アートと文藝のCafe

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サイバー攻撃の時代をどう生き抜くのか

 
 今、世界のほとんどの人が、刻々と変化しているウクライナ情勢をテレビなどでフォローしているはずだ。

 

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 大方のメディアの論調では、「民主主義国家」のウクライナ側と、それを弾圧しようとする独裁者プーチンが率いる「専制主義国家」ロシアという構図で整理されることが多い。

 

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 その見立てはほぼ正しいと思うが、ネットなどでは、逆の見方を提示するさまざまな意見も寄せられており、この戦争の裏で進行しているのは何か? というテーマは、今一つ明確になっていない。

 

 このことに関連し、前回のブログで「民主主義国家」と「非民主主義国家」の政治理念の違いのようなものに触れたが、その続きを少し書きたい。

 

 両者の違いをはっきり示すのは、「多様性」というものへの理解だと思っている。

 
 民主主義という政治理念は、基本的に、国民一人ひとりの多様性を認めるところに成立する。


 つまり、民主主義国家においては、人種、性別、性的指向、宗教、政治思想などが異なっても、それを話し合いなどで解決していくというのが運営上のルールとなる。

 

 一方の非民主主義国家では、「多様性」は全体の統一に支障をきたすものとして敬遠されることが多い。 

 

 だから、非民主主義国家は、常に「人権」という思想に警戒心を抱く。
 「人権」こそは、個々人が国家権力と対立するとき、国家よりも個人の立場を尊重する思想となるからだ。

  
 「多様性」を尊重するか。
 それとも「多様性」を警戒するか。

 

 それによって、政治理念は大きく分かれるが、実は、どちらにも問題がある。

  
 「多様性」を認めない非民主主義国家の場合は、メリットとして、国民の心理を効率的にコントロールできるが、逆にいえば、人々の自立性を認めない抑圧的な統治に傾かざるを得ない。

 

 しかし、「多様性」を尊重する社会にも問題はある。
 それは、人々の意識の分断を招きがちになるからだ。

 

 つまり、それぞれの人々が勝手な理屈にこだわり続ければ、世論がまとまらなくなり、騒動や騒乱が頻発することになる。

 

 特に、近年のネット社会では、この傾向が増大している。
 ネット世論というのは、人々の多様性の上に成立するものだから、結果的に、「人々の意識や思想の分断」という混沌(カオス)を招き寄せかねない。
 
 「フェイクニュース」と呼ばれるものがそれに当たる。

 

 ロシアがウクライナに侵攻したとき、軍隊による直接的な軍事行動と並行して、「ハイブリッド戦」と呼ばれるネットを介したサイバー攻撃が進行した。

 

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 これは、敵国の通信機能を切断したりするだけでなく、ニセ情報(フェイクニュース)をどんどん敵国に流し込み、民間人の意識を混乱させたり、相手の軍隊の指揮系統を寸断させたりする戦略のことをいう。

 

 今回は、ロシア側からウクライナ側に流されたサイバー攻撃が中心となったが、もちろん時間の推移とともに、その逆も起こった。


 もともとは、「ウクライナ側の民兵が、親ロシア派の住民にジェノサイド(大量虐殺行為)を行った」というロシア側の発表から始まったものであり、ロシアのプーチン大統領は、(建前として)それを止めさせるためにウクライナ侵攻に踏み切ったことになっている。

 

 ことの真偽は分からない。

 証拠がないからだ。


 プーチン氏の主張を正当化するために、ウクライナ側の暴挙をあげつらう(ロシア側の)報道もいっぱい挙げられているが、それを実証するデータは一つも提出されていない。

 

 一方、ウクライナ兵に捕まったロシア兵の捕虜が、「プーチンに騙された」という政権批判を行っている動画も出回り始めたが、これもどのくらい正しいことなのか検証されていない。

 

 要は、私たちの周りには、実証が難しい情報が膨大な量で飛び交い始めているのである。
  
 まずは、テレビの報道そのものを疑ってみる必要があるだろうが、一方、「日本のテレビは正しい情報を伝えていない」と訴える数々のYOU TUBERたちの垂れ流す情報も怪しいものばかりである。

 

 そういう錯綜した情報のなかから、何が正しいのかを見極める作業というのが私たちに要求されるようになった。

 

 それは、「個人が考える」ということの本当の意味が突き付けられてきたということなのだ。

 

 

ウクライナ危機で世界の民主主義は衰退する

 
 ついに、ウクライナに対するロシア軍の全面侵攻が始まったようだ。

 

 昼間にテレビを見たときの情報(日本時間14:00のテレビ報道)によると、ウクライナの主要都市数ヵ所で、ロシア軍からと思われるミサイル攻撃が確認され、キエフ近くの空港では銃撃戦も始まったという。

 

 そのときの情報では、さらに黒海に面した軍港オデッサでは、ロシア海軍の上陸準備が終了しているとか。

 

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 ウクライナ情勢を分析した専門家たちの予想を覆して、どうやらプーチン大統領は、全ウクライナを支配権に置こうという方針に舵を切ったようだ。


 そうなると、ウクライナという国は地図上から消え去り、ロシアは、冷戦前のソ連時代の版図を大幅に回復する可能性が非常に高まったといえる。
  

 
 一連のテレビ報道を見ていると、ウクライナ併合に踏み切ったプーチン氏の心理を解明することに時間を割いた番組もあった。
 それによると、彼は30代の後半、東ドイツKGBの職員としての仕事についていた。
 
 そのときに、彼はベルリンの壁の崩壊(1989年)を経験した。
 彼が仕事をしていた東ドイツソ連系の施設には、西側の市民がいっせいになだれ込み、ソ連系の職員に対して “乱暴・狼藉” の限りを尽くしたという。


 プーチンはそういう状況のなかで、銃を携帯したまま身の保全に腐心したともいう。

 

 それを説明したニュースキャスターは、そのとき彼を襲った恐怖が、「西側の諸国に対する不信と復讐心を育てた」とも。

 

 この話がどれだけ信頼性に足る話なのか。
 仮に事実だとしても、かなり誇張されているのではないかという気もするが、欧米流の “民主主義” 思想に対して、プーチンという人がそうとう強く反感を抱いている政治家だということだけははっきり伝わってくる。

 

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 今われわれに突き付けられているのは、欧米流の民主主義という思想が絶対的なものではないという冷厳な事実だ。

 

 戦後70年、日本はアメリカとの同盟を強化し、アメリカ流の民主主義というものを至高の理念として受け入れてきたが、気がつけば日本は、ロシアのプーチン習近平の中国、北朝鮮金正恩といった “非民主主義” 的なリーダーたちの包囲網にさらされている。

 

 彼らは口々に同じことを言う。
 「アメリカの掲げる民主主義というのは過去の遺物だ」
 と。

 

 では、何が新しい政治思想なのか。

 

 それこそ、今のロシアや中国が進めている中央集権的な権威主義政策だと彼らは明言する。

 

 そういう思想の根底にあるのは、
 「民主主義などという非効率な政治思想よりも、有能な独裁者による国家統治の方が、経済的発展と支配の効率化が一気に進む」
 というものである。

 

 事実、経済発展に問題を抱えている開発途上国では、のきなみ非民主主義国家が勢力を伸ばしている。


 ヨーロッパでは、ロシアとの蜜月を謳うベラルーシが筆頭だが、軍政権が国を支配したミャンマータリバン政権が復活したアフガニスタンなどアジア圏でも非民主主義を掲げる国が勢力の伸張が目立つ。

 

 さらに、経済的に貧しい中南米諸国でも、民主主義が根付く気配がまったく見えない国が輩出している。 

 実際、2019年の調査(スウェーデンの調査機関VーDem)によると、世界の民主主義国・地域が87ヶ国であるのに対し、非民主主義国は92ヶ国と、民主主義国の衰退を指摘する声もある。

 

 この調査の信頼性に関して今は問わないが、われわれ日本人も、「民主主義のメリットとデメリット」を再度問い直さないとならないところまで来ていることは確かだ。
 そこまで覚悟しないと、「われわれの国は民主主義国家だ」などと盲目的にいい張ることも難しくなってきた。
 
 民主主義か? それとも非民主主義か? という選択は、国家の政治体制の問題だけに収まらない。


 それは経済活動とも連動している。

 

 経済的困窮にあえいでいる国に、民主主義的が成熟していくことを待つ余裕はない。
 アフリカ諸国や東南アジア、中近東、中南米などの経済が弱体している諸国では、経済的に強固な国からの支援を受けて、取り合えず自国のインフラなどを整備することが急務となる。

 

 そこに手を伸ばしているのが中国である。
 中国はすでにそうとう前から、「一帯一路」構想に関係する東南アジア、中近東に対して、多額のインフラ投資を呼びかけ、強力な経済支援を約束している。

 

 こういう中国の支援を受けた国は、やがて中国経済への依存をいっそう高め、中国政府と親密な関係を取り結ぶ “非民主主義政権” を強固にしていく可能性が高い。

 

 実際、今、「非民主主義国家」だけがお互いに依存しあうブロック経済への動きが強まっているのだ。

 

 1989年の「ベルリンの壁崩壊」以降、東西冷戦を終わらせた西側諸国は、「資本主義の大勝利」とうかれまくった。

 

 それによって出現したのが、地球全体を大規模な交易圏と考えるグローバル経済の流れだったが、そのグローバル経済が行き詰まり、世界は再びこぢんまりとした自国経済優先主義に回帰していった。

 

 その先鞭をつけたのが、アメリカのトランプ政権だったが、このとき、アメリカと覇を争った中国が巨大な経済圏を確立して周辺国を呑み込み始めた。

 

 今起こっているのは、この中国とロシアの経済的結合である。

 

 どちらもアメリカを敵に回すことで、経済制裁を受けている。
 しかし、中国とロシアが二国共同でブロック経済圏を打ち出せば、どちらの国も、もうアメリカやEUを怖がることがない。
 ともに自国内に強力な消費地を確保できるのだから、それだけで経済を回すことが可能となる。

 

 この構造に、北朝鮮もすぐ反応するだろう。
 つまりアジア圏に、中国共産党北朝鮮、さらに旧ソ連のような共産主義にシンパシーを持つ国々が再結集してくることになる。

 

 これが長期的独裁政権を目指す「非民主主義国家」群による一大経済ブロックを形成することになる。

 

 これらの経済ブロックでは、それぞれの国が自国内の経済振興に力を入れていくだろう。
 
 その中には武器製造も当然含まれる。
 特にロシアは、アメリカに次ぐ軍事大国を維持するために、今後も最新兵器の研究と生産に多額な資金を投入していくだろう。

 

 そういう軍事産業を維持するため、ロシアは、今後中南米などの貧しい国に、最新のミサイルを安い価格でどんどん輸出していくかもしれない。
 北朝鮮も、すでに自国の武器をこっそり第三国に密輸している。
 
 こういう構造が続く限り、戦争を回避する名案はますます遠のいていく。

  

 

「サクセス・ストーリー」の時代を終わらせた羽生結弦

 
 ブログの更新をサボっているうちに、面白いネタが書けそうな出来事がいろいろ起こった。
 今回は、ブログを再開する意味で、それらを少し整理してみたい。

 

 まずは今週閉幕した北京(冬季)オリンピックの話題。

 

 日本選手のメダル獲得数が過去最多となったという記録が日本のマスコミでは取り上げられたが、結果的には後味の悪いものが残った。

 

 その最大の原因は、ロシアが組織ぐるみで進めたのではないかといわれているドーピング問題。


 女子フィギアスケートで、金メダル候補のトップ選手として話題になった15歳のカミラ・ワリエワ選手(ROC=ロシア五輪委員会)に、突然ドーピング疑惑が降りかかった。

 

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 それに動揺したのか、彼女は女子フィギアの最終プログラムであったフリーでは、なんと7本のジャンプのうち5本を転倒してしまい、まさかの4位。


 この予想外の結果に、マスコミも騒然となった。


 さらに驚いたのは、競技が終わった後にワリエワを迎えた女性コーチ(エテリ・トゥトベリーゼ)が彼女に投げかけた言葉。
 「なぜ戦うのを途中でやめたの? 私に説明しなさい」
 
 この叱責には、さすがのIOCトーマス・バッハ会長も、「選手に対して冷淡過ぎる」と非難した。

 

 このドーピング問題は誰が仕掛けたのか、その責任は誰がとるのか。
 さらに、ワリエワ選手の今後の選手生命はどうなるのか、結論が出るにはさらに1ヵ月以上かかるという。

 

 このワリエワ選手の転倒は、(一部のネット情報では)彼女の故意であったという見解もあるらしい。
 ドーピング疑惑で動揺したというよりも、ドーピングを仕向けた組織に対する彼女の最後の抵抗だったという見方だ。

 

 実際にそういうことがあったとは思えないが、しかし、ワリエワ選手が故意に「試合を放棄した」という事実があったのなら、コーチにはそれが分かる。
 そうなると、
 「なぜ戦うことをやめたの?」
 というエテリコーチの質問の意味も、つじつまが合う。

 

 もちろん、ワリエワは絶対事実を語らないだろうから、真相は闇の中。

 

 ただ、このドーピング問題にロシアの最高指導者であるプーチン大統領が関わっていることだけは確かだ。

 彼は、スポーツには「国威高揚の力がある」と常日頃から明言しているし、特にフィギアスケートの振興に力を入れている。

 

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 ドーピング行為に、プーチン氏からの具体的な指示があったかどうかは不明だが、プーチン氏麾下の幕僚たちがプーチンに忖度したという可能性は非常に強い。

 

 私自身は、ドーピングの問題以前に、「メダルの獲得が国威の高揚につながる」という発想そのものが、もう前世紀の遺物だと思う。


 メダルの数が、その国の実力を表わすのだとしたら、当然、国が広く、競技人口も多い国がオリンピック競技の上位を独占しているはずである。

 

 しかしそうはならないことは、今大会の開催者であった中国をみればわかる。
 オリンピックのメダルというのは、広大な国土と競技人口の多さだけでは決まるというものではないのだ。

 

 そのような五輪大国の体質とは別に、私はメダルの獲得数だけを誇張して宣伝するというメディアの姿勢にも問題があると思う。

 

 そういう考え方では、「勝ち組」だけを讃えるという、今までの「弱肉強食経済社会」の名残を払しょくできない。

 

 「(勝ち組の)サクセス・ストーリー」だけが脚光を浴びるという時代はすでに過去のものになろうとしている。

 

 それを競技で示したのが、フィギアスケーターの羽生結弦選手だった。
 彼にすれば、ライバルのネイサン・チェン選手と互角にメダルを争う位置をキープするために、誰も競技で成功をさせたことがない4回転アクセルを選択肢から外すことも考えられたはずだ。

 

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 しかし、彼は失敗するかもしれない4回転アクセルに果敢に挑戦した。
 結果は着地に失敗し、金メダルどころか、銀にも銅にもとどかなかった。
 ※ ただし、4回転アクセルは、世界ではじめて認定された。

 

 後で判明したことだが、このとき羽生選手は、氷上に空いた穴に足をとられ、さらに練習で足首をねんざして、痛み止めの注射を打ちながら競技に臨んでいたという。

 

 そういう悲壮さを内に隠した彼の演技は圧倒的な迫力を生んだ。
 メダルの獲得が至上命題であるオリンピックで、彼は金メダル以上の輝きを放つ演技を創造したのだ。

 

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 私にとっては、このときの映像が、(エキシビションも含め)今回のオリンピックのベストショットではあったように思う。
 「鬼気迫る」
 という表現が似つかわしいかどうか分からないが、彼の氷上の「舞」はスポーツを超え、アートを超え、さらにそれ以上の何ものかになっていたような気がする。
  
  
 組織ぐるみのドーピングを行ったのではないかといわれるロシアについて、今のわれわれには何もいうことができない。


 ロシアのリーダーであるプーチン氏は、このような疑惑や批判をいとも簡単に無視する人だからだ。

 

 ドーピング疑惑を放置するロシア政府の姿勢は、いまマスコミで取り上げられるウクライナ問題とつながっている。
  
 ロシアのウクライナへの軍事侵攻があるのかないのか予断を許さない状況だが、アメリカをはじめ西側諸国は、ロシアの軍事侵攻の可能性がすぐそこまで迫っていると予想している。

 

 プーチン氏は何を考えているのか。

 報道番組に出演する専門家によると、
 「プーチン氏は(ウクライナ問題に関して)もう合理的な判断を超えたところに立っている」
 という。

 

 つまり、プーチン氏は、ここに至って合理的・理性的に政治情勢を判断することを捨て、感情的・情緒的にこの問題に向き合っているというのだ。
 すなわち、ロシアの国境をできるかぎり西側に押し戻し、旧ソ連時代の版図を取り戻すという姿勢を貫き始めたらしい。

 

 そうなると、ウクライナなどという国は一気に地図上から姿を消し、ロシアがそれに代わって、再びポーランドチェコと国境を接するようになる。

 

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 それをもって、専門家は、プーチン氏が冷戦時代のソ連領を回復しようとしていると言うが、私はもっと歴史的に根深いものがあるような気がしている。

 

 すなわち、ロシア人の領土意識には、「タタールのくびき」という言葉が当てはまりそうだ。

 

 タタールとは、ユーラシア全土を支配したアジア系遊牧民のことをいう。
 具体的には、13~15世紀にロシアに侵攻したモンゴル系騎馬民族のことを指す。

 

 このときロシアの人たちに植え付けられた禍々しい記憶は、いまだにロシア人たちの原体験として刻み込まれている。

 

 モンゴル帝国は、今のロシアの領土を完全に支配した。
 その版図の西は、ドイツの森まで。
 東は日本海まで。
 要するに、馬を疾駆させる草原が続く限り、彼らはユーラシア大陸の果てから果てまで征服した。

 

 このときの記憶は、アジア人でなかったロシア人たちの脳内にも引き継がれた。
 すなわち、ロシア人もまた、モンゴルに従属しながらも、ドイツあたりまでを支配下においたアジア系遊牧民の “夢” に追従したのだ。

 

 おそらくプーチン氏の意識にも、NATOの拠点をドイツ辺りまで押し戻すというロシア民族の伝統的悲願が色濃く染み込んでいるのだろう。

 

 そうなると、実際の戦争が起きることによって失われるコストなど、もう問題ではなくなる。

 

 独裁者の長期政権が続くことの怖さはそこにある。

 

 プーチン氏(現在69歳)の任期は、現状では2036年まで保証されているという。
 そうなると、彼は83歳まで大統領職を続けることが可能となる。

 

 83歳といえば、政治的判断よりも個人の我執の方が強く外に発揮される年齢となる。
 そうなれば、老害を心配しなければならない。
 すなわち、その年まで権力を握った独裁者の場合、政治的野望がどんどん肥大化し、他国との協調関係よりも、自国の領土拡張の方が優先されるようになる。

 

 このウクライナ問題を見る限り、もうそういう兆候が現実化してきたようにも思える。

 

 今の日本は、独裁者が君臨する国家に囲まれている。
 ロシアのプーチン氏だけではない。
 北朝鮮金正恩氏。
 中国の習近平氏。

 

 地政学的に、日本はとんでもない国々に包囲され始めている。

 

 

義経は遊牧民のメンタリティーを持っていた

 
 この1月に始まった大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。
 NHKは総力戦で番宣に臨んでいる。

 

 同局は、BSを含めるとたくさんの歴史番組を持っているが、そこで取り上げられたテーマの大半は鎌倉武士たちの話だ。 
  
 たとえば、BSプレミアム「英雄たちの選択」のタイトルは、『北条義時・チーム鎌倉の逆襲』。
 同じくBSプレミアム「プロファイラー」のテーマは、『悲劇のヒーローの真実・源義経』。

 

 突然の “鎌倉ブーム” に、他の民放番組も便乗している。
 たとえば、BS-TBSの「にっぽん! 歴史鑑定」では、『流人から将軍になった源頼朝』という特集を組み、弟義経との絡みで、頼朝が開いた鎌倉幕府の構造を解き明かしていた。

 

 頼朝と義経の関係を追求するのは、ある意味、源氏と平家の違いを語るよりも武家政権の本質を語ることになりうる。

 

 というのは、源頼朝が起こした鎌倉幕府は、平安期の貴族政治とはまったく異なる政権を目指したように見えるが、それでいて、伝統的な日本人の感覚を裏切らない政権を志向した。
 
 つまり、平清盛がすでに試みたように、天皇や貴族政権との共存を図りながら、武家の独立を維持するという方針を踏襲したのだ。

 

 だから、その戦い方も、完膚なきまで敵を叩き潰すという方法をとらず、土地などの恩賞をちらつかせながら味方に引き込むという戦略を自在にとり入れた。

 

 しかし、義経という武人は違った。
 義経伝説のなかに、「義経=チンギスハーン」説というのがあるが、これはあながち荒唐無稽の話ではなくて、義経の感性は、どこかユーラシアの遊牧騎馬民族の発想に近いものがあったことを物語っている。

 

▼ 『鎌倉殿の13人』で源義経を演じる菅田将暉

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 義経は、戦闘の渦中では、冷酷な面もあり、傲慢なところもあったという。

 

 たとえば、壇ノ浦の戦いにおいては、義経は、当時としては “非戦闘員” としての地位を保証されていた舟の漕ぎ手たちを射殺しろと部下に命じ、この「禁じ手」によって、平家方の船舶の動きを封じた。

 

 さらには、平家方と川を挟んで合い対峙したとき、義経は、味方が渡りやすい浅瀬を確保するために、それを邪魔していた川べりの民家をことごとく焼き払ったとも。

 

 このように、義経平氏を打倒できたのは、いかなる戦闘においても非情に徹し、ためらうことなく冷酷な手段を取り続けたからだ、というのが最近の定説になりつつある。

 

 しかし、このような義経の戦術は、彼がユーラシアの遊牧騎馬民族的な感性を持った武将であると読み解けば、案外理解しやすい。

 

 中国史というのは、農耕に基盤を置いた中原の漢民族と、遊牧を営む北方の騎馬民族の抗争の歴史だった。
 そして、遊牧民が中国を圧倒したとき、そこに壮大な騎馬民族国家が誕生した。

 

 広大なユーラシア平原に勢力を張り、紀元前1世紀にたびたび中国の漢王朝を侵略した匈奴(きょうど)。
 金、宋という中華王朝を倒して、ヨーロッパ(そして日本にも)遠征した13世紀のモンゴル。
 
 こういうユーラシアの遊牧騎馬民族グループは、それぞれ北半球の半分を征服するほどの広大な版図を手に入れた。

 

 それが可能になったのは、「騎馬」という移動手段をベースにした世界観に徹していたからである。
 つまり、彼らの戦略は、常に「移動コスト」を中心に組み立てられていた。


 
 モンゴル族が中近東のイスラム諸国に兵を進めたとき、その侵略に抵抗した都市の城壁はことごとく打ち壊され、市民たちの大半は惨殺された。

 

 破壊された都市の周辺には、住民たちの首を積み重ねた巨大なピラミッドが次々と築きあげられたという。

 

 もちろん、この残酷な仕打ちは、他のイスラム都市への見せしめという狙いがあった。
 しかし、それだけでなく、征服した住民たちを捕虜として連行するのは、騎馬部隊の進行スピードを損なうものだったからである。

 

 つまり、彼らは、「人命」の尊重などよりも、自軍の「移動コスト」で戦略を立てる非情さに徹したのだ。

 

 

 日本の源義経の発想と行動もまた、それに近いものがあった。
 先ほどの壇ノ浦の戦いで、戦闘員より先に、非戦闘員の舟の漕ぎ手を射殺するなどという戦術がそれに当たる。

 

 この戦いでも、義経が計算したのは、スピードだった。
 つまり、敵の漕ぎ手の力を削いで、味方の船との間に速度差を設ける。
 この作戦もまた、義経が「馬」の進軍速度で戦術を立てたことの延長にある。


 
大河ドラマ義経を演じたのはみなイケメン俳優だった。
  「源義経尾上菊之助)1966年」

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 「騎乗」を基本に進軍計画を立てたのは、他の東国武士も同じだった。
 しかし、義経ほど騎馬武者の特性を知りつくして、それを戦術の根幹に与んだ武将は、東国広しといえどもその時代には誰もいなかった。

 

 なぜかというと、「武士」というのは、もともとは「百姓」だったからだ。
 地面を歩き回って田畑を耕す農民たちが、その土地争いなどを繰り返すうちに武装を強化していったのが武士だったのである。

 

 だから、義経以外の東国武士は、「馬」に乗ったとしても、それは権威を誇示したり、敵方を威嚇する手段としての側面が強かった。

 

 では、義経は「馬」をどのようにとらえていたのか。
 
 ヒントになるのは、鞍馬山で、幼少期の義経に武術を教えたという “天狗たち” の存在だ。


 この伝説が事実だとしたら、その天狗たちとは、都の生活を嫌った修験者たちであったかもしれない。

 ならば彼らは、義経に、「山野を駆けるときの秘伝」を教授したのではなかろうか。
 それは当然、都人(みやこびと)たちの移動速度とは異なる原理を義経に体感させるものになったろう。

 

 そういう “速度感” を会得した義経は、東北でついに「馬」と出合う。

 

 彼が成人を迎えるまで暮らした奥州平泉という土地は、当時日本でも有数な良馬の産地であり、かつ騎馬文化というものに目覚めた武士たちが多かったはずだ。

 

 そういう環境のなかで、義経は思う存分馬たちの習性を観察した。
 そのなかで、義経は、自ら編み出した戦術を「馬のスピード」で計算するようになっていく。


 つまり、鎌倉期の武将のなかで、彼だけが、行軍や戦闘の要(かなめ)になるのは、歩行の速度ではなく、馬の速度であることを会得したのだ。

 

 これはすでに歴史小説家の司馬遼太郎が小説『義経』(1968年)のなかで着目していた発想だ。

 

 司馬氏は、義経を主人公にしたこの作品のなかで、
 「義経は、それまで単騎で戦っていた騎馬武者を、“騎兵集団” というグループ単位で考えた最初の戦術家だった」
 と喝破している。

 

▼ 2005年の大河で義経を演じたのは滝沢秀明

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 この義経の軍事感覚を継承した武将は、戦国時代なら武田信玄が有名だが、信玄も、義経ほど騎馬戦術を徹底させたわけではない。
 武田騎馬軍団は、戦場につくと下馬して、徒歩で敵と渡り合ったこともあったからだ。

 

 しかし、義経は終始、部下のすべてを “騎馬の速度感” で統率した。
 “鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし” で有名な「一の谷の戦い」などはその典型だろう。

 この戦いで、義経が指揮する精鋭70騎は、全員騎乗したまま「断崖絶壁」ともいえる山の斜面を駆けおりて平家の虚をつき、奇襲を成功させている。
 
 

 義経の戦術の特徴には、こういった奇襲と同時に、「逃走」という手段もあった。
 基本的に、ユーラシアの騎馬民族は、「逃げる」ことを厭わない。
 
 彼らはヨーロッパまで侵入し、中世の騎士そのものの格好をしたドイツ騎兵と戦った。

 

 大型馬に乗り、装甲の厚さを武器にしたドイツ騎兵は、初戦では、一気に軽装のモンゴル騎兵を圧倒した。

 

 こういうとき、モンゴル騎兵は、一目散に逃げ出すことをためらわなかった。

 

 しかし、重い甲冑を背負ったドイツ騎兵は、騎士も馬もすぐに疲弊した。

 

 それを見たモンゴル軍は、馬首をひるがえし、疲れて戦意を失ったドイツ騎兵の甲冑の隙間に刀を差し入れ、いとも簡単に殺戮を繰り返した。

 

 

 逃げることを恥じないという精神は、壇ノ浦の戦いにおける義経にもみられる。
 彼は、平家方の闘将である平教経に一騎討ちを挑まれたが、船から船へとひらりひらりと乗り移り、8艘も逃げ延びた。

 

 彼もまた、“一騎討ち” という武将同士のメンツにこだわることなく、「逃げる」ことに何のためらいを持たなかった武将であった。

 

肖像画に残る義経

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 こういう義経のメンタリティにいちばん恐怖を感じたのは、敵となった平氏の一門よりも、むしろ兄の頼朝だったはずだ。

 

 頼朝は、義経のことを、自分が統率してきた鎌倉武士とはまったく異なる恐ろしい怪物だと思ったことだろう。

 

 「東国の武士」といえども、その素性は、土地を守ることにこだわる百姓にすぎないということは、先に述べた。

 百姓というのは、徒歩の速度で世界観をつくる人々である。
 「武士」の戦闘ルールというのは、この徒歩の世界観をもった人間たちが戦場で顔を合せたときに生まれたものだった。

 

 だから、彼らは、敵味方に別れたとき、お互いに氏素性を名乗り合って、一騎討ちで勝負に臨んだ。


 彼らは、騎乗した武士たちの集団戦という発想を持たなかったのだ。
 さすがの頼朝も、義経がそういう戦いのルールを一気に変えたことにすぐに気づいただろう。

 

 頼朝が奥州まで兵を進めて、義経とそれをかくまった藤原一族を滅ぼしたのは、「馬」をベースに世界観を打ち建てる人たちへの恐怖心がもたらしたものであったかもしれない。

 

 

「鎌倉殿の13人」好スタート

  

 NHKの新・大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、まぁまぁのスタートを切ったようである。

 

 ネットニュースなどを見ていると、初回の視聴率も17.3%と上々。
 視聴者の声も好意的な意見が多数を占めていた。

 

 実際、見ていた私も、「面白い」と思った。
 さすが三谷幸喜(左下)。
 脚本の進め方がうまい。

 

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 まず、テンポが小気味よい。
 「話をスピーディーに回している」というだけでなく、話の途中であっても、必要ないと思われる個所は大胆にカットしている。

 

 まさに、脚本と演出の勝利。
 視聴者の想像力にしっかり訴える伏線の張り方がうまいのだ。
 役者たちも、その呼吸をうまく把握しているという印象を受けた。

 

 特に「うまいなぁ」 と感心したのは、出演者たちの名前や役どころがよく分からないうちに、彼らの演技や表情で、ストーリーが即座に把握できるようにしていたこと。

 

▼ 主演の小栗旬

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 大河ドラマで取り上げられる時代が「戦国」と「幕末」に集中していたのは、けっきょく登場人物たちの名前や出自が視聴者に認知されやすいからである。
 
 それに比べると、鎌倉時代などの武将の名前などはほとんどの人が知らない。
 源頼朝義経平清盛ぐらいなら誰もが知っているかもしれないが、北条氏の武将を2人以上挙げられる人など、受験生でもわずかだろう。
 「北条義時?」
 誰、それ?
  である。

 

 しかし、今回は、登場人物たちのキャラクターを誇張して、演技にメリハリをつけたことで、名前など分からなくても、話の筋が通るようにしたのはお手柄だった。
 
 それに一役買ったのが、セリフ回しを現代劇に徹したこと。

 

 これに関しては賛否両論あるかもしれない。
 私のような、NHK大河を第一回(1963年)からずっと見ているような老人からすると、こういう現代劇のセリフ運びには興醒めすることが多い。

 

 しかし、今回はそれがうまくいっている。
 役者たちの
 「そっちかよ!」
 「またこれだ!」
 などという言い回しが、けっこう痛快に聞こえた。

 

 結局、人間の耳というのは、日頃聞きなれた言葉の方を心地よく感じてしまうのだろう。

 

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 あとは、源頼朝という人物像をどこまで深く掘り下げるかだろうな。
 初回の頼朝は、軽妙な立ち居振る舞いと、冷酷で不気味な一面を瞬時に見せるという離れ業をやってのけた。


 大泉洋(上)も、役者としての幅が出てきたのだろう。

 頼朝が死んだあと、視聴者の間に、「頼朝ロス」というものが生まれるかもしれない。

 

 

情報としての価値を帯びてきた「ノイズ」という言葉

 
 「ノイズ」という言葉が、時代のキーワードになりそうな気配がある。

 単純に訳すと、「雑音」。
 つまり、耳障りで不快な音。

 

 しかし、街中に氾濫するその「ノイズ」を集めて楽曲をつくるアーティストがいるという。
 「VIDEO TAPE MUSIC」さん(下 38歳)。

 

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 朝日新聞の1月1日号に掲載された「Tokyo シンフォニー 1」という記事を読むと、このアーティストの次のようなインタビューが紹介されていた。

 

 「録音技術の発達や、防音設備の整ったスタジオでのレコーディングによって、音楽は、これまで不要なノイズをどんどん排除してきました。でも、ノイズには、楽曲の個性を作り出す要素が隠れている可能性があります」

 

 つまり、コツコツ、ガタゴト、ザワザワといったような、普段は聞き流してしまうような街や自然の音のなかに、意外な魅力があったりするのだそうだ。
 そういう “ノイズ” のなかにこそ、人や自然の息づかいが潜んでいる。

 

  そう語る「VIDEO TAPE MUSIC」氏は、次のようにも説明する。

 

 「今はイヤホンにノイズキャンセリング機能があり、外部のノイズを排除することができるようになっています。
 でも、実は、人間は不快な音から、他者の存在に目を向けるレッスンができるのです」

 

 もう少し、話を広げると、
 「(人は)インターネットでも、自分と同じ考えを持った人の意見を拾いがちになります。しかし、文化や生活パターンが違う “他者” を知覚すると、どんどん自分が寛容になっていきます」

 

 つまり「ノイズ」とは、他者への関心を招き寄せる「魔法の音」ということなのだ。

 

 偶然かもしれないが、同日の同紙には「朝日新聞社メディア局」の広告が掲載されていて、そこで対談する上野千鶴子氏(社会学者)と、高宮敏郎氏(教育学博士)が語り合うテーマが、まさに「ノイズ」だった。

 

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 上野氏はその対談で、子供たちの現代教育に必要なものは、まずダイバーシティー(多様性)だと語り始めた。

 

 しかし、ダイバーシティーというのは、
 「異質なものと触れあうところからしか生まれない」
 とも。

 

 “異質なもの” とは、例えば、外国で異文化に触れたり、高齢者や障がい者と日常的につきあったりするような体験を指す。

 

 そういう体験のなかで、その個人が最初につかんだ “違和感” こそが、「多様性」を知るきっかけとなる。

 

 上野氏は、その「違和感」のことを「ノイズ」と訳す。

 

 「情報工学では、情報とはノイズが転化したものだといわれています。ノイズが発生しない同質的な組織からは、価値ある情報も生まれません」

 つまり、「多様性のない組織からは新しい知が生まれない」というのだ。
 
 
 では、現代社会における “ノイズ” の担い手は誰か?

 

 上野氏は、「子供と女性」だという。

 

 「子供は大人にとって最大のノイズです。子供は常に大人が思いもつかない行動をして、大人をはらはらどきどきさせます」
 しかし、それが、大人の停滞した心を活性化させる。

 

 同じように、一般社会における女性も、男性主導型の世界ではノイズであるべきだという。

 

 現在は女性活用の風潮が際立ってきた。
 しかし、男たちは、女性を、あくまでも「男性社会をさまたげない存在」という立場に押し込めようとしていると、上野氏はいう。

 

 それは、これまでと同様、「男たちがつくりあげてきた均質な社会」のなかで女を管理しようという発想だ。

 

 しかし、均質な社会というのは、停滞を免れない。
 なぜなら、そこには「なぜ?」「どうして?」と問うような疑問が生まれないからだ。
 
 つまり、均質社会というのは、疑問を排除してしまったがゆえに生まれてくる世界にほからない。

 

 均質社会には弱者がいない。
 弱者と強者の間から立ち騒いでくるものが「ノイズ」なのに、均質社会はそれを無視するために、弱者という存在そのものを視界から消し去ろうとする。

 

 しかし、上野氏はいう。
 「弱者こそノイズだ」

 

 「強さを測る尺度は一元的だが、弱さは一人ひとり違う。
 その多様性のなかにこそ未来の可能性がある。だから弱者を尊重することが、社会にとって大事だ」
  
  
 「ノイズ」というものに着目することは、単に社会をどう切るかという問題に収まらない。
 それは、もちろん音楽の問題でもあり、さらには映画、文学、アートなどの問題でもある。
 

 

  

▼「映画のノイズ」(ターミネーター3を観て) 2021年9月15日のエントリー

 

  

 

 

 

 

歌謡曲はどこへ行く?

 
 年末から正月にかけて、歌番組ばかり見ていた。
 「レコード大賞」、「紅白歌合戦」、「第54回 年忘れにっぽんの歌」などという番組である。

 

 「紅白」と「年忘れ」はほぼ同じ時間帯だったので、どちらかがつまらなくなると、チャンネルを変えていたのだけれど、それらを見ているうちに、1970年代の日本の歌謡曲シーンには「すごい曲が集中していたな!」と、あらためて思った。

 

 五木ひろし 「よこはま・たそがれ」 1971年
 尾崎紀世彦 「また逢う日まで」 1971年
 ちあきなおみ 「喝采」 1972年
 小柳ルミ子 「瀬戸の花嫁」 1972年 
 梓みちよ 「二人でお酒を」 1973年
 森進一 「襟裳岬」 1974年
 中条きよし 「うそ」 1974年
 沢田研二 「時の過ぎゆくままに」 1975年
 西川峰子 「あなたにあげる」 1975年
 内山田洋とクールファイブ 「中の島ブルース」 1975年
 小林旭 「昔の名前で出ています」 1977年 
 狩人 「あずさ2号」 1977年
 石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」 1977年
 増位山太志郎 「そんな女のひとりごと」 1977年 

 
 71年から77年ぐらいにかけて、まさに “大人の歌” が集中していた。
 
 「大人の歌」というのは、男女の微妙なかけひきをテーマにした歌のことをいう。

 

 そこでは、“心の肉弾戦” が繰り広げられるような、男女の激しい恋は描かれない。
 そうではなく、こっそりと相手の懐(ふところ)に忍び込んでいくような、淫靡なささやきを強調する歌が主役となっている。 

 

 特に、山口洋子のつくる曲がすごい。
 「よこはま・たそがれ」とか、「うそ」というのは、いろいろな女性と男性の心の襞(ひだ)みたいなものを理解していないと作れない歌だ。

 

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 山口洋子は1956年に、銀座の「姫」を19歳で開業した女性である。
 彼女はその「姫」を銀座を代表する高級クラブに成長させ、有名作家や芸能人、大手企業の経営者、スポーツ選手らの “たまり場” に発展させた。

 

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 当然、店のホステスと常連客の恋のかけひきに関する「情報」が山口洋子のもとに寄せられたことだろう。
 「よこはま・たそがれ」も、「うそ」も、そういう “恋の現場” から得られた濃密なディティールなしには描き切れなかった世界だ。

 

 

▼「うそ」 中条きよし

youtu.be

 

 ♪    折れた煙草の すいがらで
    あなたの嘘が わかるのよ
    誰かいい女 できたのね できたのね
    あー 半年あまりの 恋なのに
    あー エプロン姿が よく似合う

 

   爪もそめずに いてくれと
   女があとから 泣けるよな
   哀しい嘘の つける人

 

   あなた残した わるいくせ
   夜中に電話 かけるくせ
   鍵をかけずに ねむるくせ ねむるくせ


     あー 一緒になる気も ないくせに
   あー 花嫁衣装は どうするの

   僕は着物が好きだよと
   あついくちづけ くれながら
   冷たい嘘の つける人

   

   あー あんまり飲んでは いけないよ
   あー 帰りの車も 気をつけて

   ひとりの身体じゃ ないなんて
   女がほろりと くるような
   優しい嘘の 上手い人


 巧みな歌詞だと思う。 
 「結婚」というものに期待を寄せる独身女性の心理状態が非常に艶やかに歌われている。
  
 この歌詞のリアリティは、今年72歳(年男だ!)になる私などには非常に分かるのだ。

 

 歌の作られた1974年は、まだ「専業主婦」という身分が魅力的に思われていた時代だったからだ。
 それは、その時代に青春を送った24歳の私などから見れば、きわめて当たり前の感覚だった。

 

 旦那はいったん家を出たならば、夜半過ぎまで仕事に励み、時には接待客などといっしょに夜の街で遊ぶ。
 奥様は、そういう稼ぎのある夫の収入を頼り、家事一切を取り仕切る。


 
 それは、1970年代という高度成長期の日本の “理想的” な世帯像だった。
 終身雇用が保証され、夫が高収入を約束されたその時代には、そういう世帯観に疑問を抱く夫婦はほとんどいなかった。

 

 だからこそ、「専業主婦」に収まるというサクセスストーリーに裏切られた女性の “恨み” がこの歌の凄みになったといえる。

 

 しかし、こういう歌はもう作られることがない。

 

 今は、あまりにも時代が違い過ぎる。
 夫婦の共稼ぎが当たり前。
 さらに、「ジェンダーフリー」が時代の標語になった現在、女が男に服従するような古風な世帯観というのは、若い人からは「化石」のように感じられるはずである。

 

   
 では、今の若い人たちは、どういう気分で歌をつくっているのだろうか。

 2021年の「レコード大賞」エントリー曲のなかで、特にいいなと思ったのは、YOASOBI 「もしも命が描けたら」と、Ado の「踊~うっせぇわ」だった。

 

 これらの曲は、みなサウンドが刺激的だった。

 

 たとえば、Ado のレコード大賞スペシャルメドレーで流れた「踊」と「うっせぇわ」。

 

▼ 「踊(おど)」

youtu.be

▼ 「うっせぇわ」

youtu.be

  

 私のような年齢(71歳)になると、こういう前のめりのリズム感は、すでに私の身体(からだ)にはない。

 

 歌詞も理解できない。

 曲が流れていても、耳が歌詞をたどるのに追いつかない。
 “洋楽” のように、サウンドだけを聞いている感じになる。

 

 「うっせぇわ」は、昨年あちこちのメディアで取り上げられたから聞いた人も多いだろうが、これも歌詞を追うのに苦労する。
 
 しかし、「うっせぇわ」の方は、多少歌詞をたどれないこともない。
 よく聞くと、これは世代間ギャップをテーマにした歌であることが分かる。

 

 ここには、男女の濃厚な恋愛模様を描いた70年代歌謡の影はまったくない。
 男と女の対立は、大人と若者の対立に置き換えられているのだ。

 

 その構図のなかで、
 「♪ あなたが思うより健康です」
 と歌われるときの “あなた” とは、私のような中高年(あるいは老年)である。
 
 つまり、そこには、
 「社会を逸脱した不健康な若者」
 と、上から目線で若者を見つめる中高年を揶揄する もしくは侮蔑する若者からの冷たい反撃が用意されている。

 

 そして、「社会のルール」を一方的に押し付けてくる中高年たちを、Ado という若い歌い手(現在19歳)は、
 「♪ 一切合切凡庸な、あなた(中高年)じゃ分からないかもね」
 と、斬って捨てる。

 

 しかし、それを聞いている私のような「大人」は、この爽やかな斬られた方に快感を感じてしまう。
 例えていえば、きつめの炭酸でつくられた清涼飲料水を、ゴクゴクと喉から流し込んでいく感覚に近い。

 

 それは、サド・マゾなどという性愛の嗜好とは無縁の「若さ」へのオマージュというものかもしれない。

 

 今の歌は、1970年代の「大人の歌」から、ずいぶん遠いところまできたようだ。

 

 

謹賀新年 2022

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 新年、明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。

 

 皆様、今年はどのように迎えられましたか?

 

 小生は、例年と同じで、大みそかは近所のお蕎麦屋さんから “年越し蕎麦” の出前を頼み、それをつまみに日本酒を飲み、「紅白歌合戦」をのんべんだらりと眺めつつ、テレビ(ゆく年くる年)から流れて来る除夜の鐘を聴きました。

 

 それでは、この新しい年を元気に迎えましょう!
 乾杯!

 

よいお年を

 

 皆様、今年はお世話になりました。
 3年前にオープンした「アートと文藝のCafe」も、おかげさまで、376回目を更新することができました。

 

 合計アクセス数は183,022。
 読者数は334人。
 ブックマーク数は140。


 けっして “大繁盛” というほどではありませんが、温かい読者の方々に認知していただく幸せなブログに成長したと思っています。

 

 それにしても、本当に1年が経つのが早く感じるようになりました。

 

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 特に1週間の早いこと。
 一つの日曜日が過ぎたかと思ったら、あっという間に、次の日曜日。

 

 途中の水曜とか木曜日がサボっているのではないかと感じます。


 たぶん水曜とか木曜は、24時間やってないよ。
 あいつらは12時間とか、10時間ぐらいで終わっているのじゃないかな。

 

  というよりも、12時間ぐらい経つと、自分の頭のなかが、もう勝手に寝てしまうのかもね。

 

 とにかく、よいお年を。
 来年も元気にお会いしましょう。

 

 

フェルメール『真珠の耳飾りの少女』

 

絵画・映画批評
秘められたエロティシズム
  
  
 17世紀のオランダの画家、ヨハネス・フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』は、非常に多くの謎を秘めた絵画であるという。

 

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 まず、制作された時期が分からない。
 誰の注文によって描かれたのかも分からない。

 

 この時代、絵画というのは、画家がクライアントの要請を受けてから描く場合がほとんどだが、この絵に関しては注文主が分からないのだ。

 

 これらの謎に関して、いくつかの仮説は立てられている。
 制作年代などは、画風などから判断して、1665~1666年くらいだろうといわれている。
 しかし、そういう推測も、1670年代に入ってからの技法とは異なるからという理由だけで、制作年を正確に特定するのは難しいらしい。

  

 
 最大の謎は、モデルがいったい誰なのか分からないことだ。
  
 モデルは、フェルメールの娘のマーリアだという説もあるが、そうではなく、妻、恋人、あるいはまったくの想像上の人物など諸説入り乱れ、これも特定できていない。 
  

 

この娘は、なぜカメラ目線なのか?

 

 そのような謎をたくさん秘めながら、フェルメールの作品の中ではもっとも有名な絵であり、フェルメールの名を知らない人々からも愛され続けてきたのが、この『真珠の耳飾りの少女』である。

 

 別名、『青いターバンの少女』。
 あるいは『ターバンを巻いた少女』。

 

 いくつかの呼び名があるということは、この絵がクライアントの発注とは関係なく、画家が特別の思いを込めて、自分のためだけに描いた絵であることを推測させる。


 もし、画家が注文主からの依頼を受けて描いたのなら、肖像画の場合はモデル名、風景画だったら、対象となった場所の地名などが残されるはずだからだ。


 
 それにしても、この『真珠の耳飾りの少女』がかもし出す愛くるしい魅力は、いったいどこから来るのか。
  
 ここに描かれる少女は、振り向いて、しっかり作者の方を見つめている。
 写真でいえば、これは “カメラ目線” である。


 実は、フェルメールの絵において、カメラ目線の人物というのはそう多くはない。
 彼の絵に登場する人物たちは、たいてい視線を落として家事にいそしむか、窓の外を眺めるか、楽器を奏でるか、手紙を読みふけるなど、常に何かの作業に没頭している。

 

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 なのに、この少女は、しっかりと作者を見つめている。
 さらに、唇をわずかに開き、何かを言いたげな様子にも見える。


 他のフェルメールの登場人物が、部屋の調度と溶け合って、室内の空気のように沈黙を守っているとしたら、この少女は自分のメッセージを心に秘め、それを伝えようとしているかのようだ。

 

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背景が黒く塗られている理由
   
 たぶん、画家は、この少女の心の中を知っているのだろう。
 だから、この絵には、もう背景は要らないのだ。

 

 背景を真っ黒な闇にしてしまっても、成り立つ絵。


 すなわち、それは画家にとって、この少女以外の物を “視る” 必要がなかったからだ。
 それは、画家が、ひたすら少女のすべてを手に入れたいと願っていたことを意味する。
 あたかも、恋しているかのように。
   
 

 
映画化することで絵の謎に迫る 

 

 この絵が、まさに “フェルメールの隠された恋” を表現していると解釈した映画がある。
 2003年に公開された『真珠の耳飾りの少女』だ。


 アメリカ・イギリス・ルクセンブルクが、国を超えて共同制作した映画で、監督はピーター・ウエーバー。

 

 フェルメール家に使用人として雇われた一人の少女に対し、画家がいつしか恋心を抱くというストーリーになっている。

 

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 フェルメール(上)を演じたのは、コリン・ファース
 使用人のグリート(下)を演じたのは、スカーレット・ヨハンソン

 

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 かなりの恐妻家ではなかったかと言われるフェルメール


 仮に、彼が妻以外の女性に恋したとしても、フェルメールはそれで家庭を壊すような男ではなかったから、恋人同士は手すら握ることもなく、もちろん愛を告白し合うこともなく、絵の完成をもって自然に別れていくしかなかっただろう。


 当然、記録としても残るはずがない。

 

 そこに着目し、これを “恋愛ドラマ” として作り上げた映画制作者の着眼点は鋭い。
 もちろん、映画に先行して小説の原作(トレイシー・シュヴァリエ 作)があり、画家と使用人の娘が恋に落ちるという設定は、小説のなかで “実話風” のタッチで描かれているという。 


  
 だが、それを映画化したときに、新しいものが加わった。
 映画の画面が、そのままフェルメールの「絵」になったのだ。
  
  

 
17世紀のオランダにタイムスリップ

 

 この映画の楽しみ方は、画家と娘のもどかしい恋模様を追うこと以上に、フェルメールの暮らした1665年のオランダ・デルフト市の景観を堪能することにある。

 

▼ 映画が描いたデルフトの町

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フェルメール作『デルフトの眺望』

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 ヴェネチアと同じように、干拓によって町を広げていったネーデルランド地方は、運河が重要な交通空間となる。

  

 そこを行きかうボート。
 ボートから運び出されるさまざまな生活物資。
 それらの光景は、17世紀のオランダが、ヨーロッパ最強の海洋国家であったイギリスと覇を争えるぐらいに栄えた商人都市であったことを物語っている。

  

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 ボートが横付けされる広場には市が立ち、生々しい豚の生首をさらした肉屋があり、野菜を売る店があり、それらの店舗の間を、鶏やロバが行きかう。

 

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 観客は、一瞬のうちに “時間旅行者” となり、17世紀オランダの雑踏の中で、教会の鐘を聴きながら、動物たちの臭いと、洗濯石鹸の匂いが混じり合う猥雑な街角で、頭巾をかぶった女たちと帽子をかぶった紳士たちの群れにまぎれ込むことになる。

 

 とにかく、すべてのシーンが、フェルメールの絵画そのもののタッチで描かれる。フェルメール好きにはたまらない映画かもしれない。(下の映像などはもうフェルメールの絵そのもの)

 

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娘は、絵画の技法を本能で見抜いた !

 

 フェルメール家に入り、生まれてはじめての奉公を経験するヒロイン。
 画家の奥方も、その娘たちも、けっして優しくはない。


 娘は、一日身を粉にして働いた後、地下室の粗末なベッドに疲れた身体を休めることしか許されていない。
 もちろん、一家の主であるフェルメールとは、口をきいたこともない。 

 

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 しかし、アトリエの掃除を申しつけられて、床掃除をしているうちに、彼女は、フェルメールの描きかけの絵を眺め、絵画の魅力というものに触れる。


 そして、あの “フェルメールの光” といわれる、窓から差し込む独特の光彩を描いた絵の玄妙さに心を奪われる。

 

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  …… でも、絵には何かが足りない。
 窓が汚れているために、外光の回りが悪く、それが絵の精彩を欠く原因になっている、と彼女は感じる。


 そして、奥方の許可を取り、勝手にアトリエの窓を拭き始める。

 

 ヒロインがガラス窓を拭く姿を、画家の妻や娘がこっそり見守るのだが、彼女たちは、ヒロインが窓を拭く目的が分からない。

 

 だが、フェルメールには分かってしまうのだ。
 この新しく入ってきた小間使いの娘が、「絵ごころ」というものを直感的に身に付けていることを。

 

 画家は、次第に、ヒロインに絵の具を調合するような仕事をさせるようになる。

 

 絵の具の調合を終え、2人は手を休めて空を眺める。
 「あの雲は何色に見えるかね?」
 画家は尋ねる。
 普通の人間なら「白です」と答えるところなのに、ヒロインは、「白、黄色、グレー …… 。いろいろな色が混じり合っています」と答える。

 

 “無教養な貧乏人” のくせに、この娘はどこで絵の本質を見抜く素養を身につけたのか。
 フェルメールの驚きは、徐々に恋の形を取り始める。
  

 
  
“濡れ場” など何もないのに、猥褻なくらい官能的

 

 一方の少女のグリートの方も、絵を通して人の心まで描き切る画家の才能に心酔し始める。
 才能ある男への「心酔」は、男性体験の乏しい乙女の場合は、容易に「愛」に変わる。
  
 だが、2人とも、そういう気持ちをおくびにも相手に見せない。
 したがって、観客は、2人のセリフや挙動だけでは、彼らの心を読み取ることができない。

 
 ただ、2人の間に横たわる沈黙の重みから、「いま2人の間にのっぴきならない感情が交差し合っている」ことを類推することが許されるだけである。
 
 
 実に繊細な映画。
 普通の観客が、恋愛の芽生えをイメージするために必要とする “記号”。すなわち、「接吻」、「抱擁」などという動作は、最初から最後まで、ついに登場することがない。

 

 なのに、すごくエロティックな映画なのだ。
 「官能」を通り越して、「猥褻」に近いほどの生々しいエロスが横溢している。
 これは、私だけの感想ではなく、ネットでこの映画のレビューを書いているほとんどの人が指摘していることだが、とにかくエロい。
  
 2人の情熱が体の外に発散されることがないため、出口を求めてほとばしる炎が、衣服の下で、巨大なヘビがのたうち回るような運動を展開していることが伝わってくる。(そもそも “官能的” とは表に出ないエロスのことをいうのだ)

 

 パレットに載せるための絵の具を、2人がテーブルの上で調合する。
 画家の手が、少しずつヒロインの手に近づく。


 「ついに画家が、娘の手を握るときが来たのだろうか?」
 観客は、そう想像してドキドキする。


 しかし、2人の手はけっして交差することはない。
 行為としての「恋愛」は最後まで成就することはない。

 

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 しかし、2人の気持ちは「調合された絵の具」を介して、愛として混じり合い、最後は「絵画」の形をとって、成就する。
 そういう映画なのだ。
   
 官能的な場面を、あと少々。


 ひとつは、ヒロインの被っていた頭巾について。
 娘は終始、この地方の婦人たちが頭にかぶる頭巾を脱ぐことがない。


 しかし、彼女をモデルに、『真珠の首飾りの少女』を描くことを心に決めた画家は、ヒロインにその頭巾を取るように命令する。
 「それは、できません」
 と、まるで、「衣服を脱げ」といわれたかのように、おろおろする娘。

 

 もちろん “頭巾” が何であるか、勘のいい観客にはすぐに理解できるだろう。

 

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 頭巾を脱ぎ、ターバンを巻いた娘に、画家は、舌で自分の唇をなめるように指示を出す。


 唾液が、娘の半開きになった唇をつやつやと光らせ、しっとりと濡れていく。
 それもまた、何かを暗示しているかのようだ。 

 

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 画家が、真珠のピアスをヒロインの耳につけさせるシーンが出てくる。


 耳に針が通る苦痛に、彼女の顔が一瞬、歪む。
 にじむ血。
 穴が通った後に、目に浮かぶ涙。

 

 監督は、こういう形で、2人のエロスを描くのだ。

 

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芸術を理解する能力は、ときに悲哀を招く

 

 フェルメールの絵は、一見、官能的な匂いからは遠いところにある。
 彼の作品には、ロココ美術のブーシェや、古典主義のアングルのような扇情的なエロティシズムは見られない。

 

 しかし、『真珠の耳飾りの少女』には、じっと見ていると伝わってくる秘められたエロスがある。


 そこには、「去っていく恋を手元に置いておけるのは、もうこの絵しかない」という画家の切実感すら漂っている。
 それは、モデルとなった娘においても同様であったろう。
   
 
 彼女が画家のもとを去る日が刻々と近づいてくる。

 
 あまりにも親密な娘と画家の関係を疑ったフェルメール夫人が、娘に解雇を言い渡したからだ。
 恐妻家のフェルメールは、夫人の意志をくつがえすことできない。
  
 娘は、絵の中に留まることで、画家の愛に報いたいと念じ、万感の想いを秘めて真珠の耳飾りを付け、キャンバスの前に立つ。


 絵が完成した日は、彼女が無垢な少女から「恋を知った女」になった日であり、同時に2人の仲が終わる日であった。

 

 というような虚構を、あたかも真実のように信じ込ませる力のある映画だった。 

 

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山のクリスマス

山のクリスマス

 

  
  もうとっくに死んじゃったけど、俺のオフクロは、無類にクリスマスが好きだった。
  
  戦争を体験して、物資の少ない時代を知ってた人だから、モノを大切にしていた。
  だから、なんかのときに手に入れた、クリスマス用のきれいな赤い包装紙を毎年使って、クリスマスプレゼントってのを包んでくれたのよ。
  

 それがちょっと不思議だった。
  「サンタさんはいつも違うプレゼントをくれるのに、なんで包装紙だけは同じなんだろう?」

 なんてね。

 ま、あまり突っ込んで考えたこと、なかったけどね。
  
  年を経るたびに、少しずつ包装紙がしわしわになっていくんだけど、味が出てきて、それも悪いもんではなかった。
  

 
  もらったプレゼントにはオモチャもあったけど、絵本なんてのが多かった。

 
  で、毛布を羽織ったオフクロの膝の上に抱かれて、さっそくそういう絵本を読んでもらう。
  
  体はポカポカ温かいし、本は面白い。
  そいつが、小さかった頃のクリスマスの楽しみだったねぇ。
  
  『山のクリスマス』なんて本があった。
  主人公の名前はハンシ。…  違ったかな。
  

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  ストーリーは忘れてしまったけど、絵が良かった。
  
  町に住む男の子が、冬休みに、山に住んでいるお爺さんの家に行く話だったように思う。
  
  近所の子供たちが集まって、おばあさんがクッキーなど焼いて、子供たちに振舞って。
  暖炉があって、火が燃えていて、ツリーは星の飾りで彩られてキラキラしていた。
  子供心に、「外国のクリスマスって豊かなんだな 」と思った。

 

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  学生になって、さらに社会人になって、アパート暮らしを始めた俺は、クリスマスだからといって実家に寄り付くことはなくなった。
  
  しかし、たまに家に顔を出すと、家の一角が1年中 “クリスマスコーナー” になっているわけよ。
  そこには、手のひらに乗るぐらいの小さなクリスマスツリーとか、赤いキャンドルとか、天使の姿をした陶器の人形なんかが飾られていた。
  
  そして、ボロボロになった『山のクリスマス』の絵本なんかが、そっと立てかけられていた。
  おふくろは、家に寄り付かなくなった俺の、ガキの頃だけを思い出して、毎日独りでクリスマスを楽しんでいたのかもしれない。
  

 
  その本はどこに行ってしまったのだろう。
  オフクロが亡くなって、遺品を整理して、そのときにどこかの箱につめたまま倉庫に眠っているはずだ。
  

 
  整理をしているときは、感傷的な気分など微塵もなかったのに、こうやってクリスマスが近づいてくると、無性にその本のことが気になる。
  
  おーい、どこかのダンボールの底に眠っている 『山のクリスマス』 。
  聞こえたら返事をせい。
   

 

ウーパールーパー

  

 テレビを観ながら、カミさんと2人で飯を食っていた。

 

 ふと、箸を持つカミさんの手が止まった。
 画面を食い入るように見つめたままだ。

 テレビ画面にウーパールーパーが映っていた。
 それを眺めていたカミさんの視線が、やにわに、こちらを向いた。

 

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 「似てる」
 と、真顔で一言。
 俺の顔が、ウーパールーパーに似ているらしい。

 

 冗談じゃねぇぜ。
 化け物じゃないか?

 

 でも、彼女がいうには、
 「造形的特徴を捨象し、フォルムを抽象化していくと、顔の造作が
同型なのだ」
 とか。
 すなわち、顔が丸っこく、目と目の間が離れ、かつその目が極端に小さい。

 

  
 以前、水族館に行ったときも、オオサンショウオの水槽の前で立ち止まったカミさんは、しばくらしてから俺の顔に視線を移して、
 「似てる」
 といい放った。

 

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 「何が?」
 「オオサンショウオに」

 

 俺の顔というのは、  
 「洗面器みたいに大きな頭の横に、ゴマ粒みたいな目がちょこっと付いていて、オオサンショウオにそっくり」
 というわけだ。

 

 あいつ、何が言いたいんだ?
 確かに自分がイケメンだとは思ったことはないが、いくら何でもウーパールーパーとかオオサンショウオはねぇだろう?

 

 「不気味だ」
 と言いたいのか?
 それとも、
 「可愛い」 
 とでも言うつもりか?
   

 
 俺の小学生時代のあだ名は、「チーター」だった。
 足が速かったからだ。

 

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 中学校では、「キツネ」と呼ばれた。
 顔が細かったからだ。

 

 今は「ウーパールーパー」だ。
 年は取りたくないもんだ。

 

 

クロード・ロランの描く静寂のユートピア

 

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▲ デロス島アイネイアスのいる風景 
 

 クロード・ロランという人の絵が好きだ。

 彼は、17世紀のフランスで活躍した画家で、当時の裕福な王侯貴族たちをパトロンに抱え、古代ローマ時代の建築群などをモチーフにした風景画を描いて好評を博し、名誉と栄光に包まれた人生を送った人だといわれている。

 

 生前はもちろん、死後もその高い評価を維持したという意味で、芸術家としては珍しく幸せな運命に恵まれた画家の一人だ。
 
 えてして、こういう芸術家の作品は退屈なものが多いのだが、クロード・ロランの絵は、いつ見ても不思議な感興を呼び起こす。
 その作品の多くは、自然と文明が美しく調和し、明るい静謐(せいひつ)感を湛えた画風で統一されている。
 
 どの絵をとっても、まるで劇場の背景画のような壮大さと華麗さを持っており、きっと貴族たちの館を飾るにふさわしい家具・調度としての機能を果たしていたことだろう。

 

 聖書やギリシャ神話から採った題材がほとんどだが、人を激情に駆らせたり、不安に落としこめるようなドラマチックな要素はひとつもなく、見る者の心を静かに癒す、平穏な風景が格調高い筆致で描かれている。

 

 
この世のどこにもない風景

 

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▲タルソスに上陸するクレオパトラ  

 

 特筆すべきは光の処理で、逆光がまばゆいばかりに海面を踊る様子を描いた絵などは、そのあまりにも荘厳な雰囲気に、思わず息を呑んでしまう。

 

 しかし、よく見ると彼の絵は、不思議だ。
 この世のどこにもない風景なのだ。
 

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 古代ローマ風の建築群は、その大理石の質感やら陰影やらも克明に書き込まれているというのに、どこかこの世のものとも思えぬ “はかなさ” を漂わせているし、涼しげな風を宿す木々は、夢に出てくる樹木のように現実感を欠いている。

 

 小さく描きこまれた人物たちも、輪郭が明瞭であるにもかかわらず、おとぎの国の生き物のように存在感が希薄だ。

 

 
現実感のないゴージャスさ

 
 「ユートピア」という言葉の語源が、「どこにもない場所」という意味であるならば、クロード・ロランの描く世界は、まさに絵画が実現した「ユートピア」である。
 
 この現実感を欠いたゴージャスな空間というのは、今の言葉でいえば、まさに「リゾート空間」ということになるだろう。

 

 リゾートこそは、自然と文明の調和を謳いながら、実は自然とも文明とも無縁な、純度100%の架空世界にすぎない。

 

 リゾートが、人間に「くつろぎ」を与える場所であるのは、それは、リゾートが「人間」を巧妙に消去する空間だからである。

 

 人間である限り、どんな空想の世界で遊ぼうが、どこかで人間として存在することの「受苦」から逃れられない。
 その受苦が人間から免除されるのは、人間が「人間」であることを降りる瞬間でしかない。

 

 
「人間」がいない世界

 

 クロード・ロランの絵は、まさに、人間が「人間」から降りる空間を描いている。
 
 では、人間が「人間」から降りる場所とは、どういうところだろうか。
 
 いうまでもなく、それは「時間が止まる場所」のことである。
 人間が地球からいなくなれば、時間は止まる。


 つまり、時間を「時間」として認識する人間が地球から消えたとき、この世に「時間」もなくなる。

 

 クロード・ロランの絵の美しさとは、そのように、「時」が歩みを止めてしまった世界の美しさのようにも感じられる。
 
 美術評論家の多くは、クロードの絵に、平和と調和に満たされた優美な「理想郷」を読み込む。
 しかし、この絵に潜む、言い知れぬメランコリー(憂愁)を見逃している。
 
 この絵が伝える優しい静けさが、死の気配に近いことを見逃している。

 

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安倍氏・高市氏の「中国批判」は間違っている

 

 12月18日のネット情報によると、自民党高市早苗政調会長が、北京冬季五輪を「外交的ボイコットを岸田政権に呼びかけたが、政権側の茂木幹事長がその意見の採択を見送ったことが報じられていた。

 

 高市氏は、そのことを「くやしい」と恨んだという。

 

 高市氏の背後には、安倍晋三元首相がいる。
 だから、高市発言というのは、そのまま “安倍発言” と見なすことができる。

 

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 一連の記事の出どころは「zakzak」というサイト(夕刊フジ公式サイト)」だ。

 

 同サイトは次のように主張する。
 「安倍元首相は、岸田首相の煮え切らない態度に業を煮やしている。このままなら、安倍氏が、岸田氏を見限る局面もあるのではないか」

 

 さらに続けて、次のようにも書く。 
 「安倍氏の発信には、緊迫した中国・台湾情勢に対する安倍氏の強い危機感がにじみ出ている。優柔不断な岸田首相とは、大違いである」
 
 
 結論から先にいうと、上記のような論調は、政治を知らない識者の発言でしかない。
 
 政治というのは、 なかでも「外交」というのは、果敢に攻め込むことも必要だが、時には「のらりくらり」と泳いでいた方がいいこともある。
 「zakzak」の書き手たちには、その呼吸が分かっていない。

 
 
 安倍氏高市氏の対中国強硬論は、まさに「政治を知らない」がゆえにできることだ。

 

 

 一般的に、安倍氏高市氏のグループは「タカ派」、「保守派」などといわれている。
 私は、その呼称は違うと思う。

 

 彼らは、ただの「観念派」にすぎない。
 つまり、イデオロギーで外交を断ずるという人たちなのだ。

 

 それに肩入れする「zakzak」の論客たちも、「観念派」である。
 だから、“煮え切れない” 岸田首相の言動を、
 「宏池会に染み込んだ “親中” 体質だ」
 などと揶揄する。

 

 バカじゃないのか? この論者たちは。
 確かに、岸田首相は宏池会の流れを汲んだ政治家だが、岸田氏がのらりくらりとしているのは、“宏池会のDNA” などという古めかしいものというよりも、現在の中国とのイデオロギー戦に対する深謀遠慮だ。

 

 中国は、北京五輪のボイコットを手中する国が、その理由に「人権擁護」という言葉を出したとたん、意地汚いほどの痛烈な罵倒を繰り出してくる。
 場合によっては、経済的な対抗手段すら持ち出してくるだろうし、さらには、嫌がらせとして尖閣への圧力をもっと徹底させてくるだろう。

 

 安倍・高市氏らは、そういう中国に対して、むしろ挑発するように、「人権」を盾に歯向かおうとする。

 

 それは利口なやり方ではない。
 中国という国は、政治的に批判しようがしまいが、敵対勢力をつぶそうと思ったときは、一気呵成に攻め込んでくる。

 

 そういう中国に対しては、防衛的な対応もしっかり進めながら、言葉による外交では「のらりくらり」とかわしておくことが賢明なのだ。

 

 中国の人権侵害を糾弾することは非常に大事だ。

 しかし、それこそメディアなどの仕事だ。

 中国政府は、日本のメディアの動向もしっかりチェックし、自分たちが不利益を被るようなことには苦い思いを抱いている。

 ただ、彼らも、メディアの発言に関しては、国を超えて攻撃することはできない。

 

 その点に対し、政治家は、発言において慎重にならなければならない。

 つまり、中国が牙をむくタイミングをずらすことが大事だ。

 

 安倍・高市両氏の主張を聞いていると、
 「こいつら政治家なのか?」
 と疑わしくなる。

 

 

 

Born Under A Bad Sign

  

 ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン

 

 日本語に訳せば、「悪い星の下に生まれて」。

 “ほんとにツキのねぇ人生だぜぇー” ってな意味である。

 

 この言葉は、黒人のブルース奏者アルバート・キング(下)が大ヒットさせた曲名としてよく知られている。

 

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▼ Albert King - Born Under A Bad Sign 

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 アルバート・キングは1923年に生まれて、1992年に亡くなった人だが、この曲の最初のレコーディングは1967年頃といわれており、40代半ばという最も脂の乗り切ったときに世に出た曲だ。

 

   ♪ 「不運」と「トラブル」だけが俺の “友だち” さ。
   10歳のときから、そんな人生を送ってきた。
   俺は文字も読めねぇし、書き方も知らねぇ。
   だから、どこへ行ってもクズ呼ばわりよ。
   ほんとに悪い星の下に生まれちまったぜ。

 

 歌詞は、まさにブルース!
 都市の最下層民として生きる黒人の自虐的なぼやきが、そのまま歌になっている。

 

 歌詞はヤケクソ的な精神に満ち満ちているが、この曲が、60年台後期の白人ロックミュージシャンたちに与えた影響は大きい。

 
 クリーム、ジミ・ヘンドリックスジョニー・ウィンターなどがカバーを手がけていて、スタンダードブルースのなかでも定番中の定番といった様相を呈している。

 

 実はこの曲、私が「ブルース」という言葉を使われたときに、最初に思い浮かんでくる曲なのだ。

 

 聞いていると、椅子に座っていても、肩が自然に前後に揺れ始め、膝が勝手にリズムを取り始める。

 

 決して、立ち上がって上下にぴょんぴょん飛び跳ねたりはしないけれど、それでも身体が “ブルースの波動” に感染して、微熱がじわじわ上がってくるのを感じる。


 脳より先に皮膚が音に反応する。
 そういう力を持った曲である。

  

 このアルバート・キングの演奏を聞いていると、スタックス・レコードと契約したばかりの頃を反映してか、非常にソウル・ミュージック的な演奏になっていることが分かる。
 
 特にこのテイクはホーン・セクションも入ったりして、この時代のR&Bっぽいつくりになっている。
 
 
 もっとも、『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』が有名になったのは、クリームが1968年にカバーしてからだ。
 クリームの演奏が世に出てから、本家アルバート・キングの曲も知られるようになったという。


▼ Cream  Born Under A Bad Sign

youtu.be

 

 私が最初に聞いたのも、このクリーム版だった。
 1968年に発表されたクリームのアルバム『WHEELS OF FIRE (クリームの素晴らしき世界)』に、この曲が収録され、けっこう有名になった。

  

 “ブルースフリーク” だったエリック・クラプトンがいかにも好みそうな曲で、ロック的なアレンジにもかかわらず、ブルース本来のねちっこいドライブ感を大事にした曲風になっている。

 

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 実は、この曲を際立たせているのは、メンバーの一人ジャック・ブルース(2014年没 上の写真では真ん中の人)の弾くベースである。
 
 こんなに重くてネバッこいベースの響きは、そうめったに聞けるもんではない。
 まるで、ティラノザウルスが、長いシッポで砂煙を立てながら、ダンスを踊っているみたいだ。
 エモノを倒した後の、肉食恐竜の饗宴を盗み見しているような気分になる。

 

 

 このクリーム版の『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』は、60年~70年代のロックを聞き慣れた人にはコテコテのブルースに聞こえるかもしれないけれど、わたし的には、これが「ハードロック」なのね。
 
 演奏形式ではなく、「ハード」という言葉を “重量感”、“刺激性”、“カッコよさ” などという概念で切っていくと、こいつはまぎれもなく、ハードロックだな と思う。

 
 ベーシストのジャック・ブルースは生涯この曲が気に入っていたのか、2005年のロイヤル・アルバート・ホールで昔のメンバーを集めたときのライブにおいても、枯れた味わいの中にも凄みを利かせる演奏を繰り広げている。


▼ Cream - Born Under A Bad Sign (Royal Albert Hall 2005)

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 1968年のスタジオ版よりも、さらにテンポは落とされ、その分レイドバックしたニュンアスが漂う演奏になっているが、逆にジャック・ブルースの凄み というか、怖さみたいなものも浮かび上がってくる。
 
 この人、本当にこの曲が好きなんだな と思えてくるのだが、その歌詞の内容に、なんだか彼の人生を重ね合わせたような雰囲気も伝わってくる。

 

 それにしても、画像を見ると、クラプトンもジンジャー・ベイカーもそうとうオッサンになっている。
 ま、2005年の映像だしね

 

 ジャック・ブルースも、このときはずいぶん老けた顔になっているけれど、肉食恐竜の猛々しさは失っていない感じだ。

 

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 元クリームメンバーとしては、“大御所” エリック・クラプトンも1994年のライブでこの曲を披露している。


 もともとギターリストだけあって、ギターの勝った演奏になっているが、私はジャック・ブルースの演奏の方が好きだ。

 

 クラプトンがブルース好きなのは分かるけれど、この曲に関しては、ジャック・ブルースの思い込みの方が勝っている。
 ボーカルに関しても、クラプトンの歌よりジャック・ブルースの方が味がある。

 

 ま、クラプトンバージョンに興味を持たれた方は、こちら(下)もどうぞ。


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 この曲に関しては、日本のミュージシャンもけっこうカバーしていると思う。
 1960年台後半、日本でもブルース・ロックの愛好家がいっぱい輩出して、学園祭などでクリームのコピーをやっていたバンドは、よくこの曲もレパートリーに取り入れていた。

 YOU TUBEで拾えるものとしては、有名どころでは柳ジョージの演奏がある。

 

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▼ 柳ジョージ- Born Under A Bad Sign

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 演奏はオリジナルのアルバート・キングとクリームの中間ぐらいにある感じ。
 テンポはクリームのリズムに近いが、コーラス隊をバックに配したアレンジなどは、かなりアルバート・キングR&Bっぽい仕上げに近くなっている。

 

 彼は、この曲を、器楽を使って演奏するよりも、「歌う」ことの方に関心があったように思える。
 で、そのヴォーカルが、またいい!


 彼のしょっぱい歌声は、まさにこういう歌を唄うために神様から授かったように思える。


 
 『ボーン・アンダー・ア・バッド・サイン』 。
 まだまだいろいろなカバーがYOU TUBEにあふれているけれど、今日のところはそれぐらいに


 お気に入りはありましたか?