春の夜風は、なまめかしい。
なまめかしい、とは「艶かしい」と書く。
女性の性的な魅力を表現するときに使われる言葉だ。
「色っぽい」の同義語として使われることが多い。
しかし、春の夜風にまぎれ込む「なまめかしさ」には、もっと根源的な、生きることの “狂おしさ” みたいなものが潜んでいる。
たぶん、冬の間に生命のタネを胚胎していた生物たちが、気温の上昇とともに、新しい命として “うごめき出す” 気配のようなものが、立ち昇ってくるからだろう。
命の形をとる前のものが、ようやく「命」という形をとろうとするときに生まれる、無音のざわめき。
それが「なまめかしさ」の正体のような気がする。
だから、落ち着かない。
吉兆のしるしか、それとも凶事の前ぶれか。
ひとつの種の誕生は、別の種の死滅を意味することもある。
新しく生まれる生命が、この世に何をもたらすのか、それは誰にも分からない。
何かが生まれ、じっとこちらを見ている気配。
春の夜風に吹かれていると、風の向こう側に、何億年という虚無の闇を突き抜けて、ようやくこの世にたどり着いた「命」がたたずんでいる気配がある。
胸騒ぎがする。
そういう夜は、闇夜にぼんやりと浮かぶ飲み屋の赤提灯が、奇妙に恋しい。