。
ただ、今回久しぶりにBS放送で観て、少し複雑な気分になった。
「人間」という言葉についてである。
私は一時、「人間性の解放」などという言葉を無邪気に使って自分の議論を進める人たちに、かなり懐疑的になっていた時期がある。
「人間」という言葉を振りかざすことで、“錦の御旗” を打ち振るように、あらゆる敵対者をヒステリックに断罪する考え方に、どこか馴染めないものを感じていたのだ。
私は、そこに古臭いイデオロギーの匂いを嗅いだ。
つまり、旧左翼思想家がよく使っていたロジックの欺瞞性を感じたといっていい。
「人間」という “誰にも反論できないような概念” の力を借りて主張する人々の傲慢さが、鼻持ちならなかったのだ。
そういう気分は、たぶんに70年代以降の新しい思想潮流の中から醸成されてきたようにも思う。
たとえば、ミシェル・フーコーは、すでに1960年代後半から、
「“人間” というのは、たかだか18世紀から19世紀にかけて発明された観念でしかない」
などといい始めていた。
私は、その言葉を原典から引いたわけでもないのに、軽率にも、当時の現代思想のダイジェスト版のようなものからその言葉を拾い上げ、しばらくその文脈で「人間」という言葉を理解していた時期があった。
だから、この『人間の条件』という映画を改めて観て、あまりにも無邪気に「人間」を振りかざす脚本に、最初のうちは辟易(へきえき)したことも正直に書く。
しかし、途中から、「でも、やはり “人間” は大事だ」と思い直した。
「人間」という言葉が何を意味するかなど、議論していても何も始まらない。
その言葉がどのように使われようが、旧軍隊のように、人の命を軽く扱い、人のプライドをずたずたに切り裂く「組織」が当たり前のように機能していた時代があったとしたら、それに抵抗するために、「人間」という言葉にすがるのは当然ではないか、と思い直したのだ。
この映画に対して、左翼イデオロギーに毒された「自虐史観」の映画だと批判する声も耳にした。満州を支配下に置いた日本軍と、日本企業の醜悪な部分だけを誇張しているという。
しかし、この映画(や原作の小説)に描かれた世界を、すべて「自虐史観」という言葉で片づけてしまっていいものなのか?
「自虐史観」とは、Wikipediaによると、
「太平洋戦争後の日本の社会や歴史学界、教育界における特定の歴史観を批判・否定的に評価する言葉。日本の歴史の負の部分をことさらに強調して日本を貶めていると批判する際に、用いられる」
とある。
この説明自体が、すでに、ある一定のバイアスによって変形されたものだと思う。
つまり、「自虐史観」という言葉は、(その言葉を使いたがる人々にとって都合の悪い)具体的な事実を捨象してしまおうというときに使われる言葉なのだ。
たとえば、司馬遼太郎は、戦車兵として満州で戦い、日本軍戦車の設計思想の劣悪さから、当時の日本軍の人命軽視の戦略やコスト意識の希薄さを鋭く見抜いている。
日本の誇る零式戦闘機だって、(私はこの飛行機が大好きだけど)、人命軽視とコスト意識の希薄さにおいて(つまり優秀なパイロットを維持するのにどれだけのコストがかかるのかという計算が不足していたという意味で)、真に優秀な兵器とは言いがたい。
この映画は、そういう総合的な知見の上で語られねばならない。
「自虐史観」と断定する人たちは、そういう力の足りない人たちなのだろう。
旧日本軍の戦略的稚拙さを分析する言論は、今はどこにでも流布している。
しかし、その組織内にいた人々が、どのような生き方を強いられてきたかという証言は、時代を経るごとに乏しくなっていく。
フィクションとはいえ、この映画は、その一端を後世に残す意味でも、貴重だ。
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上記の記事に対する1読者からのコメントが下記の文章だ。(名前は仮名にしてある)
パンサーグルッペより
初めまして、パンサーグルッペと申します。
『人間の証明』などの古い映画の評価と実際の帝国陸軍の思想とは随分かけ離れていることが、近年明らかになっております。
「零戦」(海軍ですが)に防弾装備が無いのは、エースパイロット専用の特殊な艦上戦闘機であったからで、本来量産されるべき局地戦闘機「雷電」では十分な防弾装備が施されております。
「零戦」と同期の陸軍機である「隼」は、初めから十分な防弾装備が施されており、以降も逐次強化されております。
戦車についても、97式中戦車の装甲は同期の他国戦車より厚いくらいです。ノモンハン事件で対決したソ連のBT-5は13mmしかありませんが、97式中戦車は25mmあります。
戦車砲もあくまで当時は対歩兵用の砲を搭載するのが常識で、BT-5の45mm砲も歩兵砲として搭載しています。
その後、日本が新型戦車を配備しなかったのは、単に航空機に資源を重点配分したからです。
白刃突撃にしても、国力の限界から銃砲弾の補給が続かない中での継戦を考えたからです。
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町田より
>パンサーグルッペさん、ようこそ。
こちらこそはじめまして。
私は近代戦の軍事的な専門知識にはあまり詳しくない者ですから、パンサーグルッペさんからお寄せ頂いた情報は非常に勉強になるものでした。それに関しては、素直に御礼申し上げます。
しかしながら、(失礼な言い方になるかもしれませんが)パンサーグルッペさんの兵器の構造分析には、やはり欠けているものがあるように思います。
まず、零戦に関してですが、≫「エースパイロット専用の特殊な艦上戦闘機であったから、防弾装備が薄くて良い」という理由はいったいどこにあるのでしょう?
零戦のライバルであったグラマン・ワイルドキャット、ヘルキャットも同じように艦上戦闘機ではなかったですか?
この両者の違いは、やはり「人の命」をどう考えるかという点にあったように思います。
別に、ヒューマニズムがどうのこうの … というつもりはありません。結局は、エースパイロットの教育と維持にどれだけコストがかかるかという算出方法の問題です。
両者の違いは明瞭で、グラマンの方は、装甲の厚さと火力強化に重きを置き、その運動性能の劣化を防ぐために馬力アップで補いました。
従って、グラマンのパイロットは撃墜されても生き残る率が零戦よりも高く、再び戦線に復帰できる者もいました。
そのため、アメリカ軍は経営的に、いちばんコストを要する戦闘員の確保が容易であったことが挙げられます。
一方、零戦は続距離を伸ばし、旋回性を優先させるために装甲を薄くしましたが、被弾してしまえば操縦士が生き残る率も低く、優秀なエースパイロットが死んでいくにつれ、戦闘継続能力も減少していきました。
また、局地戦闘機「雷電」や陸軍機「隼」は十分な防弾装備がなされていたとしても、それが活躍できる現場はどれだけあったのでしょう?
大東亜戦争の主戦場が圧倒的に太平洋であったことを考えると、それらの兵器を配備する基本戦略において、すでにアメリカに劣っていたと言わざるを得ないのではないでしょうか。
また、戦車戦においても、同じようにノモンハン事件の終盤に投入された日本軍戦車(89式)は、装甲の厚さと火力においてソ連軍戦車隊にかないませんでした。
ご指摘のように、その後に投入された97式においては、ようやく世界水準に達する装甲と火力を装備することができましたが、それが誕生した頃には、アメリカ、ドイツ、ソ連ともどもが戦車開発競争の第二段階に入っていたために、たちどころに旧式になってしまいました。
もともと、生産力の乏しかった日本が、戦車のような高コストのものを造ってしまったのが間違いだったのかもしれません。それよりも、日本の優秀な航空機の開発力を生かし、戦費を戦車の5分の1のコストですむ航空機生産の方に回すべきだったと思います。
しかし、大事なことは、そのような兵器の構造比較ではないように思います。
最大の問題は、なぜ日本はあのような戦争を始めてしまったのか。それを止める方法はなかったのか、ということです。
パンザーグルッペさんは、≫ 「人間の “証明” (← “人間の条件” だと思いますが)などの古い映画と実際の帝国陸軍の思想とは随分かけ離れていることが、近年明らかになっている」 とご指摘されていますが、それはいったい、どなたがそのような分析をされたのでしょう?
たぶん、そのような説と同じくらいの量で、それと対立する説や主張も新しく生まれているはずです。
帝国陸軍の思想がどうであるかなどということは、実はどうでもいいことです。
それよりも大事なことは、パンサーグルッペさんご自身が、あの戦争をどう評価し、そこから何を感じられたかということです。
≫ 「国力の限界で銃弾の補給が続かないために、白刃突撃はやむを得なかった」とお考えになるのなら、そのような戦略を取らざるを得なかったあの戦争自体を、どう評価されるのか。
そこのところを棚にあげて、兵器だけの性能比較をすることは、あまり意味がないように思うのですが。
失礼な書き方になってしまっているとしたら、申し訳ございません。お許しください。お気を悪くされなかったら、またお越しください。
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パンサーグルッペより
当時の制約条件下で、日本に何ができたかを考えて頂きたいと思います。
戦艦大和は無駄の象徴のように言われますが、あの時期日本は「たった」2隻しか戦艦を作っていませんが、アメリカは10隻作っております。
戦闘機の隼は東南アジアで十分すぎる活躍をしていますし、雷電も航続距離ではそこまで酷くはないですし、計画された昭和14年ごろにラバウルからガダルカナルまで攻撃に行けということが想定できたでしょうか?
当時は、日本近海に「攻めて」来る、「優勢な」アメリカ艦隊をどう「凌ぐか」が課題だったはずです。
零戦については、特殊作戦機であったにも関わらず、戦局に適合しすぎたのが悲劇としか言いようがありません。当時の技術(今でもそうでしょうが)で戦艦の上空を10時間守り続けろと言われれば、ああいう設計になるでしょう。
戦車にいたっては、日本が開発できた事自体が奇跡に近いです。
97式中戦車が登場した当時の1937年頃って、アメリカはM2中または軽戦車、イギリスは巡航戦車Mr.1及び歩兵戦車マチルダ1(機銃のみ)」、ドイツは1号戦車、フランスはR35 、ソ連はBT-7やT-26です。
こう見ると、まともな自動車産業も無い東洋の片田舎の国が、世界情勢に良く付いて行けたというか、先に進んでいたと、感動すら覚えます。
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町田より
>パンサーグルッペさん、ようこそ。
コメントと同時に、パンサーグルッペさんのHPも拝読し、パンサーグルッペさんがどのように太平洋戦争下の日本の軍備を評価されていたのかを理解いたしました。それに対しては、まったく異論もありません。
ただ、「戦争」に対する評価や解釈を、軍事技術の面だけで語るというのはものの本筋を見誤るおそれもあります。
「戦争」は軍事比較だけでなく、政治、経済、国際社会の動向、そして思想、哲学など総合的に語らなければならないと私は思います。
しかし、パンサーグルッペさんの軍事技術的研究の深さを無視するのではありません。
日本の技術開発力の優秀さに関しては、私もまたパンサーグルッペさんと同じように評価いたします。
問題は、それを運用する軍の上層部の思想と戦略が貧しかったと私は理解しています。
今回のコメントの応酬は、やはり、旧帝国陸海軍の戦略思想と日本の兵器製造の技術力を分けて考えた方がよかったかもしれませんね。
今回は、いい勉強をさせていただいたと思いましたので、今後ともよろしくお願い申し上げます。