今週のお題「卒業」
「卒業」という言葉から受け取るイメージは、世代によってずいぶん異なるように思える。
それをテーマにした歌ともなれば、多くの日本人が思い浮かべるのは、まずユーミンの『卒業写真』であったり、海援隊の『贈る言葉』だったり、森山直太朗の『さくら』、長淵剛『乾杯』、レミオロメン『3月9日』、いきものがかり『YELL』といったところだろうか。
しかし、私のような1960年代に中学の詰襟を着た世代になると、“卒業の歌” といえば、もう圧倒的に舟木一夫の歌った『高校三年生』になる。
♪ 赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木陰に はずむ声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも
この歌が大好きな友人が、昔いた。
小学校の同級生だった。
卒業後は別々の中学に進んだが、その友人は地元の中学に入り、そこで “番を張った” 。
この表現が、今の若い人たちに通じるのかどうか、私にはあまり自信がない。
“番を張る” というのは、要するにその学校の番長をやっていたということである。
彼によると、「番長」というのは、いわばその学校の「私設警護団長」のようなものだという。
つまり、他校の不良中学生から自校の生徒を守るため、昼は校門の近くに張り込み、放課後は繁華街にたむろして、いじめられそうな自校の生徒を守るため、他校の不良とケンカをすることが “役目” だったとか。
武勇伝がある。
他校の番長から呼び出されて、「タイマン」だという言葉を信じ、1人で決闘場に出向いたところ、10数人に囲まれてケンカになったという。
そのとき、相手方全員に体を拘束され、口の中に丸太を突っ込まれたらしい。
そのせいで、歯が全部欠けた。
「オレ全部差し歯なのよ」
飲み屋で昔話になると、彼はそう語りながら歯をむき出し、ニッと笑う。
「でも、オレは一歩も引かなかったぜ。その後向こうの番長を町のなかで見つけ出してよ。しこたま仕返ししてやったわ」
というのが自慢話。
つまり、彼は中学生の頃から、授業に出ることもなく、ましてや校門をくぐることもなく、街で他校の不良学生とケンカばかりしていたということになる。
中学を卒業した彼は、やがて地元の旋盤工場に勤め、機械工作の技術を身に付ける。
ガタイもよいし、根性もあり、手のひらも大きく、器用な男だったから旋盤の扱いがうまく、優秀な工員として経営者にも気に入られたらしい。
彼と再会したのは、そんなふうに、彼の仕事も充実していた頃だった。
私はまだ親のすねをかじった大学生。
社会人の彼は大きく見えた。
そんな男が、酔うと、『高校三年生』を歌う。
カラオケのない時代。
居酒屋で飲んだ深夜の帰り道。
あるいは、人気の絶えた夜の公園の野外ステージ。
「♪ あかぁ~い、夕陽が、校舎を染めぇてぇ」
中卒の彼は、そもそも高校生活を経験していない。
クラスメイトとのなごやかな交流に背を向け、他校の不良たちと殺伐としたケンカに明け暮れた男が、『高校三年生』という歌に何を求めていたのか、私はいまだによく分からない。
ひとつだけ言えることは、この歌が、彼にとっての “卒業” を意味していたということだ。
中学すらろくに通っていなかった彼は、当然、卒業式というものも知らなかったろうし、クラスメイトの顔すらもろくに覚えていなかったろう。
ましてや、この歌の2番にあるような歌詞。
♪ ぼくら フォーク・ダンスの
手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が
ここで歌われるようなフォーク・ダンスというものを、彼は在校中に踊ったことがないはずだ。
気になった女性がその中学にいたかどうかも分からぬ。
いたとしても、“番を張っていた” 硬派の少年が、それを態度で示すようなことはプライドが許さなかっただろう。
そうであるならば、歌にうたわれる “幻の学園生活” は、彼にとってキラキラ輝いて見えたはずだ。
彼にとっては永遠に訪れることのない「卒業式」。
それをイメージさせる『高校三年生』という歌を、彼は社会人になってからも、酒に酔った晩には、歌い続けた。
やがて、彼は地味な旋盤工を辞め、半場を流れ歩く工事現場の建設作業員になった。
バブル前。
建設系の仕事はどんどん増えていった。
彼の金遣いは派手になった。
われわれカネのない学生を引き連れ、彼は、女性のいる高い店に遊びにいくようになった。
ボトルを入れ、店のホステスたちにも酒をふるまい、豪勢なツマミをたくさんテーブルに並べた。
中卒の自分が、大学生たちに高い酒を奢ってやるということが、彼の自尊心をいたく満足させたのかもしれない。
その頃になると、すでにスナックにはカラオケが常備されていた。
彼は店のマイクを握り、演奏付きの『高校三年生』を朗々とうたった。
その後、バブルは弾け、建設系の仕事はめっきり減った。
彼は、徐々にホームレスに近い生活になっていき、昭和が終わる頃に亡くなった。
酔って、歩道からいきなり車道に飛び出したという。
自殺か事故か。
それはいまだに分からない。
ただ、なんとなくだが、もし酔っていたのなら、彼は死ぬ直前まで、『高校三年生』を口ずさんでいたような気がするのだ。