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朝鮮半島の地政学的な悲劇

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 韓国の裁判所が決定した元徴用工訴訟における日本企業への差し押さえの範囲が広がっている。

 その前には、韓国海軍による日本の自衛隊機に対するレーダー照射問題があり、さらにさかのぼれば、日韓合意に基づいて設立された「慰安婦財団」を、韓国側が一方的に解散するという問題も起きている。
 
 韓国政府がくり出してくるさまざまな日本への攻勢は、我々日本人から見ると、常軌を逸した過激な言動に思えるのだが、韓国世論は、そういう政府の方針を大方支持しているという。

 
 
韓国人の反日感情はどこから来るのか?

 

 このような、韓国の反日感情はなぜこれほどまでに激しさを増してきたのか。

 

 その理由を考えると、そこには二つの問題がありそうだ。
 ともに、歴史の問題がからむ。

 

 一つは、現代史をめぐる問題。
 もう一つは、古代より続く朝鮮半島の歴史の問題。

 

 その二つが、互いに絡まり合って、韓国国民の精神文化に複雑な陰影を与えている。

 まず、現代史の問題から読み解くと、「韓国の建国記念日」をめぐる議論が浮上してくる。
 「建国記念日」というのは、文字通り、その国の歴史認識を具体的に語る記念日だ。

 その「建国記念日」をどこに置くかということで、韓国内ではいろいろな議論が巻き起こっているというのだ。

 


建国記念日をめぐる議論

 

 現在の韓国の建国記念日は、李承晩(イ・スンマン)大統領が「大韓民国政府樹立」を宣言した1948年8月15日とされている。

 

 しかし、現大統領の文在寅ムン・ジェイン)氏は、これに異議を唱え、朝鮮半島が日本の植民地支配下にあった1919年3月1日を「建国記念日」に指定し直したい意向を持っているという。

 

 1919年の 3月 1日というのは、日本の占領に抵抗しようとした韓国民たちが、ソウルではじめての大々的デモ行進を行った日であり、それをきっかけに、半島全土に独立運動が広がったとされている。

 

 つまり、文在寅ムン・ジェイン)氏は、あくまでも日本という侵略国に対する韓民族の抵抗が “建国の理念” であることを強調しよという構えなのだとか。

 

 そうなると、韓国においては、今後日本は、ずっと韓国の敵対的国というイメージで語られるようになっていく。

 

 さらにいえば、文在寅大統領は、目下いちばんの関心事である北朝鮮との融和政策を進める意味において、北朝鮮と一体となって日本を仮想敵国として位置づけることを進めようとしているともいわれている。

 

 以上のように、最近異様に高まりを見せている韓国の反日感情の原因として、このような文在寅大統領の政治指導が大きく反映されているというのが、日本の専門家たちの見方のようだ。
 

 
韓国人と中国人のメンタリティーの違い
 
 しかし、韓国の反日感情の特徴をよく見てみると、すべてが文在寅大統領の政治的意向を反映しているとも言い難い面もある。

 

 そこには、韓国の人々が抱えるもっと古いメンタリティの問題が絡んでいそうだ。
  
 韓国人のメンタリティーの特徴をよく見ると、まず非常に観念的であることが挙げられる。


 現実を冷静に直視するよりも、頭のなかに沸き起こってくる「観念」や「原理」の方を重視する傾向が強い。 

 

 同じ東アジア民族である中国人と比べると、その違いは歴然としている。

 

 概して、中国人は「観念」よりも「実利」を重んじる。
 原理がどうの、プライドがどうの、 などとこだわるのは損。
 「人生は儲けてナンボ」
 というのが、中国人の基本的なメンタリティーである。
 
 そういう中国人の精神構造は、中国人民が3,000年の歴史のなかで培ってきた「政権への不信感」がベースになっている。

 

 彼らは、歴史上の為政者が(今の共産党政権も含めて)自分たちの権力維持だけに神経をつかい、人民を守ってこなかったことをよく知っている。

 

 だから、中国の人民は、為政者の国家理念や統治思想などに耳を傾けるよりも、まず自分たちの家族やその利益を守ることの方に神経を注いできた。

 

 韓国人はそうではない。

 

 彼らは、中国のような巨大で安定した政権を築いたという経験を持たない。朝鮮半島の歴史は、常に3ヵ国ぐらいが覇を競い合う流動的な傾向が強く、李氏朝鮮のような統一国家が生まれても、政権内の派閥争いが激しすぎて、中央集権的な統制を貫くことができなかった。
  
 だからこそ、彼らは「王朝の正統性」、「君主の徳の高さ」、「正義の尊さ」という理念的なものに憧れた。

 

 それらの理想に実体が追い付かない場合は、事実を捏造しても、虚構の「神話」にすがるようになった。

 

 もちろん、「理念」を重んじるためには、理性的・合理的な思考力が要求される。

 しかし、実体の伴わない虚構の「神話」を信じるとなれば、むしろ非合理的な情熱の方が必要となる。

 
 そのため、韓国国民は “反日” を掲げたときには、常軌を逸するほどのエモーショナルな行動をとることになる。
 
 
地政学的に朝鮮半島が抱えた問題
 
 そのような韓国人のメンタリティーというのは、やはり、韓国が昔から抱えていた地政学的な問題が根深く絡んでいる。

 

 巨大な大陸と地続きになった小さな半島。
 それが、韓国が抱えた歴史的宿命のすべてだ。

 

 巨大な大陸にいる “親分” は、常に中国であった。
 歴代の中国王朝は、朝鮮半島の国々を属国に置くか、独立国として認めたとしても、文化的・政治的支配権からの独立を許さなかった。

 

 つまり、朝鮮半島の歴史というのは、常に巨大な中国王朝の支配のもとでしか存続を許されなかった小王朝の歴史であった。

 

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 この中国に対する文化的・政治的隷属状態が長く続くうちに、次第に朝鮮民族のメンタリティーのようなものが確立されていった。

 
 すなわち、日本人や満州人、ベトナム人といった中国文化圏に組み込まれている住民のなかで、朝鮮民族が最も優等生であることを中国に認めてもらおうと、彼らは思い始めたのだ。
  
 
朝鮮文化の形を決めた朱子学
 
 特に13世紀、中国の朱子学が朝鮮に伝わってからは、歴代の朝鮮王朝は、朱子学を国家イデオロギーの最高形体として認知し、それを統治理念の根幹に据えた。
 結果、朝鮮の朱子学研究は本場の中国をしのぐほど精緻を極め、壮大な体系が樹立されていった。


▼ 朝鮮朱子学を完成させた代表的学者の李退渓(イ・テゲ)
 江戸期の日本の思想史にも影響を与えた

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 このように、朝鮮民族は、その模倣の忠実さにおいて、中華帝国周辺諸国のなかでは群を抜いた優等生だった。
  
 しかし、朱子学というのは、生活の規律を厳密に重視する学問であったから、政治においても文化においても、「異端」を許すことがなかった。

 

 当然、朱子学を根本原理に据えた統治政策では、世の中の新しい動きをすべて封印せざるを得ず、結果的に人々の進取の気性を削いでいくことになった。

 

 朱子学的空気のなかでは、儀礼の知識とその遵守だけが大事にされ、それに疎い人々を「下等人種」として蔑む気風が生まれていった。

 

 特に、“隣国の日本人” は、朱子学を尊重する気配もなく、礼もおろそかにしている野蛮人だという認識がインテリ朝鮮人の間に広まり、中世以降、日本人に対する優越意識が台頭するようになった。
 
 
中国へ向かうはずの怨念が日本に向かった
 
 その “劣等民族” であるはずの日本人が、室町時代の「倭寇」、豊臣政権下における「文禄・慶長の役」、昭和の「日韓併合」と、三つの侵略戦争を仕掛けてきた。

 

 まさに、文化も礼も知らない野蛮国の愚行だ !
  と彼らは思ったことだろう。


 実際、日本人から見ても、これらの侵略戦争は民族として反省しなければならないところがたくさんある。

 

 ましてや、一方的に侵略された韓民族がそのことを恨むのは当然という気もするのだ。
 つまり、韓民族の感情のベーシックな部分には、そういう恨みの気持ちが連綿と続いている。

 

 彼らにとって最大の悲劇は、歴代中華王朝に隷属するという屈辱の歴史を強いられたことだが、しかし、彼らにとって、中国はすでに “偉大な父” のような存在になってしまっているため、反抗すること自体がおそれ多かった。
 
 そのために、自分たちが団結するときの “旗じるし” として、中国よりも軽い存在に収まっている日本という仮想敵国が必要になってきた。

 

 そのような反日思想が固まっていく背景には、「文明的に劣った日本人に統治された歴史を持つことの悔しさ」という、きわめて “民族的な哀しみ” も横たわっていただろう。 

 

 これが、反日感情のベーシックな部分を形成している空気であるが、ただ、彼らのおかげで、日本は大陸の脅威から守られてきたという事実もあるのだ。

 

 
朝鮮半島が日本の “防御壁” となった

 

 韓国と同じ極東に位置する日本にとっても、歴代中華王朝の膨張政策は脅威であった。

 それこそ、万葉の時代から、日本人は中国の脅威から国土を守るたくさんの対策を立ててきた。

 

 その心配が当たってしまったのが、鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)だった。

 

 「神風」が実際に吹いたか、吹かなかったかというのは、今日議論の分かれるところであるが、いずれにせよ、日本を取り巻く海が “防波堤” となり、日本は中国大陸からの大軍を食い止めることができた。

 

 しかし、このとき日本を救ってくれた要因は、「神風」のような自然災害だけでなく、実は元側にもあったのだ。


 それは元の先軍を務めた高麗兵たちの厭戦気分であった。

 

 元軍は、日本攻撃部隊の先兵として、大量の高麗兵を朝鮮半島から動員した。
 のみならず、派遣艦隊の製造も高麗に請け負わせた。
 
 大量の木造船をつくるために、朝鮮半島の樹木はことごとく伐採され、自然破壊が進んだ。朝鮮半島にはげ山が多いのは、このときの森林伐採からいまだに立ち直れていないからだという。

 時の高麗王は、元の圧力から逃れることができず、大量の兵士、大量の軍船、大量の食糧を供給せざるを得ない羽目に陥った。

 

 朝鮮半島の男たちは、徴兵のためにみな駆り出され、田畑は荒れ、国中が疲弊した。
 ※ このときの朝鮮半島の悲劇は、井上靖氏の『風濤(ふうとう)』(新潮文庫)に詳しい。

 

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 過酷な状況に置かれた高麗兵たちに、日本とまともに戦う気力など残っていなかったのは当たり前の話である。

 

 高麗兵たちは、日本を占領しても元軍の手柄になるだけだと知っていたから、本心は、さっさと戦いを止めて国に帰りたかったのだ。
 
 このような高麗軍の厭戦気分が、元軍全体の士気を下げ、日本武士たちが勝機をつかむきっかけを作った。
  
 この例からも分かるとおり、「朝鮮半島」という “地理的防波堤” があったために、日本は、中国の脅威に直接さらされることから逃れたという事実も見逃せない。


 地政学的にそういう地域に国を持ってしまった朝鮮民族というのは、つくづく気の毒な民族であると思う。

 

 われわれ日本人も、そういう朝鮮半島に国を構えてしまった民族の悲劇を、もう少し忖度してあげてもいいような気がする。