アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

チャーリーの太鼓

   
 イギリスのロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」のドラマー チャーリー・ワッツが先月(8月)24日に80歳で亡くなった。
 すでに、10日以上経つが、いまだに小さなニュース記事などにチャーリー・ワッツの訃報が載っているのを見る。

 

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 世間一般では、そんなに知られた名前ではないと思っていたから、そのことに対してちょっと不思議な気分になる。

  

 ストーンズがデビューした1962年というのは、私が洋楽を聞き始めた中学生のときだったから、もちろん、「チャーリー・ワッツ」(下の写真 右上)という名前は鮮明な記憶として脳裏に刻み込まれている。

 

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 なおかつ、二十歳の頃に、私は仲間とローリング・ストーンズコピーバンドつくり、そこでドラムを叩いていたから、彼にはいっそうな親しみを感じていた。

 

 私たちのバンドの名は「ドクターバルトリン」といった。
 ギターとベース。
 ヴォーカル。
 そしてドラムス。
 そのドラムスを、私が担当したのだ。

 

 しかし、正式にドラムスを習ったわけでもないので、演奏中に “おかず” を入れると、その後のリズムが狂いだすという恥ずかしいドラマーだった。

 

 不思議だったのは、そのバンドには役割の異なる2人のヴォーカリストがいたことだ。


 つまり、ステージでヴィジュアル的にパフォーマンスを繰り広げるだけのヴォーカリストと、実質的に歌をうたうヴォーカリスト

 

 パフォーマンス専門のヴォーカリストは(マイクを手に持つけれど)、口に薔薇の花などをくわえて、妖艶に体をくねらせるだけ。
 で、歌はまったく披露しない。

 

 もう一人は無骨なスポーツマンタイプの男で、そいつはひたすらマイクに向かってがなりたてるだけ。

 

 そのチグハグ感はそうとうなものだったろう。
 たぶん、初めて見た人には異様なバンドに見えたはずだ。

 

 しかし、レパートリーが「サティスファクション」だったり、「ホンキートンクウィメン」だったり、「ジャンピングジャック・フラッシュ」だったりしたから、ローリング・ストーンズをコピーするバンドだという認知は観客から得られたと思う。

 

 

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 ストーンズのドラマーだったチャーリー・ワッツ(写真上)は、ストーンズとは異なるメンバーとのセッションで、ジャズドラムなどを叩くこともあった。
 なかなかセンスのいいジャズドラマーで、その仕事ぶりはYOU TUBEなどにもアップされている。 

  

 しかし、ローリング・ストーンズのメンバーとして働くときは、一貫して安定したビートを維持する生真面目なドラマーに終始した。

  

 
 この時代、「天才的」と形容されるようなロックドラマーが輩出している。
 
 それぞれに特徴があった。
 ジャズ風のアレンジを全面に打ちだして華麗なテクニックを披露したジンジャー・ベイカー(下  クリーム)。

 

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 タイトなビート感を強調して重厚なドラミングで一世を風靡したジョン・ボーナム(下  レッド・ツェッペリン)。

 

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 小粋なお洒落感を保ちつつ、チームとしてのアンサンブルを見事にこなしたリンゴ・スター(下  ビートルズ)。

 

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 そういうスター性のあるドラマーたちのパフォーマンスに比べ、チャーリーのプレイは地味に見える。

 

 しかし、玄人筋の評価は高い。
 『ローリング・ストーン』誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において12位。
 『LA Weekly』誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のドラマー」において3位。

 

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 正確なドラミングに終始しているようで、時にハッとするようなひらめきを見せる独特のグルーブ感。
 “ストーンズ・サウンズ” とも呼ばれるあの独特のノリは、チャーリー・ワッツでなければ維持できないものであったろう。

 

 一度動き始めたら、どこに向かうのか分からないような “転がる石たち(ローリング・ストーンズ)” の要(かなめ)の役を果たしたチャーリー・ワッツ

 

 たぶん、彼のドラムスがなくなれば、ストーンズは、文字通り「ローリング・ストーンズ」として、地面を転がっていくだけのバンドになってしまうかもしれない。
  

   

  

 

 

政治家はなぜみな「首相」をめざす?

  

 テレビでも、ネットでも、9月3日のニュース番組の中心は、「菅義偉首相の総裁選不出馬」報道だった。

 

 国民もメディアもみなびっくり!

 
 ネットニュースをスクロールしてみると、3日のニュースの大半は菅氏の記事であり、その顔写真が上から下まで、延々と続いた。

 

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 それらの記事の中身は、この1年間の菅政権に対する批判が中心だった。
 戦後の政治家のなかで、これほど評判の悪かった首相は、ほかにいなかったとも思う。

 

 なぜ、そうなったのか。
 ウソつき首相だったからだ。

 

 本人は、たぶん国民やメディアに対してウソをついたという意識はなかったかもしれない。

 
 ただ、彼の言動は、主観的願望ばかり強調しようとして、客観的な真実や科学的合理性を無視したところに成り立っていた。
 そのことが結果的に、「ウソ」とおなじ効果になってしまったのだ。
   
 「Go To トラベル」に舵を切ったときも、「コロナの脅威は落ち着いてきたから経済を回さないといけな」といった。
 主観的願望を述べただけである。
 その判断に科学的合理性はなかった。
 結果、感染拡大はさらに深刻化し、「Go To トラベル」事業はいち早く頓挫した。
   
 東京オリンピックもそうだ。
 コロナ禍において開催することに対する懸念は、専門家や国民からずいぶんあがっていたが、菅氏は「安全安心の大会にする」という無機質な言葉を繰り返すだけで強硬突破を試みた。

 

 結局、会期中に緊急事態宣言の発令を余儀なくされ、「無観客試合」というふがいない結論を選ばざるを得なかった。

 

 それ以外の “悪口” は、すでにメディアにさんざん出尽くしている。
 だから、これ以上私が書くことは何もないと思うが、なんとなく違和感が残るのは、菅氏に対してというよりも、むしろ、急に「ポスト菅」に名乗りを上げた自民党の候補者たちである。

 

 菅氏が「出馬表明」を繰り返していた時点においては、対抗馬に名乗りをあげたのは岸田文雄政調会長と、高市早苗総務大臣だけであった。
 あと一人、下村博文政調会長は、立候補の意思表示をしたものの、菅氏に脅されて出馬を取りやめた。

  

 しかし、菅氏が「不出馬」を宣言するやいなや、河野太郎 行革相や野田聖子 幹事長代行などが、竜巻が巻き起こるかのごとく出馬に名乗りを上げ、いったんは諦めた下村 現政調会長までもが再び色気を見せ始めた。

 

 さらには、前に総裁選に立候補した石破茂氏も再び立候補の構えを見せている。

 

 なぜ、それほどまでに、みな「首相」になりたがるのか?
 政治家という人種は、誰もがいつかは「首相」になりたがるものなのだろうか。
  
 私には、そこのところがよく分からない。

 

 彼らの「首相」を目指す情熱は、いったいどこから来るのだろう?
 それって、単に「権力欲」という言葉に置き換えていいものなのだろうか?

 

 「権力欲」というのは、簡単にいえば “他人を自在に操る快楽” とでもいえるものだろうけれど、そういう欲望って、いったいどのくらい魅力的なものなのか?

  

 

トウモロコシ畑の中の天国

映画「フィールド・オブ・ドリームス

(1989年)

  
 トウモロコシ畑の奥に分け入っていくと、そこが別の世界への入口であるかのような気分になる。
  ということを感じるようになったのは、『フィールド・オブ・ドリームス』という映画を観てからのことだ。
 

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 その映画が公開されてから、もう30年が過ぎようとしている。
 さっきまでBS(NHK BSプレミアム)の放映を観ていて、そのことに気がついた。

 

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 昔観た映画だが、今も古くなっていない。
 良い作品だ。
 ジーンとくる。
 男の子を持ったお父さんだったら、絶対泣けてくる映画だろう。
 
 舞台は、アメリカのアイオワ州
 画面には、見渡す限りのトウモロコシ畑が広がる。

 

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 主人公は、その畑を切り盛りする36歳の男(ケビン・コスナー)。
 妻と幼い娘がいる。
 

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 男は、若い頃に父親と口論し、そのまま家を飛び出してしまう。
 
 野球だけが趣味で、頑固一徹だった父親。
 そんなオヤジの頑迷固陋(がんめいころう)さを嫌って、思想運動に傾倒していく主人公。
 再会することも叶わぬうちに、息子は父との死別を迎える。
  
 そのことが、いつまでも主人公のメランコリーの種になり、彼の心の空洞には、静かなすきま風が吹いている。
 
 時間も風も静止したようなトウモロコシ畑の上には、午後の日差しだけがギラギラと降り注ぐ。
 

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 そんな日が永遠のように続く。
 だが、何も起こらない。
 
 でも、そういう時って、必ず「何か」が降りてくるものだ。
 主人公は、自分のトウモロコシ畑の中を歩いているときに、突然「それを造れば、彼らが来る」という謎の啓示を受ける。
 
 誰が、どこからそうささやくのかは分からない。
 しかし、彼は啓示に動かされ、何を造ればいいのか分からないのまま、トウモロコシ畑の一部を刈り始める。
 
 男が造ったのは、手づくりの野球グランドだった。

 

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 でも、何も起こらない。
 ナイター設備まで整えた無人のグランドの上に、夕暮れの光が降りてきて、グランドを青く照らす。
 それが、いつまでも、いつまでも続く。

 

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 ある日、そのグランドに、ユニフォーム姿の野球選手たちが現れる。
 今で見たこともなかった大昔の不格好なユニフォームを着た選手たちだ。

 

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 そのなかの一人の選手が、自分がグランドに立っていることに気づき、グランドの脇に放り出されていたバットやボールを眺め、そして主人公の姿を認めて、話し掛けてくる。
 「ここは天国か?」
 
 選手は、かつて伝説のスタープレイヤーとして知られた、今は亡きシューレス・ジョーだった。
 

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 といっても、日本人にはちょっと、その “凄さ” が実感できない。
 しいていえば、昭和49年(1974年)に現役を引退した「長嶋茂雄」選手のことを思い浮かべると、そんなイメージに近いのかもしれない。
 
 映画の話を続ける。
 結局、主人公の造ったグランドは、ベースボールを愛し続けながらも、途中で断念せざるを得なかった往年のスタープレイヤーたちを招待する「天国の球場」だったのだ。

 

 グランドには、やがてシューレス・ジョーの仲間たちが集まってきて、練習に明け暮れるようになる。
 みな、「八百長をした」という疑惑に翻弄されたり、チャンスをものにできないまま、引退して野球界を去らざるを得なかった選手たちの幽霊だった。
 
 オカルトともホラーとも取れる設定なのに、ここで描かれる幽霊たちの姿は、どこか明るく、ほのぼのとして、のんびりしている。
 
 男の造ったグランドに最後に現れたのは、彼の父親(写真下の右側の人)だった。
 やはり、野球が好きで、かつてはマイナーリーグでプレーをしたこともある父。
 

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 独身時代の若々しい表情を持った父親は、主人公に近づいてきて、こう尋ねる。
 「ここは天国か?」
 
 父親の眼差しは、明るい陽光のもとで、金色に輝く芝生に覆われたグランドに注がれている。
 「ここはアイオワだ」
 と答える主人公。
  
 「美しい。天国のようだ
 父親の口からため息がこぼれ出る。
  
 「天国はあるのか?」
 と、今度は主人公が父親に尋ねる。
 
 「あるとも。それは夢が実現する場所のことだ」
 
 トウモロコシ畑の中に消え行こうとする父親の背中に、ようやく主人公は声をかける。
 「パパ」

 しかし、主人公は、突然現れた父親に何を話していいのか、分からない。
 そのとき出た言葉が、
 「パパ、キャッチボールをしよう」

 

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 振り返る父。
 見つめ合う2人。

 やがて、2人の間で、静かにキャッチボールが始まる。
 

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 この光景を見た世の父親で、男の子にグローブを買ってやろうと思わない親がいるだろうか。
 
 私は買った。
 息子が小学生になったばかりの頃だったろうか。
 その最初の誕生日のプレゼントがグローブだった。
 
 買ったばかりのグローブを息子の手にはめさせ、私と息子は、学校の校庭が広がる丘の上に登った。
 
 春休みだったのか、夏休みだったのか。
 女子高校の校庭には人影もなく、夕方の黄色みを帯びた光が、校舎に沿って植えられたポプラ並木の影を、校門の近くまで引っ張っていた。
 
 息子をピッチャーに仕立て、私は腰を落として、キャッチャーミットのように自分のグローブを構えた。 


 弱々しくも、意外と素直な球道を描いて、ヤツのボールが自分のグローブに収まったとき、ジーンときた。
 自分の「フィールド・オブ・ドリームス」が実現した瞬間だった。
 

  
 キャッチボールというのは、「男の会話」なのだ。

 

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 相手が取りやすい位置を狙い、神経を研ぎ澄ませて、渾身の一球を送る。
 それがうまく相手のミットに収まれば、相手もまた精魂込めた一球を投げ返す。
 洗練された沈黙に守られた、美しい会話。
 
 ファストフードと、コカコーラとジーンズという文化しか世界に広めることができなかったアメリカが、唯一実現した「父と息子の文化」。
 それがキャッチボールだ。
 
 この「男と、男の子の文化」を生み出しただけでも、アメリカは偉大だ。
  

 

 

 

黒人音楽フェスの “奇跡” 『サマー・オブ・ソウル』

1960年代ブラックミュージックのすべて

  

 50年間眠っていたライブ映像を神わざ的な編集作業で復活させた『サマー・オブ・ソウル』。
 ついにこの8月27日(金)に日本公開が実現した。

 この俺が、見ないわけにはいかないじゃないか! 

 

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 1969年、夏。
 あの有名なウッドストック・フェスティバルと同時期に、そこから160km離れた場所で、もう一つの音楽フェスティバルが開かれていた。

 

 ウッドストックが、主に白人系のロックミュージシャンの音楽祭であったのに対し、こちらのイベントは、ブラックミュージックのアーチストをメインにした祭典であった。

 

 フェスティバルの名は、「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。
 ニューヨークの黒人居住区として有名な「ハーレム」にほど近い公園に、約30万人の聴衆が集まった大規模な野外コンサートだった。 

 

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 参加したミュージシャンの豪華さは、ウッドストックにも引けを取らなかった。
 スティービー・ワンダー
 グラディス・ナイト&ザ・ピップス
 ザ・ステイプル・シンガーズ
 スライ&ザ・ファミリー・ストーン
 B・Bキング
 ザ・フィフス・ディメンション
 デビッド・ラフィン(テンプテーションズ
 ニーナ・シモン
 マヘリア・ジャクソン
 マックス・ローチ
 ハービー・マン 等々

 

▼ B・Bキング

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▼ グラディス・ナイト&ピップス

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 ソウル、R&B、ブルース、ゴスペル、ジャズなど、この時代に先鋭的な姿を取り始めていたあらゆるブラック・ミュージックのスタイルがすべて結集したといってよい。

 

 しかし、なぜ、そのフェスティバルのライブ映像が、50年間も放置されていたのか?

 

 「黒人音楽のイベントを公開しても、カネにならない」

 

 主催者のそういう判断により、コンサートの全容は47巻に及ぶフィルムに収録されていたにもかかわらず、編集もされないまま、一人の関係者の家の地下室に眠っていたという。

 

 同じ音楽フェスでも、ウッドストックの方は「白人ヒッピー文化の象徴」と位置づけられ、60年代末期のロックシーンを代表する音楽祭として認知された。
 それに対し、ハーレム・カルチュラル・フェスティバルは、黒人聴衆を相手にした音楽祭ということで、メディアから無視された。

 

 この事実に、今の私たちは驚く。
 1969年のアメリカにはそのような人種的偏見が、実にはっきりした形で横行していたのだ。

 

 しかし、自分自身の個人史をたどると、1960年代末から1970年代初頭にかけて、私はにわかにソウルミュージック、R&Bといった黒人音楽に傾斜していった。

 

 その時代、テンプテーションズジェームス・ブラウンといったソウル界のスターたちが急に存在感を増し、アイザック・ヘイズ(黒いジャガー)、カーティス・メイフィールド(スーパーフライ)などの黒人映画音楽が次々とヒットし、マービン・ゲイは、ついにあの歴史的な名盤「ホワッツ・ゴーイング・オン」(1971年)をリリースした。

 

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 この時代が、私はソウルミュージックの黄金期であったと思う。
 実験的で前衛的な黒人音楽が次々と生まれ、その大半が華麗で贅沢な作品として結実し、結果的に広大なマーケットを獲得した。


 それが70年代の初期 つまり、72年から73年ぐらいのことだ。
 (75年頃からはディスコミュージックが台頭し、創造性は薄れていく)

 

 今回のドキュメントが収録された1969年というのは、ソウルミュージックが黄金時代にはばたく離陸期だと思っている。

 

 だから熱いのだ。
 宇宙がビックバンを迎えるときのような熱量が凝縮し、今にも沸騰しそうな勢いで、弾け飛ぼうとしていた。
 こんな燃え盛るフェスティバル映像が保存されていたということは、「奇跡」に近い。

 

 1969年の黒人音楽シーンを19歳で体験した私は、もうこの映画が始まった瞬間から目頭が熱くなってしまった。

 

 画面では、当時私と同じ19歳のスティービー・ワンダーが、首を振り振りキーボードを叩き始める。
 もうそれだけで、ウルッ!

 

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 デヴイッド・ラフィン(ザ・テンプテーションズのリードヴォーカル 写真下)は、ステージの中央に立ち、細長い足で優雅なターンを決めながら、往年の名曲「マイガール」を絶唱
 ああ、もうそれだけでウルウル!

 

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 圧巻なのは、マヘリア・ジャクソン、ステイプルシンガーズといったゴスペルシンガーたちの白熱のステージ。

 

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 ウッドストックと何が違うかというと、それは圧倒的なヴォーカル・パートの熱量だ。


 白人ロックグループが中心となったウッドストックにおける主役は、ギタリストたちであった。
 だが、ハーレム・カルチュラル・フェスティバルにおける主役は、黒人歌手たちの喉からほとばしり出る「歌」だ。

 

 まさにソウル(魂)ミュージック!
 これほど魂を震撼させる歌は、もうこの世のものではない。

 

 もともとゴスペルは、黒人霊歌といわれるように、教会で歌われる讃美歌から発展してきたものだが、このフェスティバルのステージにおいても、ゴスペルシンガーたちの歌は「神の降臨」を感じさせた。

 

 ハーレム・カルチュラル・フェスがウッドストックと異なるところは、この黒人霊歌を背景に持つ彼らの歌の精神性だろう。
 
 ウッドストックはヒッピームーブメントと連動していたから、その会場においてもドラッグが横行し、混乱と退廃の影が会場を覆っていた。

 

 しかし、ハーレム・カルチュラル・フェスは、ある意味、健全であった。
 それは、ドラッグと暴力が支配していたハーレム(黒人居住区)の住民たちが、この日だけは、音楽の力でドラッグの誘惑を忘れようとしていたからだといわれている。

 

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 白人のお坊ちゃまたちは、ドラッグ(大麻LSD、コカイン、ヘロイン)を買うお金に困らない。


 だが、ハーレムの黒人たちはドラッグに溺れると、生活費もなくして路頭に迷ってしまう。
 このフェスティバルには、黒人たちを音楽で熱狂させることで、彼らを貧困生活から救おうという意図もあったと聞く。 
  
 
 参加者のなかで、「音楽に対する熱狂」を思い切り解き放ったのは、やはりスライ&ファミリーストーンだった。

 

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 「シング・ア・シンプルソング」
 「エブリディ・ピープル」
 彼らの持ち歌で紹介されたのはその2曲だったが、グルーブ感がすごいのだ。
 もちろん私などは、昔からレコードで聞いていたけれど、ライブの迫力はそんなものを軽く突き放してしまう。

 

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 同じ「ファンク」というジャンルにくくられることの多いジェームズ・ブラウンの曲と比べると、スライの音楽は多少軽く感じることがある。ポップでもある。

 

 だが、そこにスライの思想がある。
 それは、アジテーションという効果を意図したものなのだ。
 つまり、演奏スタイル、演奏技量、そして歌詞に及ぶまで、スライは曲全体を一つのメッセージにまとめあげて聴衆を “アジる” 。

 

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 「シング・ア・シンプルソング」などは、ひたすら、“シンプルに生きろ” と煽り続けるだけの歌なのである。

 

 その単純なメッセージが目指すものは、
 「悩むな」
 「前を向け」
 「立ち上がれ」
 「行動を起こせ」
 という思想。

 

 これは、スライの曲だけに限らず、今回のアーティストたちのほぼ共通したメッセージともいえるものだ。
 その背景には、人種差別に対する強い抗議の姿勢がある。

 
 
 1968年には、非暴力を訴えながら、黒人解放運動(公民権運動)を進めていたマーティン・ルーサー・キング牧師(写真下)が暗殺される。

 

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 その3年前の1965年には、やはり黒人解放運動を指導していたマルコムX(写真下)が暗殺されている。

 

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 このような人種差別撤廃運動の挫折は、黒人たちに深い絶望感を与えたが、一方では、そういう悲しみを乗り越えて、「黒人解放運動をもっとしっかりしたものにしよう」という機運も高めることになった。

 

 それは、政治思想や文化潮流の領域にとどまらず、ファッションの分野にも及んだ。
 彼らは、肉体的劣等感でもあった自分たちの “ちぢれ髪” に意味を与え、アフロヘアという新しいヘアスタイルとして確立した。

 

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 また、白人のファッションとははっきり異なるアフリカ系の民族衣装に身を包み、生活スタイルにも自分たちの生き方を反映させるようになった。

 

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 1960年代後半から70年代初頭の黒人音楽の変化は、彼らのこのような精神的高揚感をバックにしている。

 

 そういう曲で歌われるテーマは、恋愛だけではなかった。
 ベトナム戦争への抗議、公害、貧困といた社会問題も重要なテーマとなり、それがまたこの時代のソウルミュージックに凛々しい緊張感を与えた。


  
 そういう音楽を聴きながら19歳から20歳ぐらいの時期を過ごした私にとって、この『サマー・オブ・ソウル』というドキュメンタリー映画は、もう涙腺が緩みっぱなしの映画となった。

 

 年を取るということは、感情が弱くなって、だらしなく泣き出すことでもある。
 特に、昔の音楽がノスタルジックな気分を刺激するときなど、この傾向が顕著になる。
 まぁ、しょうがないのだ。71歳なんだから。

 

 しかし、若い頃にソウル・ミュージックやR&B、ブルースなどに触れた者のなかに、この映画を見て泣かないシニアがいたとしたら、私などは、そういうヤツを絶対に信じない。
  


『エイリアン』という映画は「神」を描いた作品だ

 

 8月の中旬ぐらいに、SF映画『エイリアン』(8月9日)と、『エイリアン2』(8月16日)を2週続けてBSプレミアムで観た。
 両者とも、一度は公開されたとき封切館で観ている。
 
 そのときは、SFホラー的な1作目に対し、それをアクション映画に作り替えた2作目 というような印象しか持たなかったが、改めて観ると、これはまったく別種類の映画だと感じた。

 一言でいってしまえば、『エイリアン』(一作目)に登場するエイリアンは、ある意味、“神” のような存在であった。

 

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 1に登場する宇宙船乗組員の一人アッシュ(写真下 正体はアンドロイド)は、船内に潜入したエイリアンを次のように説明する。
 「あれは人間を超えた完全無欠な生物だ」
 つまり、それは「神だ」と言っていることと同じなのだ。

 

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 アッシュは、「宇宙人を捕獲したら乗組員たちの命を犠牲にしてもそれを地球に持ち帰れ」という秘密の命令を受けている。
 だから、彼は、他のメンバーがどんな武器を使ってエイリアンと戦っても絶対勝てないことを知っている。

 

▼ 乗組員のなかで唯一戦って生き残るヒロインのリプリ

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 エイリアンが「神」であるという証明は、すでに映画のなかでなされている。
 つまり、人間には、その姿の全貌がほとんど確認できないからだ。

 

 卵の状態と幼虫の姿は部分的に見ることはできるが、巨大化したあとは、一瞬そのシルエットを見せることはあっても、全体像を観客に見せない。
 これは、「神の姿は人間には見えない」という思想が具現化されたことを意味する。 

 

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 そういう設定から醸成される『エイリアン』(1)のテーマとは何か?

 

 「不条理感」と「哲学性」である。
 つまり、人間が、「人間を超えたモノ」と遭遇したという不条理感と、それが人間に何をもたらすのか、という哲学的な問いである。
 だから、『エイリアン』(1)は、めちゃめちゃ奥が深いといえる。

 

 それに比べて、『エイリアン2』はどうか?

 

 「人間を超えた完全無欠な生物」であったはずのエイリアンは、集団で人間を襲ってくるけれど、火炎放射器に次々と焼き殺されるし、銃弾を受けてのたうちまわる。

 

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 そういうバトルを見て、「爽快だ!」と歓迎するファンも多いが、はっきり言えば、それは、人間による異星人の “殺戮” である。


 要は、17世紀にアメリカ大陸にわたったヨーロッパ人たちが、そこに住んでいた先住民族を殺戮していくようなもので、知的な観客にとっては、本当の意味でのカタルシスはない。
 
 つまり、二作目に登場するエイリアンたちは、グロテスクなだけのただの “怪物” にすぎないのだ。

 

 監督の思想性の差かもしれない。

 

 『エイリアン』(1979年) 監督 リドリー・スコット
 『エイリアン2』(1986年) 監督 ジェームズ・キャメロン

 

 最初のエイリアンを撮ったリドリー・スコット(写真下)は、その4年後、「人間とアンドロイドの差は何か?」という非常に哲学的なテーマを秘めた『ブレードランナー』を手掛けている。

 

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 そこから、『ブラック・レイン』(1989年)、『グラディエーター』(2000年)ぐらいにかけてが彼の最盛期で、それ以降はパワーを落としているけれど

 

 それはともかく、『エイリアン』と『エイリアン2』を比較したとき、私個人は圧倒的に前者の方を支持する。


 なにしろ、『エイリアン』一作目は、その背景に、無数のSFドラマ、SF小説SF映画の蓄積が潜んでいるからだ。

 

 たとえば、1917年頃から、新しいSFホラー小説を書き始めたハワード・フィリップス・ラヴクラフト(写真下)の影響もそこには漂っている。

 

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 ラヴクラフトは、「吸血鬼」や「狼男」が人間を襲うという定型化された怪奇小説を一変し、広大な宇宙の彼方から飛来するまったく新しい生物の恐怖をテーマに据えた。
 つまり、映画『エイリアン』の原型を1930年代に創造していた。

 

 このラヴクラフトの宇宙怪物に共感していたのが、『エイリアン』(1)においてエイリアンの造形デザインを手掛けたH.R.ギーガーである。
 ギーガーが創造したエイリアンには、ラヴクラフト経由の悪魔的おぞましさが表現されているといっていい。

 

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 監督のリドリー・スコットは、ギーガーがとらえたエイリアンの “悪魔性” に「神」を感じた。

 

 だから、リドリー・スコットのエイリアンは、グロテスクだが、「美しい」。
 ちゃんとしたデザインが存在していることを教えてくれる。
 (ギーガーが造形を手掛けなかった『エイリアン2』には、それがない)

 

 完璧に造形された「恐怖」とは、「美」である。

 

 『エイリアン』(1)では、完璧な合理主義的精神が破綻したところに「恐怖」が始まるということを巧みにとらえている。

 

 たとえば、乗組員たちが信号を傍受して立ち寄る未知の惑星(LV-426)に着くまでの宇宙船内の映像は、完璧なまでに合理的整合性に満ちて、数学的な美しさを見せる。

 

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 しかし、エイリアンが船内に身を潜めていると分かってからの室内の映像は、一転して、恐怖と不安に満たされた廃墟のような映像に変る。
 この落差!

 

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 さらに、エイリアンが乗っていたとされる未知の宇宙船ともなると、もう地球で生まれるデザインを超えた不条理な姿を全面に押し出してくる。
 このへんが(『エイリアン』(1)の)デザイン力の凄さだ。

 

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 まぁ、私はリドリー・スコットのファンなので、どうしても最初の『エイリアン』に肩入れしてしまう。

 

 ジェームズ・キャメロンの好きな方には申し訳ないが、私は彼が手掛けた『タイタニック』にも『アバター』にも、それほど感心しなかった。
 通俗性が鼻についたのだ。(むしろ低予算の『ターミネーター』の方がよかった)
 あくまでも個人的な好みの問題なので、それ以上のことには触れない。

  

  

タリバンはなぜ民主主義的制度を否定するのか?

 

 タリバンアフガニスタン制圧で、また一つ「民主主義」思想を否定する国家が誕生しそうだ。
 ネットニュースによると、新政権の誕生を告知したタリバン幹部の一人は、
 「アフガニスタンは民主制とはなじまない。なぜなら、この国にはそういう土台がないからだ」
 と言い放ったという。

 

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 実際に、米軍に追われて他国に潜伏していたタリバンの有力な指導者たちが続々とアフガンに舞い戻り、民主制とはなじまないイスラム原理主義的な統治思想を強化しようとしているらしい。

 

 おそらく、その背景には貧困がある。
 アフガンの地方都市や田舎では、教育も経済力も、異性にアプローチする手段ももぎとられた若者たちがいっぱいいる。彼らは、タリバンの兵士にでもならないかぎり、自尊心を満足させる手段がないことが分かっている。

 

 現地の映像を見る限り、銃を誇らしげに振り回すタリバン兵士がいっぱいいる。
 銃は、男の子たちにとって、自分自身を高揚感でみたす格好の “玩具” だ。
 彼らは、銃さえあれば、異性もカネも、庶民を威嚇する能力もすべて手に入ると無邪気に思い込んでいる。

  

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 そういう男の子たちにとって、女が自分と対等な力を持ってくる人権思想や民主主義思想など “脅威” でしかない。

 

 こういう “反民主主義” 的な傾向は、いま世界のどこにおいても顕著になりつつあるようだ。 
 すでに、香港の民主主義勢力は弾圧されたし、国軍が国を支配したミャンマーの民主主義は風前のともしびだ。

 

 その一番象徴的な国は中国だ。 
 メディアの報道によると、今年「共産党結成100周年」を迎えた中国では、100周年記念行事などを通じて、ますます習近平主席の偶像崇拝的な独裁体制を強化しているという。
  
 こういう国々のほかに、プーチン大統領の率いるロシアを加えてもいいのかもしれない。
 この国も、「反プーチン」を主張する民間団体を率いたナワリヌイ氏の毒殺を画策したともいわれるくらい民主派の弾圧を強化している。ナワリヌイ氏は、一命をとりとめたものの、いまだにロシア当局に拘束されている。

 

 東欧圏では、ルカシェンコ大統領が統治するベラルーシ
 ルカシェンコ氏は、ロシアのプーチン氏とも近い存在だが、彼もまた大統領権限を強化し、民主派の台頭を力で抑え込んでいる。

 

 トドメの一発として、北朝鮮のキム一族が君臨する国家を加えれば、民主主義国家というのは一気に “少数派” に転落するような印象を受ける。

 

 なぜ、民主主義国家というのは脆弱な存在に映るのか?

 

 それは、こういう国家理念が比較的近代に作られたものにすぎないからである。
 それ以外の独裁者の掲げる政治理念の方が、圧倒的に古い。

 

 タリバンが標榜するイスラム教を理念とした国家観というのは、7世紀に始まり、1300年以上の歴史を誇っている。


 当然、「民主主義」や「人権」などという考え方が生まれるはるか昔のことだ。

 その間、中東のイスラム国家群はヨーロッパ文化を超える国家統治理念を整備し、世界史の覇者として君臨した。

 

 東の国では、中国がめざす “中華帝国” にも、3000年の歴史がある。


 この国では、3000年も前から、強力な支配権を樹立した皇帝があの広大な土地と、様々な文化・言語に属する民族を統治してきた。

 そう考えると、習近平が独裁者としてのし上がっていく過程というのは、歴代中華王朝の皇帝がたどってきた道を、当たり前のようになぞったものだともいえる。

 

 ロシアも、ロマノフ王朝あたりを帝国の起源とすれば、すでに400年にわたる帝国の歴史を経験している。

 

 つまり、世界史では、民主主義などという国家理念は、200年の歴史もない新参モノの思想なのだ。
 脆弱なのは当たり前である。

 

 イスラム圏の国々。そして中国。
 あるいはロシア。

 

 こういう国々に共通していえるのは、20世紀を迎えるまで、欧米諸国の植民地になったり、不均衡貿易などで収奪されたりするという負の遺産を継続してきたことだ。

 だから、彼らにしてみれば、
 「欧米諸国よ、何をいまさら民主主義などといって威張るのだ。お前たちはずっとアジア民族を抑圧してきたんだぞ」
 という意識をいまもなお捨てきれない。

 

 中国や韓国、北朝鮮から日本が嫌われるのも、同じ理由からである。
 「日本人はアジア人のくせに、明治維新を機に西欧人のつもりになった。そして、我々の領土に侵入し、日本の文化を押し付けようとした」
  と、彼らはいまだに根に持っているのである。

 

 そう考えると、タリバンなどの非民主主義政策に憤る前に、「真の民主主義とは何か?」という問題を真摯に考えなければならないのは、我々日本人の方なのかもしれない。

 

 ただ、民主主義というものは、一度その国に根付いてしまうと、「独裁的な抑圧国家が素晴らしい」などと思えなくなってしまうものだ。
 やっぱり「自由」の方がいい。
 そう思う人々が多数派を占めるようになる。

 

 それはアフガンでも、ミャンマーでも、香港でも同じである。

  

 

日本の政治家たちの「言葉」はどんどん貧しくなっていく

なぜか五輪関連の疑問や批判がつきない 

 

 東京オリンピック2020が閉会しても、ネットなどでは、いまだにこのイベントに対する話題が途切れることがない。
 もちろん、この後にパラリンピックを控えているわけだから、人々の心にはずっと五輪の熱気が残っているという言い方もできる。

 

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 しかし、これまでの五輪報道などは、パラリンピックが開かれる前から先行する五輪競技でメダルを取った日本選手の活躍を取り上げる特番が何日か続いたあと、自然にフェイドアウトしていった。

 

 ところが、今回の五輪は、コロナ禍の最中に開かれたという “異例の大会” であったせいか、五輪絡みの話題が尽きることがない。

 

 おそらく、その理由は、今回のオリンピックが、それまで取り上げられることの少なかった様々な問題を国民に突き付けたからだと思われる。

 

 たとえば、イベントを企画したスタッフのさまざまな不祥事に明るみに出てしまった運営上の問題。
 そのなかには、組織委員長の森喜朗氏の女性蔑視発言や、ディレクターを統括する小林賢太郎氏が、過去の舞台でホロコーストを揶揄するなど、国産感覚の欠如を物語る事例も含まれる。

 

 さらに閉会後に、表敬訪問してきた女子選手の金メダルにいきなりかじりついてしまった河村たかし名古屋市長の問題。

 

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 あるいは、五輪番組を担当したテレビ朝日のスタッフ10人がこっそり宴会を開き、明け方まで盛り上がって、女性スタッフの一人が非常階段から転落したという事件。

 

 それ以外にも、閉会後に “銀ブラ” を楽しんだIOCのバッハ会長の行動が「不要不急ではないのか?」と問う世間の批判に対し、丸川珠代大臣が政府見解として彼をかばったこと。

 

 そういう国民からの疑問や批判が多く噴出したことでも異例の大会であった。
 つまり、五輪の内容そのものよりも、“五輪開催” にまつわる関係者のドタバタがあまりにも目立った大会であったということなのだ。

 

 

ペーパーを読むだけの菅首相の答弁

  

 なかでも最大の問題は、開催前には中止や延期を求める声が広がっていたにもかかわらず、
 「なぜ東京五輪を強引に開催しようとしたのか?」
 という根本的な問題を、その総指揮を執った菅首相がいまだに十分に説明していないことだ。

 

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 国際政治学者の舛添要一氏(写真下)は、8月14日発信のネットニュースで、このような菅氏の説明不足を、
 「菅首相の言葉の貧しさにある」
 と指摘している。

 

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 すなわち、毎日の定例会見においても、菅首相は、官僚が用意したメモを淡々と述べるだけで、自らの言葉で国民に語ることがなかった。
 記者からの質問に対しても、責任を問われるような話題が発生するリスクを避け、安全な言葉だけを選んで繰り返す。
 
 そのため、首相の答弁は常に抽象的で、観念的。
 つまり、AI がペーパーで吐き出すような話し方に終始し、人間的な心が感じられなかった。
 
 舛添氏に言わせると、この「言葉の貧しさ」が、国民の気持ちをうんざりさせているのであり、現在の支持率の低下を招いている、とも。

 

 舛添氏の発言を読んで、まぁ、確かにそうだなぁ  とも思う。

 

 しかし、「言葉の貧しさ」というのは、菅首相の資質や能力だけの問題ではない。

 

 それは、都の行政を仕切っている小池百合子知事にもいえることだし、テレビニュースなどに顔を出す自民党の閣僚たちも同様。そういう政権与党と敵対するはずの野党の党首たちにもいえることだ。


 さらにいえば、そういう報道に携わるテレビなどのキャスターやMCたちにもいえる。

 

 今や、日本人全体が、「言葉の貧しさ」という問題を抱えてしまっている。

 

 それはいったいなぜなのだろう?

 

 

日本人の言葉が貧しくなった理由

  

 戦後日本がずっと追いかけてきた価値観が、ここに至って、ついに崩壊してきたということを意味している。


 すなわち、政府、国民、企業が一丸となって、「言葉の重み」などという問題に背を向け、「経済による繁栄」だけを重視してきたことへのツケが回ってきただけの話だ。

 

 国の未来を占うとき、すでに経済重視という方針が危うくなっているのに、それを直視しないでここまできたのが、平成から令和にかけての日本の政治だ。
 その象徴的な例が、今回のオリンピックということなのだ。

 

 菅首相は、オリンピックを開催することで、33兆円という経済効果を期待していた。
 しかし、それがコロナウイルスを抑制するための無観客試合や、会場周辺の飲食営業への自粛要請などで霧散し、実質的には過大な経済的損失と向き合わざるを得なくなった。

 

 観光業、飲食業などは壊滅しかかっているというのに、人々の人流は収まらず、医療体制は崩壊しつつある。
 それを受けて、菅政権の支持率は急降下。

 

 だから、菅氏には、もうこの現状を語る言葉というものがすでにないのだ。

 

 こういうときに、国民を鼓舞する言葉を生み出すことが、一国のリーダーに問われる資質である。

 

 しかし、残念ながら、菅氏にはそれがなかった。
 もちろん前任の安倍晋三元首相にもなかった。
 のみならず、立憲民主党の枝野氏、共産党の志位氏・小池氏にもそれがない。

  

 

メディアの言論人の言葉も貧しい

 

 では、メディア側の人々はどうか?
 こちらもお寒いかぎりだ。

 

 政治問題を “辛口” で語ることで人気のある橋下徹氏。
 彼は、今やどのテレビ局からも引っ張りダコだが、切れ味の鋭いことを言っているようでいて、実はその中身はあまり濃くない。

 

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 私はもう長い間、テレビを通じてこの人の言動を眺めてきたが、とても一貫性があるようには思えない。


 彼は発言中に、必ず二つの違う方向のことを語る。

 

 「僕個人の考えは …… なんですが、現在は …… という意見も無視できないんです」

 

 つまり、どういう意見が来ても攻撃されないリスクマネジメントをしっかり計算したしゃべり方なのだ。


 口調は威勢がいいが、内容に関しては熟考した後がみられない。

 

 要は、その都度その都度、視聴者の求める答を先回りして取り出し、その場を上手に回していく。
 これは(頭のいい)ポピュリストの典型的な手法だ。
 自分に敵対する人がいるかぎり、その弁舌はどんどん “爽やかさ” を増す。
 彼の本性は、優秀なディベータ―である。

 
 
 人々の心に突き刺さるような言葉は、ディベートとは無縁のところから生まれる。
 つまり、「論争で打ち負かす」というような発想からは生まれ得ないものだ。
 
 では、どこから生まれるのか?
 それこそ、若い頃からその人が培(つち)ってきた「教養」以外のところからは生まれない。

 

 「教養」とは何か?


 私の言葉でいえば、それは「おのれを恥じる心」ということになるが、いきなりそこに行くと禅問答になってしまうので、えげつない言い方をすれば、それまで蓄積した読書の量、感動した映画や絵画や音楽といったアートの量、信頼できる人との交流の量。
 そういったものだ。

 

 別の言い方をすれば、自分自身など小さく思えるような、偉大なものと触れ合う機会の量である。

 
 つまり、自分自身が「羞恥心」を感じてしまうような、自分を超えたものを知ることである。

 

 それこそが、人間が「言葉を得る」ときの原点となる。
 そういう心の中に降りてきた言葉でなければ、人を説得することなどできない。

 

菅首相と河村たかし市長の “社会とのズレ方”

   

 毎年、8月も中旬になると、マスコミなどでは、「終戦の日」(8月15日)にまつわる報道特集が多くなる。

 

 私が毎週見ている『関口宏のもう一度! 近現代史』(BS-TBS土曜日)においても、ちょうど日本が太平洋戦争に負けていく過程が克明にレポートされている。

 

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 その番組をじっくり見ていると、あの戦争の末期はほんとうに悲惨だったということが分かる。

 
 沖縄戦では、日本兵と同時に多くの民間人が戦争のために命を失い、東京では、連日のようにアメリカ軍のB29による爆撃によって、市民が殺戮されていった。
 そして、その ”トドメ” が、広島と長崎に対する原爆投下だった。

 

 そういう76年前の状況を見ていると、「なんか似ている!」と思わざるを得ない。
 コロナ禍を、仮に “戦争” に見立てると、沖縄のコロナ感染者の数は8月12日には過去最多(約700人)を記録し、人口10万人あたりの罹患率では日本では最悪という数値を示した。

 

 さらに、13日における東京の感染者数は5,773人。過去最多の記録だという。
 まさに、原爆投下を迎えていないところだけが違うといえるが、今の日本の沖縄と東京に集中するコロナウイルスの惨事は、太平洋戦争末期に迎えた状況と似ている。

 

 あの太平洋戦争の終盤、日本政府はすでになすすべを失っていた。
 1944年(昭和19年)、首相・陸軍大臣・内務大臣を兼ねて絶大な権力を握っていた東條英機は、サイパン陥落の責任を取る形でその内閣を総辞職した。

   

 しかし、首相を辞めた東條を含め、当時の日本政府は連合国と講和をするでもなく、「日本人全員の本土決戦」という悲惨な標語を連発するだけで、ジリ貧になっていく日本の状況を直視せず、いたずらに時間を費やした。

 

 その間、戦場となった沖縄と空襲にさらされた東京では、軍人・民間人の別なく、多くの日本人の生命が失われていったことは、歴史が伝えるとおりである。

 

 戦後、多くの識者が書いた評伝によると、
 「東條英機という軍人は、首相になるまでは有能な実務官僚であったが、首相になってからは、情緒的な精神論ばかり振りかざし、日本が置かれた難局を理解する能力に欠けていた」
 という。

 

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 なんだか、似たような人が現在もいることを思い出す。
 「官房長官時代は、辣腕(らつわん)を奮う有能な政治家であったが、首相になったとたん、国民へのメッセージ力が希薄な答弁しかできないリーダーでしかないことを暴露してしまった」
  と思えるような政治家が。

 言わずと知れた菅義偉(すが・よしひで)首相である。

 

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 東條英機菅義偉氏に共通した性格的特徴をいえば、まず真面目。
 実務家としてはそうとう有能。
 ただし、政治家としての大局観に乏しい。
 権力欲はあるが、“独裁者” に徹するほどの能力はない。
 つまり、カリスマ性がない。
 ユーモアのセンスもない。
 そのため、国民に対して、同じ標語を繰り返し発信するしか能がない。

 

 戦争末期、東條英機は、ひたすら「聖戦完遂・本土決戦」を叫んで、情緒的に国民を煽っただけだった。
 そこでなされた主張は、論理も科学性もないもので、ひたすら彼の主観的な願望が吐露されたものにすぎなかった。

 

 彼は、とにかく「負けることを恥」とした。
 だから、大都市への米軍の空襲が激しくなり、学童疎開が議論され始めたときにも、東條英機だけは「学童疎開」に反対したという。
 「疎開などすると、この戦いは負け戦だと日本国民がみな思い始めるからだ」
 とか。
  
 また、
 「戦いで負けたら、敵に捕虜となることを恥じて、自決しろ」
 という “戦陣訓(せんじんくん)” の思想を徹底させたのも東條である。
 そのため、多くの日本兵は捕虜となって救われる道を自ら閉ざし、米軍の前で自決する道を選んだ。
  
 とにかく彼は、国民を合理的・科学的に説得する術を持たず、ただただ一つの命令を繰り返すだけの人だった。

 

 現在の菅首相はどうか。
 コロナ禍において、彼が唯一言い続けていた言葉は、「国民の安全・安心を守る」という標語だけで、それを説明する内容はまったくない。
 「オリンピック開催」にのめり込んでいた時期においても、
 「人流の抑制に注意を払いつつ安全・安心を確保した大会を心がける」
 という言葉を繰り返すだけだった。

 

 これは、ある意味、“失語症” を吐露したようなものである。
 つまり、国民が納得できるメッセージを発することができなかったのだ。
  


 太平洋戦争の話はさておき、現在の菅義偉氏が抱えている問題は、今回の「東京オリンピック2020」を側面から浮き彫りにしているようにも思える。

 今回のオリンピックで、日本発の情報として世界に訴えかけるものは何だったのだろう?
 コンセプトは「多様性と調和」だというが、大会を通じて、それがどのように表現されたのかは、はっきりしたものが見えない。
 少なくとも菅氏のメッセージからは何も読み取れない。

 

 確かに、“多様性” を志向した新しい提案はなされた大会だった。
 LGBTの問題、人種差別への抗議の問題、それを浮き彫りにしたアスリートもたくさん輩出した。
 しかし、そういう問題に対して、菅首相自身がどのようにコミットしたのかは、本人の行動から何も見えてこない。
  
 
 菅氏がオリンピックを開きたかった最大の理由は何だったのだろう?

 

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 もちろん、一番の理由は、五輪開催がもたらす経済効果と、それによって世界の日本に対する称賛が高まることだった。

 

 しかし、それを国民に説明する言葉は、非常に情緒的なものだった。

 1964年の第一回東京オリンピックを、菅氏は高校時代に体験した。


 そして、
 「東洋の魔女(日本女性バレーボールチーム)の美技に目を見張り、日本柔道の行く手を遮ったヘーシンク(オランダの柔道家)の驚異に触れ、スポーツの魅力にとりこになった」
 という。
 そして、彼は、
 「今の若者と子供たちに、夢と感動の機会を与えたかった」と付け加えた。

 

 私もまた、中学生のときに、64年の東京オリンピックをリアルタイムで経験している。
 だから、世代的に、彼の無邪気な感動も分かる気がするが、一方で、そんな昔のことを掘り返してどういう意味があるのか?  という白けた気持ちも込み上げてきた。

 

 「スポーツの力」、「夢と感動」。
 私の個人的な感覚を吐露すれば、一国の首相が、こんな無邪気な言葉でオリンピックを語ってしまっていいものか? という思いがある。
 ナイーブすぎる。

 

 それが仮に本音だとしても、すべての国民が菅氏の感覚に共感できるとは思えない。
 スポーツを経験したことのない菅氏の観念的な言葉と、実際繰り広げられた世界のアスリートたちの死闘とは、あまりにも隔たりが大きすぎる。
 感動できるのは、あくまでもアスリートたちの美技であり、菅氏の言葉ではない。
  

 「無邪気さ」は、時には罪である。
 
 私は、菅首相の無邪気さは、五輪ソフトボール日本代表の後藤希友投手の金メダルをいきなり噛んだ河村たかし名古屋市長の鈍感さと通じるものがあるように感じる。

  

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 菅首相の年齢は72歳。
 河村市長も72歳。
 (意味はほとんどないが、二人とも血液型はO型だ)
 ともに「団塊世代」(1947年~1949年)のまっただなか。

 

 企業人としては、すでにこの世代はみなリタイヤしている。
 しかし、政治家としては、この世代の人間はみなしぶとく生き残っている。

 

 私(1950年生まれ)も、この世代の末席に位置する人間であるから、彼らの心情は良く分かる。
 
 この世代は、10歳頃に、東京タワーが着工された映像を記憶にとどめている。
 多少の余裕ある家には、スバル360が納車され、その支払いを、できたばかりの1万円札で払った。

 そして、子供たちは、坂本九の歌う『幸せなら手をたたこう』の明るい歌詞を口ずさみながら学校に通った。

 

 やがて、ファッションとナンパを柱とした雑誌『平凡パンチ』(1964年発行)を読みふけって  “若者文化” を知り、東京~大阪間を3時間で移動する新幹線の存在を知った。
 菅氏も河村氏も、そういう “新時代” の到来を目の当たりにしたときに、最初の東京オリンピックを迎えた。

 

 だから、彼らのオリンピック観は、若い頃に味わった「膨張感」「高揚感」と切り離すことができない。

 基本的に、団塊世代の人々は、(おそらく死ぬまで)、自分が少年時代に体感した右肩上がりの高揚感を捨て去ることはできないように思える。

 

 そういう精神構造が、菅氏と河村氏の心を支配している。
 それは、「すべて自分中心に世界を見てしまうクセ」だ。
  
 菅首相は、五輪が終わったあとのインタビュー(8月11日付の米誌「ニューズウィーク」)において、
 「開会前には問題もあったが、五輪が始まってからは、選手たちの見せる活躍で、多くの日本人が、スポーツの力に感動し、元気づけられた」
 と述べた。

 

 この感想は、ある一面を言い当てているかもしれないが、そこに彼の客観的な裏付けはない。
 すべて彼個人の主観的願望が表出しただけだ。

 

 一方の河村たかし市長。
 彼は、五輪ソフトボール代表の後藤希友投手の金メダルを噛みながら、「早くええ旦那をもらって結婚しなさいよ」とか言ったらしい。

 

 昨今は、この表現自体が “セクハラ” に認定される時代であるが、河村氏は悪びれることなく、
 「自分は若い人に対しては、必ず “彼女はおるのか?” 彼氏はいるの? ” 」と聞いているという。

 理由は、「そう聞かれると若い人はみな喜んで、気持ちをリラックスさせるからだ」とか。

 

 この恐ろしいほどの社会とのズレ!

 すでに、この世代は、社会に向けて発言できる場を国民や市民と共有できていない。

 

 そういうことが浮き彫りになってしまった今回の五輪騒動だった。

 

 

 

 コロナウイルスは恐竜を滅ぼした隕石に匹敵する

  

 「コロナ禍が収束したら、ゆっくり旅行でも行こうね」
 …… などと約束するような会話が、相変わらず人々の間に交わされている。

 

 しかし、そんな日はこないかもしれない。

 

 私たちが向かい合っているのは、SF小説SF映画のような宇宙規模の “人類滅亡ストーリー” の入口なのかもしれない。

 

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 デルタ株といわれる変異ウイルスは、すでに最初に人類を襲った初期型ウイルスとはまったく異なっている。


 強力なロックダウンによって初期型ウイルスを駆逐したはずの中国の主要都市でも再び感染が広がっているし、ニューヨークなどでも再び猛威を奮い始めている。

 

 世界のどの国よりもワクチン接種が行き渡ったといわれるイスラエルでも3回目のワクチン投与を実施しないとウイルス感染が収束しないことが分かってきた。
 さらに、ドイツ政府も3回目のワクチンを接種しないと感染を防ぐことが難しいという認識を得るようになった。

 

 「ワクチンが普及すればコロナウイルスの脅威も収まる」

 

 世界中の人々がそう信じているが、それこそ、ひょっとしたら幻想かもしれない。

 「人類はペストや天然痘スペイン風邪のようなパンデミックを乗り越えてきた」
 と歴史は語るが、今回はそうならないかもしれない。

 

 地球上に飛来した巨大隕石が、白亜紀に栄えた恐竜たちを全滅させたという話は有名だが、今回のコロナウイルスは、人類にとって、恐竜絶滅の悲劇を再現するような可能性がある。

 

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 そういう切羽詰った危機感をもっている政治家たちはこの世にいるのだろうか。
 世界のどこにも見当たらない。


 どこの国のリーダーも、SF小説的な光景を身近に感じるほどの想像力が枯渇しているのだ。

 

 それどころか、コロナウイルスの脅威を政治利用して、自国の対面を保つことばかりに専念しているような国もある。

 

 中国などは、
 「世界に先駆けてコロナを克服した国」
 と対外的な宣伝工作を行い、“コロナ撲滅” を国威高揚に使おうとした。
 しかし、実際には、今や再びコロナの脅威に青ざめている。

 

 中国がコロナウイルスの起源を明らかにするための隠ぺいを行わなければ、世界が必要としているデータはもっと十分に確保できたはずなのに、残念だ。

 

 日本はどうか?

 

 コロナへの危機感が一番薄いリーダーともいえるのが日本の菅首相だ。
 ここ数ヶ月の菅氏に対応を見ていると、とにかく国民が東京五輪の “お祭り騒ぎ” に巻き込まれてしまえば、コロナ危機はわが国から解消されるとすらいわんばかりの対応である。

 

 菅首相自身も、日本選手が金メダルを取るたびに、SNSでそれを祝福するコメントばかりを掲載し、明るいムードを演出するのに余念がないとか。

 

 コロナの脅威をひたすら回避しようとする無責任な首相に対し、その続投をいち早く支持したのが、二階幹事長だという。
 ネットニュースによると、二階氏は次のように語ったと伝えられている。

 

 「総裁がしっかり頑張っておられるわけでありますから、総裁を代える意義は見つからない。むしろしっかり続投していただきたいという声の方が、国民の間にも党内にも強いんではないかと判断をいたしております」

 

 菅首相の支持率が30%程度まで急降下しているというのに、二階氏がいう「国民が菅続投を支持している」という根拠はどこにあるのか。

 

 こういう白々しい嘘を平気で言ってのける自民党幹部がいること自体、日本のコロナウイルスを責任をもって撲滅しようとしている政治家が一人もいないことを物語っている。

 

 小池百合子東京都知事も、同罪である。
 同知事は、7月30日の記者会見で、
 「五輪のテレビ視聴率20%だから、ステイホームに役立っている」 
 と言ってのけたとか。

 

 五輪開催後の東京都の人流は、ステイホームどころか上がりっぱなしである。
 彼女の発言も詭弁である。

 

 こういうリーダーたちが日本を牛耳っているかぎり、そのうち「コロナウイルスによる日本滅亡論」が真実性を増すのは必然のような気がする。

 

 私たちは、「コロナが人類を滅亡に追いやる」というSF的な発想をバカにすべきではない。
 それが、人々の妄想の域を超え、実際に地球上を覆い始める可能性はとてつもなく強い。
 
 政治家の人々に早く目覚めてほしい。

  

 

オリンピックにおけるアメリカ勢敗退の理由

 

 今回の東京オリンピックでは、アメリカ国歌(「星条旗よ永遠なれ」)をあまり聞かない。
 それだけ、アメリカの金メダル獲得の頻度が減ってきているわけだ。

 

 スポーツ界における “アメリカの凋落” 。

 それまで、アメリカの絶対優位を伝えられてきたスポーツ種目で、アメリカの敗退が目立つようになってきたのだ。

 

 その最初の例は、7月27日に行われた日本とアメリカの女子ソフトボールだった。
 この日、日本の女子チームは2対0でアメリカを破り、「強豪」といわれたアメリカを下して金メダルを獲得した。

 

 さらに、8月2日、横浜球場で行われた男子野球の準々決勝では、日本チームが延長10回に、アメリカを7対6で破って、準決勝進出を決めた。

 

 同じ日、女子サッカーの準決勝では、カナダとアメリカが対戦。
 カナダチームが、FIFAランキング1位で、2019年女子ワールドカップ王者のアメリカを下して決勝進出を果たした。

 

 バスケットボールに関してはどうか。
 7月25日に行われたフランスとアメリカの予選リーグでは、なんとフランスがアメリカを83対76で破り、アメリカのオリンピック連勝を25でストップさせてしまった。
 アメリカはそれまで3大会連続金メダルを獲得しており、この東京オリンピックでも無敗が確実視されていたのだ。 

 

 陸上競技においても、アメリカが他国の選手を圧倒するという展開にはなっていない。


 1984年のロサンゼルス大会以来、アメリカの五輪における獲得金メダル数は毎回世界トップであり、テレビ中継を見ていても、ゴールテープを切るアメリカ選手の姿をいつも見てきた。
 しかし、今大会では、アメリカ人選手の勢いが見られない。
 
  
 アメリカの凋落は、現地におけるテレビの視聴者数にも反映されているらしい。
 7月27日までの視聴者数は、前回リオデジャネイロ五輪と比べ42%減少しており、広告主の間で不安が広がっているという。
 
 それでは、なんのために、酷暑の東京で競技をスタートさせたのか分からない。
 この過酷な時期に五輪開催を選んだのは、すべてアメリカのテレビ中継時期と連動させたかったからではないか。

 

   
 今回のオリンピックにおいて、アメリカ選手たちの勢いが弱まったように感じられるのは、いったいどういう理由によるものなのだろう。

 

 前回のリオデジャネイロ大会から東京大会に至るまでの4年の間に、アメリカ社会で、何かが変わったのだ。
 
 この4年というのは、まさにトランプ大統領の治世だった。
 
 大統領に選出されたトランプ氏は、さっそく難民やイスラム圏から入国する人々を制限する大統領令にサインした。

 

 アメリカのメジャースポーツというのは、実は外国選手たちによって支えられていた。
 実際、NBA(米国プロバスケットリーグ)の全選手の約25%は外国人であり、人種的には黒人も多い。

 NFL(米プロフットボール)の選手構成も外国人が多く、彼らのなかには、アメリカの人種差別などに対する不満を持っている人が多い。

 

 そんなNFLの選手たちが、かつて国歌斉唱のときに人種差別に抗議する意味で起立しなかったことがあった。
 トランプ大統領は、これを怒り、その選手たちを汚い言葉で侮蔑した。

 

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 そういうことが繰り返されるうちに、外国人スポーツ選手の間に、トランプ氏への批判が高まるようになった。


 それまで、主要スポーツの優勝チームがホワイトハウスを訪問することはアメリカでは重要な習慣となっていたが、トランプ氏の就任以来、この行事を辞退するスポーツ選手が後を絶たなくなった。

 

 この東京五輪においても、トランプ元大統領は、トランスジェンダーの選手が参加したことを集会で批判した。
 「多様性と調和」を訴える東京五輪の趣旨を真っ向から非難したことになる。
 すでに「大統領」の任期を解かれても、彼は人種差別とジェンダーへの偏見を捨てようとしない。

 

 構成員として、移民や外国人、黒人などを多く抱えたアメリプロスポーツ界が、こういうトランプ氏の批判や非難を免れたとは言い難い。

 

 彼の4年の任期が、東京五輪でのアメリカ勢凋落を招いたといえるのではないか。
 詳しく調べたわけではないが、直感的に、そんなふうに感じている。

 

 

菅総理はとにかく陰気だ

 

 コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
 7月31日の東京都の感染者数は4058人(これまでで最多)だという。
 この数値を聞いたときは驚いたが、すぐに、感染者が “一万人” を超える日も近いだろうと思った。

 

 こういう危機的な状況でありながら、人流は一向に抑制されない。


 7月31日の朝日新聞夕刊では、コンビニのポリ袋に酒やツマミを入れた若者たちが公園で路上飲みをする様子がレポートされていた。
 居酒屋でオリンピックを観戦した後、飲み足りなくて、公園に集まって盛り上がるのだとか。


 そう語る若者たちに、悪びれた様子はないようだ。

 

 年寄りの私は、そういう若者たちの行動に単純に怒りを覚える。
 しかし、考えてみれば、若者ばかりを責めるわけにはいかない。

 

 彼らはいう。

 

 「若者をすぐ悪者扱いするが、すべての若者がルールを無視しているわけではない。
 外で遊んでいるのはごく一部。早くワクチンを打ちたい若者だった多いのに、そのワクチン自体が足りない」

 

 考え方を変えれば、若者たちが、マスクもせず、路上で酒をあおり、大騒ぎするというのは、彼らの “抗議行動” ともいえる。
  
 たぶん、彼らは、コロナ感染者が急増するのを止められない為政者たちの無策をそういう挑発的な態度であざ笑っているのだ。

 
 7月30日から、『パンケーキを毒見する』という映画(内山雄人 監督)が東京・新宿ピカデリーほか全国で公開されたという。
 詳しくは知らないが、菅義偉(すが・よしひで)首相という政治家の姿を、関係者のインタビューなどを絡めて多角的に浮き彫りにした映画らしい。

 

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 菅義偉という政治家は、秋田のイチゴ農家の出身で、上京してからは段ボール工場で働き、国会議員の秘書から横浜市議会議員、そして衆議院議員へと登り詰めた。
 安倍政権下では、有能な官房長官として名を売り、そして安倍氏の後をついで首相へ。

 

 その経歴から、「世襲議員ではない叩き上げ」の首相の誕生ともてはやされ、世間的には好意的に受け止められた。

 

 首相に就任してからは、 携帯料金値下げ、ハンコ廃止、デジタル庁の新設など、一般受けする政策を次々と断行し、国民の人気取りにも余念がなかった。

 

 しかし、私の(あくまでも個人的な感想に過ぎないが、)政治家としてはものすごく小粒な人のように思える。かつての田中角栄中曽根康弘小泉純一郎たちのような “スケール感” がない。

 

 別の言葉をつかえば、「カリスマ性」がない。
 官僚型の「実務家」かもしれないが、「政治家」としての “カッコ良さ” に乏しい。

 

 「思想性がない」といってしまってもいい。
 この国をどういう方向に導こうとするのか。
 彼の発言、彼の表情などからは、そういうビジョンがまったく見えてこない。

 

 菅氏の政治姿勢は、戦術的には “場当たり的” 。
 深い考えもなく、気分的に政治を取り仕切っているように思える。
 コロナ禍で経済が危ないと見るや、すぐに「GoTo トラベル」や「GoTo イート」に舵を切る。


 しかし、それらの施政が感染者を増やすとマスコミに指摘されれば、すぐに打ち切り。

 

 一度オリンピックを行うと決めると、それがコロナ感染へのリスクを高めるかどうかという検証をまったくせぬまま突っ走る。


 メディアがそのことを心配しても、
 「とにかく、安全・安心の大会を成功させる」と答えるだけで、その実現性、実効性に対する説明は何もない。

 

 「コロナの感染拡大を警戒して、五輪を中止することは検討しないのか?」
 というマスコミの質問に対しても、
 「人流は減少している」
 と嘘をつく。

 

 野党やメディアの質問にはっきりと答えることを(戦略的に)拒否しているのか。
 それとも、質問を理解する能力に欠けているのか。

 

 あの分厚いまぶたの下でうごめく感情を押し殺したような目からは、彼の本心は見えてこない。

 

 強情なのに、小心。
 劣等感が強いくせに、威嚇的。
 彼を動かしているのは、理想や理念ではなく、権力欲。
 ユーモアのセンスもないのに、若者にウケようとする(自分のことを “ガースー” と呼んだり)。

 

 性格的に矛盾したものをじっと胸の内にたくわえ、陰気な顔をしたままこの人は、ただひたすらコロナ禍が過ぎ去っていくのを待っている。

 

  菅さんにはずいぶん失礼なことを書いてしまったが、私はほんとうにこの人を好きになれないのだ。

  

  

「多様性と調和」とは何か

 

 今回の五輪のコンセプトは、「多様性と調和」だという。
 開会式などのセレモニーを演出する組織委員会が掲げた標語だ。

 

 “流行り言葉” といえなくもない。
 特に「多様性(ダイバーシティ)」という用語は、昨今のトレンドとなっており、それを口に出した人は、みな時代感覚の鋭い人としてもてはやされそうな風潮すらある。

 

 しかし、今回の五輪では、「多様性」という言葉を使って何を見せようとしていたのか? 
 開会式を見ていた範囲では、そのもくろみはあまり伝わってこなかった。

 

 そもそも、「多様性」という言葉自体が、イメージ的には、まだ一般的に浸透していない。

 

 ただ分かっている人は、この言葉を次のように理解しているのではなかろうか。
 人種や宗教、文化が異なり、貧富の差があっても、そのことによって差別されることなく、それぞれの人が平和や幸せを享受できる環境を認める。

 

 …… おそらく、この言葉に関心を持つ人たちは、みなそういう意味で使っているのだろう。
 特に、最近では、性的マイノリティーの人たちや障害者の人権を認めたりするというイメージが強調されているように感じる。

 

 ただ、こういう抽象的な用語は、いくらその「意味」だけを分析しても、なにか白々しいものが残る。

 

 「エラい人が、ムズカシイことを言っている」

 

 人々がそう感じてしまったとき、どんな崇高な理念も生き残ることはできない。

 そもそも、今回の五輪開会式の素案をまとめたディレクターたちが、過去に不用意な発言をしていたことなどが明るみに出たこと自体、彼らが「多様性」という概念を消化しきれなかったことを物語っている。

 

 そうでなければ、ナチスホロコーストのことを笑いのネタにしたり、太った女性タレントのブタにたとえて「オリンピッグ」などと茶化す発想など、絶対出てこないはずだ。


 それらの事実は、彼らが「多様性」とはまったく逆の「差別」や「虐待」を意識の底に隠していたことを明るみに出してしまった。

 

 
 「多様性と調和」というテーマを、もっとも分かりやすい形で世に広めたのは、私の知る限り、2019年に日本で開催された第9回ラグビーワールドカップである。
 このとき、「日本選手」として登録されたラガーマンは31人。日本で生まれた選手は15人で、外国で生まれた選手は16人だった。

 

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 日本以外の選手の母国はトンガ、ニュージーランド南アフリカ、オーストラリア等々。

 

 もちろんラグビーが盛んな国から日本に集まってきた人々だが、日本チームとして登録されるには、日本における居住年数や家族構成など、それぞれ一定の条件を満たさなければならなかった。プロ野球で “助っ人” として来日する外国選手よりもしっかりした基準が設けられていたのだ。

 

 彼らのメンタルの特徴となっていたのは、まずなによりも、日本という国が好きで、日本文化にも敬意を払い、日本チームの一員となることを喜んでいるということ。
 だから、2019年の外国人選手16人のうち日本に帰化した選手は9人にも及んだ。

 

 人種も異なれば、文化も言語も異なる外国人たちが、“日本のラグビー” を愛するという一点で結束し、「ONE TEAM」としてまとまったことが、あの大会で初のベスト8入りを果たす原動力となった。

 

 これこそが、「多様性と調和」である。

 

 今回の五輪開会式で、日本選手の入場行進にバスケットボールの八村類氏を使ったり、聖火の最終ランナーにテニスの大坂なおみ氏を起用するなど、ハーフのアスリートを使ったことで、大会の規格者は、「人種の多様性」を訴えたかったのだと思う。

 

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 それ自体は悪いことではなかった。
 何よりも、彼らはヴィジュアル的にカッコよかったから。

 

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 ただ、それならば、彼らの秘めている「多様性」というパワーに、もっと説明を加えてもよかったのではないか。

 

 歌舞伎や江戸時代の火消しを使うという伝統芸能を強調するアトラクションよりも、現代日本のスポーツは、「人種的にも開かれてきた」というメッセージをもっと可視化してもよかったと思う。

 

大野将平、カッコいいぞ!

 

 2020五輪の柔道をテレビで見ていて、73kg級で金メダルをとった大野将平という選手の存在に強く惹かれるものがあった。

 

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 ちょうどこの日、柔道の話題としては、阿部一二三&阿部詩兄妹の「同日金メダル獲得」という快挙が話題になったが、私自身は、その後に登場した大野将平の存在感の方が印象に残った。

 

 大野将平という人には、飛びぬけて “硬派” のイメージがある。
 “チャラい” キャラクターの男に人気が集まる最近の風潮のなかにいて、彼は、それとはまったく別の存在感を示している。

 

 それは、「無骨」、「剛直」という言葉にも近い個性だが、いってしまえば「質実剛健」。

 その表情、言動、立ち居振る舞いには、最近の若者にはなかなか感じられない強烈なストイシズムが漂っている。 

 いわば、戦国時代を生き抜いた「古武士」。
 戦場で、たとえ敵将の首を獲っても、相手の冥福を祈り、まずは合掌してから、丁寧に首を布で包み、敬いながら陣屋に持ち帰るという「礼儀」を知った武将の精神を持っている男のように思える。
  
 彼は、金メダルを取った後のインタビューで、こう答えていた。
 「自分にとって、競技は遊びの場ではない。それはいつだって戦場だ」
 
 こういう言葉は、誰が使ってもサマになるというものでもない。
 最近は、競技の緊張感から逃れるためか、試合に勝った後に、「思いっきり試合を楽しみました」と答えるアスリートが多い。

 
 そういうアスリートは、勝利の瞬間に、拳を振り上げて雄たけびをあげたり、感極まって号泣したりする人もいる。

 

 それはそれで、きわめて素直な反応だと思う。
 そういう無邪気さは、応援するファンに「感動を与える」契機ともなるからだ。

 

 しかし、大野将平は試合に勝っても笑わない。
 試合の場である「畳」を降りるまで、感激を感じる感性がないのか? … と思えるほどの仏頂面を貫き通す。

 

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 彼の思考は、おそらく次のようなものであろう。

 

 競技の場は真剣勝負の “戦場” なのだから、敗れた者は(首を取られたような)無念の思いに駆られるはずだ。
 そんなときに、勝者が勝ちほかって笑みをこぼしていたり、雄たけびを上げていたりすれば、敗者はさらに屈辱の気持ちを強く持つかもしれない。

 

 彼が試合に勝った瞬間に無表情を貫き通すのは、おそらく、そんな敗者への気づかいがあるからだろう。

 

 誠に、彼は「武士」という言葉がふさわしい格闘家である。

 

 きっとこれからますます人気が出るなぁ と思った。


 今の世の中で、こういう硬派の雰囲気を湛えた男性というのは珍しい。

 ちょうどラグビー選手では、「笑わない男」として注目を浴びた稲垣啓太にも似た存在である。

 

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広告代理店的な思想の終焉

 
 あまり何度も同じテーマを繰り返したくはないのだが、昨日触れた「2020東京オリンピック」の開会式のことについて、あと一回だけ書く。

 

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 いろいろネット情報を見ると、7月23日夜に開かれた五輪開会式へは賛否両論があるという。


 大方は、その内容の貧しさに失望したという意見だった。(ビートたけし氏、デーブ・スペクター氏、西村博之氏など)。

 

 ただ一方で、この開会式を、
 「すごく良かった!」
 「ジーンとした!」
 と手放しで評価する声もあるらしい。


 その理由は、「ドラクエ」、「ファイナルファンタジー」、「モンスターハンター」など、ゲームのテーマ曲が使われていたからだとか。

 

 私はドラクエのテーマぐらいしか知らないし、そのゲームに熱中していたのも30年以上前のことだから、五輪セレモニーにゲーム音楽が使われていたということに対する感激はない。
 ただ、そういう微細なことを極端に評価する人たちがいることは分かる。
 
 だから、開会式のセレモニーに好意的感想を述べる人たちに対しては何も言うことはない。
 しかし、「オタク系の若者の心をつかむにはゲームのテーマを流しておけばいい」と安易に判断した制作側の意図には、貧しいものを感じる。

 

 そこには、安易な大衆操作にあぐらをかいている “広告マン” たちの傲慢さがある。
 
 聞けば、開会式のセレモニーを企画したディレクターたちは、ほとんど電通博報堂などの大手広告代理店に関係していた人ばかりだという。

 

 どうりで!
 …… と思った。

 

 彼らは何かを勘違いしている。

 

 私自身も、かつて14~15年ほど広告業界に身をおいたことがあったから、大手代理店の人たちと仕事をした経験を持っている。

 

 80年代のバブル期。
 そういう大手広告代理店の営業マンたちは、みな薄い口髭をたくわえ、アルマーニのスーツに身を包み、ヴィトンのポシェットを小脇に抱え、そしてカタカナ業界用語をよどみなくしゃべっていた。

 

 「上から目線」
 当時、まだそういう言葉はなかったが、大手クライアントとのプレゼンに臨む前に彼らと打ち合わせをすると、
 「あなた方はまだそういうトレンドがあることをご存じないかもしれませんが、今海外のセレブたちは
  みたいな口調で話すことが好きだった。

 

 当時の大手広告代理店のディレクターや営業マンたちは、基本的に、
 「無知な大衆を啓蒙してやる」
 という意識が強かった。

 

 もちろん例外はある。
 現場のクリエイターのなかには、ほんとうにアーティストとしての自覚をもって真摯に働いていた人たちもたくさんいた。

 

 だが、組織の上に立つ身分になると、とたんに大企業のトップや政治家、タレントや俳優、作家などと接する機会も増えるから、自分も偉くなったように錯覚する人も出て来る。


 そういう人が社会の構造分析を行うと、あたかも社会学者や経済学者になったかのように世の中を語ることが多かった。

 

 今は時代がもう違う。
 社会環境も変わったと思う。
 
 なのに、今回「オリンピック開会式」を統括した広告代理店出身のディレクターの一人は、オリンピックセレモニーのコンセプトを、
 「Moving Forward」
 「United by Emotion」
 「Worlds we share」
 と言ったそうだ。

 

 日本語への置き換えはなし。

 

 ネット情報によると、その方は、
 「日本人は、同じような生活をしてきたから、世界のいろんな考え方を認めていくことが大事。まあ、皆さんは日本人しか読まないメディアかもしれないけど(笑)。僕自身、海外でずっと生活してるので

 

 つまり、「だから、日本語よりも、(世界の人に分かる)英語で意味を伝えることを優先した」ということらしい。
 もちろん、本当にそういう言葉で語ったのかどうかは分からない。
 ただ、上記の発言(が本当だとしたら)、そこから感じ取れるのは、一般の日本人をバカにした「上から目線」の思想だ。

 
 その人が掲げた「2020オリンピック」の標語は、「ダイバーシティー&インクルージョン」だという。
 訳すと、「多様性と調和」。

 

 悪い概念ではない。
 立派な言葉だ。

 

 しかし、こういう誰が聞いても反論の余地のない “立派な” な標語には、どこか発案者のナルシシズムと「正義の宣伝」の気配が漂う。
 誰も反対できないような正義を振りかざす言論は、常に、独裁者の思想に陥るリスクを抱えている。

 

 今は誰もが、「ダイバーシティ(多様性)」を時代のキーワードとして語り始める時代。
 しかし、そもそも「多様性」という言葉には注意が必要だ。
 それは、80年代~90年代にかけて、徐々に広がり始めた世界の階層格差を糊塗するときに使われ始めた言葉でもあるからだ。

 

 だから、「多様性」という言葉に、単なる「差別の解消」や「少数派の擁護」というプラスの意味だけを取り出すと、正確な意味はつかめない。
 すべての言葉には、その裏もあるのだ。

 

 こういう、言葉に対する吟味の欠如に、私は今回の「五輪ディレクター」たちの傲慢さを見る思いがする。
 そして、今回の五輪開会式の凡庸さ、退屈さ、その貧しさは、すべてそこから来たような気もする。

 

 それは、そのような存在に肥大してきた、日本の大手広告代理店の終焉を物語っている。

 

 70年代から80年代にかけて、日本の消費社会をリードしたブームやトレンドは、確かに大手広告代理店が発信元になっていた。
 そこには、テレビCMの力がまだ絶大だったという時代背景があった。

 
 しかし、今はSNSYOUTUBEを活用した個人が情報発信を担う時代になっている。
 情報発信におけるプロとアマチュアの差がなくなったのだ。

 

 そういう時代に、「プロの代理店がイベントを仕切る」という発想そのものが問われなければならない。
 今の消費社会は、彼らが思う以上に成熟してきている。
 

 

東京五輪の開会式はさびしかった

 

 7月23日。午後8時より、テレビで東京オリンピックの開幕式を4時間かかって見る。
 正直な感想。
 「冗長」の一言。

 

 すべてが長すぎる。
 だらだらと続く無意味なパフォーマンス。
 橋本会長やバッハ会長の、美辞麗句だけ連ねた空疎な挨拶。
 4時間もかける必要のない行事だった。

 

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 ただ、アスリートたちの入場行進だけは素晴らしかった。
 色とりどりの民族衣装を身に着けた選手たちが会場に入ってくるシーンは、彼らの表情、足取り、すべてが感動的だった。
 そこには、これから17日間競技に打ち込もうとする人間たちの決意と情熱が凝縮していた。

 

 おそらく、この入場行進以外のものをすべて切り捨てても、今回のイベントは100%の成果を確保できたのではないだろうか。
 アスリートたちの自信に満ちた力強い行進には、意図された演出などが遠く及ばない “本物” の手応えがあったからだ。

 

 今回の開幕式は、その直前までプロデュースする人たちの不祥事が相次ぎ、担当者の辞任・解任が繰り返されて、およそ成功するイベントとは程遠いものを感じさせた。

 

 それでも、そういうドタバタ騒動を乗り越える素晴らしい演出がなされたのなら、今回のイベントに盛大な拍手を送るのもやぶさかではなかった。
 しかし、実際の仕上がりは、(他の人はどう思ったかしらないが、)案の定、私自身には退屈なものに思えた。

 

 開催を1年も延期して準備した結果がこれだったとは … 。
 残念。
 日本という国の “伸びしろ” がもうなくなっていたことに気づいた瞬間だった。

 

 さらに、聖火が点灯される前、ジョン・レノンの『イマジン』(1971年)がテーマ曲として流れた来たときは、とてつもない脱力感にとらわれた。

 

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 「なんで今ごろこの曲なんだろう?」
 時代をとらえる感覚のおそるべき古さ !

 

 選曲した人は、この歌の歌詞にある「♪ 国境を超えた民族の連帯」というメッセージに共感したのだろう。
 それこそ「五輪の精神にふさわしい」と。
 

 しかし、『イマジン』で歌われたグローバリズムは、1970年代から90年代あたりの世界を表現するもので、2000年代以降、世界環境は変わってしまった。

 

 『イマジン』は、結局は「資本主義市場が国境を超える様子」を表現したというべきで、それを手放しで “人類の連帯” ととらえるのはナイーブすぎる。

 

 国境を超えたのは「人々の無垢な魂」ではなく、「グローバル資本主義」である。 
 そういうグローバリズムの成長によって、世界に経済格差が広がってしまったことを今では事実として認めなければならない。

 

 だから、この歌を2021年の東京五輪のテーマソングに使おうとしたプロデューサーには哀しいまでの感覚の古さを感じてしまう。

 

 私は、57年前の「1964年 東京オリンピック」をリアルタイムで経験した世代である。
 当時14歳。
 中学2年生だった。

 

 今回の「2021東京五輪」の開会式を見て、あらためて「1964年大会」のすごさが実感できた。
 派手なパフォーマンスでごまかさない厳正かつ力強い開会式。
 あれで十分なのだ。

 

 「1964東京五輪」は、競技場の設計やデザインからポスターのデザインまで、何から何まで洒落ていた。
 無駄がなかった。
 シンプルで力強く、人々の心にストレートに突き刺さった。

 

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 それに比べ、2020東京五輪は、衰弱している。
 メッセージも、デザインも、建築物も、すべて衰弱している。
 今の日本人五輪クリエイターたちはむしろ後退している。