アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

ネコの正体

 
 最近のテレビを見ていると、ネコが出てくるCMや、ネコのドキュメント映像がやたら目につく。

 

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 人間はいったいネコのどこに惹かれるようになったのか?

 

 まず、顔がかわいい。
  と思う人が多いようだ。

 

 これにはちゃんと理由がある。
 2020年の12月25日に、NHKの「チコちゃんに叱られる!」を見ていたら、人間がネコを可愛いと思うのは、ネコという動物は、大きくなっても顔だけは赤ちゃんのまんまでいるからだという。

 

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 人間から見ると、クマの子でも、ブタの子でも、小さいときの顔はみな可愛く見える。
 もちろん、人間の赤ちゃんも可愛い。

 

 このように、赤ちゃんが可愛く見えるのは、目が丸く、しかもその間隔が離れているからだ。


 こういう顔の構造は、
 「可愛いので、保護してやらなければならない」
 という感情を誘い出すのだという。

 

 しかし、多くの動物は、成獣になると顔が変形し、赤ちゃんのときの可愛さを失っていく。
 そのなかで、ネコだけは、大人になっても、赤ちゃんの可愛さを保っている動物なのだとか。

 

 それがネコの可愛さのヴィジュアル的な秘密らしい。

 

   
 人間がネコに感じる魅力はほかにもある。 
 それは、ネコが人に媚びないところだ。

 

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 ネコは、主人がどんなピンチに陥っても、“われ関せず”。
 一人で勝手に散歩に行き、気ままに外で遊び暮らし、腹が空いたときだけ、ネコなで声で近づいてくる。

 

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 そういうときのネコは、本当にエロティックだ。
 官能的ですらある。
 
 「惚れた女が、さんざん浮気をしたあげく、ようやく俺の元に帰ってきた」

 

 ネコにエサをねだられる飼い主は、そういう心境になるらしい。 

 

 ネコ好きな人は、そういうネコキャラを「優雅」「独立」「自由」「個性」などという言葉と結びつける。

 

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 それに対し、イヌは、何を考えているのか、手に取るように分かる。
 私の場合、前飼っていたイヌを見ていると、その頭の中に去来している想念がレントゲン写真のように透けて見えた。

 

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 「何か食いたい ! 」
 「散歩にでも行かねぇか?」

 

 その二つの間に中間的な欲望というものがなく、二つだけが突出していて、その間で濃淡を形成するグラーデーションというものがない。
 「白」か「黒」かがはっきりしているのだ。

 

 
 なにかの小咄で読んだことがあるけれど、ネコとイヌの違いは次のようなものであるらしい。

 イヌ 「あの人(飼い主)は神さまに違いない。だって私にエサをくれるのだから」
 ネコ 「私は神さまに違いない。だってあの人(飼い主)は私にエサをくれるのだから」

 

 こういうネコの唯我独尊的なふてぶてしさは、不思議な愛嬌に通じる。

 

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 要するに、ネコの心は、どこまで行ってもグレーゾーンなのだ。
 黒白がはっきりせず、灰色のトーンが微妙な濃淡をつくって、流れるように動いている。
 それは人間から見ると、妖しく、美しくも謎を秘めた世界だ。
  


 このネコの “取りとめのなさ” というのは、ネコ学者によると、ネコが「野性」をそのまま温存しているからだという。

 

 たとえ飼いネコであっても、ネコはぜったい100%家畜化しない。
 ネコは、自分の中に「野性」の魂を潜ませながら、野生動物の目で人間を観察しているらしい。

 

 だから人類が大災害に見舞われ、ネコにエサを与える余裕すらなくなったときは、ネコたちはさっさと飼い主の元を離れ、自分一人でエサを探すための旅に出る。

 

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 つまり、人間から見て「不思議」と思えるネコの行動パターンというのは、すべて「荒野の放浪」に備えてネコが温存している「野性」から来るものなのだ。


 これを、言葉を変えていうと、ネコは自分の身体の中に「自然」を宿しているという言い方もできる。

 

 人間社会のルールが通じない広大な「自然」。
 文明が届かない神秘的な「自然」。
 ネコは、それをあの体長わずか75~76cmという小さな身体の中に潜ませている。

 

 こいつは凄いことでねぇの !!
 なにもアフリカのサバンナに行かなくても、インドの密林に行かなくても、我々は庭を横切るネコの姿に、“遠大なる自然” を見ることができるのだ。

 

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 文明生活に生きる現代人が、ネコに惹かれ始めたのは、誰もが無意識のうちに、「ネコがまき散らす自然の空気」を清涼飲料水のように好ましく感じるようになったからではないか? 

 

 逆にいえば、それだけ現代社会は、自然から遠ざかったストレス社会になっているということだ。
 

 

しみじみと夜が来る

 

 いよいよ、今年もあと2日を残すばかり。
 やっぱり、この時期は、なんとなく酒が恋しくなる。

 

 コロナ禍のことでもあるので、家の中で、家族とか、本当に気の合った人間と過ぎ行く一年を振り返りつつ、お互いに照れながら、「俺たち老けたなぁ 」とか笑って、しみじみと酒を酌み交わすなんていうのが似合いそうな季節だ。

 

 そんな気分を、もし「音」で表わすとしたら?
 自分は、下のような曲が真っ先に浮かぶ。

 

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 昔、サントリーオールドのCMで使われた曲。
 いちおう『夜が来る』というタイトルが付いているけれど、『人間みな兄弟』という別タイトルも付いているようだ。

 

 タイトルがふたつもあるということは、おそらくCMにこの曲を使おうとしたスタッフたちの間では、タイトルなどどうでもよかったからだろう。

 

 ところが、予想外にこの曲は評判になり、誰が作曲したのか? 歌っているのは誰か? そもそも、いつ作られたのか? などということが話題になり始めた。

 

 最初にテレビで流れたのは、1967年だという。
 作曲は、CMソングやテレビ主題歌などを数多く手掛けている小林亜星

 

 とにかくこの曲は、ウィスキーが飲みたくなるようなBGMとしてサントリーオールドのイメージ形成に大きく寄与したものだから、その後1995年にも復活し、2008年にもまた復活している。

 

 それらの新しいバージョンでは、長塚京三、田中裕子、國村隼などの役者を揃えた短いドラマが添えられ、そのドラマの展開を想像させるような、いくつかのバリエーションが作られた。

 

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 それだけ、この『夜が来る』という曲の力が大きかったのだ。

 しみじみ 
 ほのぼの
 ほっこり

 … そんな言葉が合いそうな、そこはかとない切なさと、人の心を潤す温かさが溢れていて、まぁ、ほんとに、冬の長い夜を友と酒を酌み交わしたくなるようなCMである。

 

 
 誠にサントリーという会社は、CMづくりがうまい。

 

 それも音楽との絡め方が秀逸。

 ジャズベーシストの大御所であるロン・カーターを使ったサントリー・ホワイトのCMなんか、もう観ている人間から言葉を奪い、ただ唸らせるだけという境地に誘い込む。

 

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 このCMが万人の心に届いたかどうかは別としても、少なくともジャズが好きな人間に対しては、「ジャズに合う酒はやっぱりウィスキー」という刷り込みを行ったはずだ。


サントリーウィスキーホワイトCM ロン・カーター  

youtu.be


 サントリーは、ビールのCMでも味のある芸を披露する。
 やはり、曲との絡みがうまい。
 それが、松田聖子の歌っていた『スイート・メモリー』。

 

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 画面で歌っているのはアニメのペンギン。
 小さなクラブで、ペンギンの女性歌手がこの歌を唄い、それを聞いていた客のペンギンの一人が、「いい歌だなぁ 」とため息をつきながら、涙を流すというシーンまで盛り込まれる。

 

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 ビールのCMなのに、夏の解放感などとは無縁で、むしろしっとりした冬のバーカウンターで聞くのが似合いそうなつくりになっている。


 youtu.be

 
 この曲は、途中から英語のパートに変わるのだが、CMではその英語パートだけが使われていたように記憶している。

 

 もちろん、このCMソングが流れ出した当初は、「歌・松田聖子」などというテロップもなかったのではなかろうか。

 

 だから、私などは、どこかの外国の曲を持ってきたかと思ったくらいだった。
 結果的には、それがCMとして成功し、後に歌い手が松田聖子だと世に知れてからは、今度は松田聖子の株も上げた。

 

 こうしてみると、酒には音楽が欠かせないということを感じる。
 いい音楽は、人を酔わす。
 酒との相乗効果が上がるわけだ。

 

 今年は、奮発して、サントリーの「響き」(7.700円のやつ)を買った。
 大晦日の夜から家で飲むつもり。

 

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「これが、太郎なのか」

   

 絵を紹介した記事のタイトルが、上のものだった。
 すなわち、「これが、太郎なのか」
 朝日新聞2020年12月8日(火)の夕刊の記事だ。

 

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 その新聞の2ページ目。
 「美の履歴書」と題された美術品紹介コーナーに、この絵が掲載されていた。

 

 記事を読むと、これは「浦島太郎」を描いたものだという。

 

 確かに、亀の背に立ち、大海原を進む青年は、いわれてみれば、おとぎ話に出てくる「浦島太郎」に違いない。

 

 だが、この絵が鑑賞者に押し付けてくる “違和感” の正体は何だろう?
 
 「浦島太郎」という、きわめて日本画的なモチーフが、それとはまったく相いれない西洋絵画の技法で描かれていることへの違和感なのか?

 

 そうともいえる。

 

 しかし、この絵がかもし出す “違和感” は、この浦島太郎像を、私たちがこれまで馴染んできた「浦島の物語」とどう結びつければいいのか?
 そういう戸惑いから来るものだ。 

 

 分からないのは、まず太郎の周辺に泳ぎ回る美女や幼児たちだ。
 女たちはみな、東南アジア的な装飾を散りばめた宝冠をかぶっている。
 そのうちの一人は、ギリシャ神話のポセイドンが持つような、三又の鉾(ほこ)をかざしている。

 

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 貝の上に立ち、太郎を追っているのは、乙姫だろうか。

 

 そうなると、その後ろに蜃気楼のように浮かんでいる石造りの都市は、竜宮城ということになる。

 

 こんなビジュアルは、日本の絵画のなかにもなかったし、ヨーロッパ絵画にもなかった。
 もちろん、インドや中国、朝鮮の美術にも類型はなく、この絵のルーツは杳(よう)としてはっきりしない。

 
▼ 従来の日本画のタッチで描かれた浦島図

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 描いた画家の名は、山本芳翠(ほうすい)。
 1850年嘉永3年)に生まれ、1906年明治39年)に亡くなった人である。
 江戸時代に生を受けた画家というのが、まず驚く。

 

 江戸期に生まれた人間ならば、西洋画に親しむ前に、まず浮世絵を見ていたはずだという先入観が私たちにはあるからだ。

 

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 ネットでいろいろな情報に当ってみると、山本芳翠は、岐阜県の農家の息子として生まれたという。
 
 幼い頃に葛飾北斎の絵に心を惹かれ、やがて洋画に関心を持つ。
 本人は、フランスに留学して絵を学びたいと強く思ったようだが、当時一般人が海外留学することなどとても無理な話。
 そこで、密航に近い形でパリに向かった。
 20代の頃の話らしい。

 

 そこで、出遭ったヨーロッパ文化の衝撃が、この絵に影を落としているのは確かだ。

 

 だが、彼は、せっかくパリにまで足を運び、現地の風景や人物に接したはずなのに、なぜ日本のおとぎ話を題材に選んだのか?

 

 そこに疑問が残る。

 

 たぶん、彼は渡仏して、ヨーロッパ人の視点で日本文化を見直したとき、はじめて、浦島太郎の話が秘めている「謎」に気づいたのだ。

 

 「謎」という文字は、“言葉が迷う” と書く。
 すなわち、謎と出遭うということは、言葉では説明し得ないものに直面するということである。

 

 山本芳翠もまた、それまで自分が理解していたつもりの浦島太郎伝説に「謎」を見い出した。
 
 亀の背にまたがって訪れた竜宮城とは、いったい何のことなのか?
 そこで、太郎は何を見い出したのか? 

 

 これまで語られた浦島伝説は、それらを一度も解き明かしたことがなかった。

 

 もちろん、山本芳翠は、「竜宮城は韓国の寓意か、それとも中国の寓意なのか」などという地理的な問題に関心を持ったわけではない。

 

 彼が言いたかったのは、人間がリアリティを感じるものには2種類あって、一つは覚醒されたときに感じる「現実のリアリティ」。
 そして、もう一つは、「夢を見ているときに感じるリアリティ」。

  

 山本芳翠は、この絵で、「夢を見ているときのリアリティ」を追求したかったのだ。


黒澤明監督の映画「夢」

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 実は人間は、この二つのリアリティの間を毎日行き来している。

 

 目が覚めて、それまで見ていた世界が「夢」であると分かったとしても、夢の渦中にいるときは、誰もそれを「夢」だとは意識しない。

 

 むしろ、人間は、夢のなかで、覚醒しているとき以上の現実感をひしひしと感じたりしている。

 

 この浦島の絵が私たちに訴えてくる “違和感” は、まさに夢から覚めたときに、私たちが夢を追憶するときに感じる、あの奇妙な感覚だといっていい。

 

 私たちは、夢が時空を自在に超えることを経験的に知っている。
 そのことを象徴しているのが、この絵では、太郎が手にしている玉手箱だ。

 

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 浦島伝説では、日本に戻った太郎はこの玉手箱を開けてしまい、あっという間に白髪の老人になってしまう。


 つまり、この絵では、玉手箱が「時空を自在に超越するシンボル」として扱われている。
 
 それは、まさに、「この絵が夢である」ことを語っているのだ。
  
  
 「夢を見る」というのは、実は、異文化体験のアナロジー(類推)ともいえる。

 

 私たちは、自分が生まれて育った文化を超える体験をなかなか持つことがない。
 海外旅行は、ある意味、自分が育った文化を超える体験かもしれないが、海外に対する情報がこれほど普及した現代社会では、海外旅行が「異文化体験」につながるとはすでにいえない。

 

 だが、江戸期の文化風土しか知らなかった若い山本芳翠にとって、洋画というのはかつて経験したことがないほど強烈な「異文化体験」だったに違いない。
 すなわち、それは「夢」のリアリティに近いものだった。

 

 さらに、その洋画を学ぶために渡ったヨーロッパは、彼にとって、浦島太郎が見聞した「竜宮城」そのものだったはずだ。
 
 そう思うと、この絵の「謎」を解くカギも、少し見えてくる。

 

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 亀に乗って海を渡る浦島は、密航に近い形でフランスに渡った山本芳翠自身ともとれる。
 
 そうなると、背後にそびえている「竜宮城」は、パリの画壇を意味しているのかもしれず、太郎の周りを泳ぎ回る天女たちは、栄誉と名声を手にいれて日本に凱旋する山本芳翠を祝福する人々ともいえる。

 

 浦島太郎が、どことなく自信に満ちた表情を浮かべているのは、まさにそのことを表現しているのかもしれない。

 

 

戦後日本を裏から描いたヤクザ映画

 

 2020年の年末、BS放送WOWOWで、深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズ全5作をまとめて特集していた。
 全部、録画して、久しぶりにじっくり見た。

 

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 やっぱり、いい映画だ!
 面白い! 

 

  と思ったけれど、昔映画館で見ていたときと何かが違う。
 ふと気づくと、隣にカミさんがいて、ときどき一緒に画面を見ているのだ。

 

 しかも、
 「こんな汚らしいヤクザ映画のどこがいいの?」
 とぼやきながら、“市の教育委員会の会長” みたいに眉をしかめて、こちらの顔をうかがっている。

 

 それが違和感の元凶だと知った。

 

 あのシリーズは、“平和な家庭のリビング” で、カミさんとか(彼女とか)、そういうカップルで見るような映画ではないのだ。

 

 1970年代に新宿の場末にあったような、トイレの臭いが充満する “汚い” 映画館で、家に帰ってもすることのない男たちが見る映画だったのだ。

 

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 そういう映画館では、「禁煙」の表示を守る観客などいない。
 館内全体が煙草の煙で霧がかかったようになっている。

 

 どの客も前のシートに足を乗せ、首をのけぞらせた状態で寝そべって画面を眺めている。

 そのアウトロー的な客席の空気感が、まさに映画の内容と見事にシンクロしていた。

 

 つまり、そういう環境の中でこそ “癒される” 男たちの映画だったともいえる。

 

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 映画&アニメクリエーターの押井守は、
 『押井守 映画監督が語る 映画で学ぶ現代史』(写真上)
 (2020年11月2日 日経BP発行)
 という本で、「仁義なき戦い」に1章を割いている。

 

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 そこで彼は、(写真上)は、
 「これはヤクザの世界を借りて、“日本の戦後” を語った映画。つまり、戦後日本の近代化路線に着いていけない人間たちを描いた作品」
 と表現した。

 

 押井は語る。
 「1960年代~1970年代というのは、日本が復興を果たして経済大国になり、東京オリンピック大阪万博まで成功させてイケイケの時代だった。
 でも、なかには、経済復興と経済大国の恩恵にあずかれなかった人間もいっぱいいた」

 

 あのシリーズが空前絶後の大ヒットを記録したのは、60年代末期、経済的繁栄から落ちこぼれた人が大量に出現したことを物語っている、とも。

 

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 60年代から70年代に入ると、そういう人たちを置き去りにしたまま、政治もメディアも、戦後復興によって大金をせしめた人間のサクセスストーリーだけを追うようになった。

 

 それに反比例して、繁栄から取り残された人間たちの怨念も次第に高まっていった。

 

 仕事は単調で退屈。
 上司は陰険。
 給料は安い。
 女もいない。
 友達もいない。

 

 そういう孤独な青年たちが、仕事がはねた後、新宿などの盛り場に流れて来る。

 

 紀伊国屋ビルあたりのシャレた喫茶店やレストランは、幸せそうなカップルでいっぱいだ。

 

 孤独な男たちの足は、自然に場末の「新宿昭和館」あたりに向かう。
 そこで公開されていた『仁義なき戦い』シリーズなどは、彼らの心のダイナマイトに火をつける導火線となったろう。

 

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 なにしろ、映画のなかの極道たちは、みな自分を苦しめていた劣等感に別れを告げ、「欲望全開人間」に変身していく。

 

 そのときの捨てばちな開き直り。
 なにしろ、気の弱い青年にはぜったい吐けないようなセリフを、映画の中の極道たちは平気で口ばしる。
  
 第2作『広島死闘篇』(1973年)に出て来る大友勝利(千葉真一)のセリフ。
 「ワシらはうまいもん食うての、マブいスケを抱く。そのために生まれてきとんじゃないの」
 こういうあけっぴろげの快感原則の開陳は、仕事や社会に従順に生きてきた若者の心に刺さってくる。

 

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 おそらく、映画館を出た若者たちは、その後、居酒屋で独り飲む酒にも気合が入ったに違いない。

 

 「ワシら広島の極道はイモかもしれんがのぉ、旅の風下に立ったことはいっぺんもないんで。神戸の者いうたら猫一匹通さんけ。よく覚えとけいや」
 とか、テーブルに向かって、一人つぶやきながら。

 

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 この私自身、『仁義なき戦い』の名セリフをたくさん覚え、居酒屋などで独り酒を飲みながら、壁に向かって、ずいぶんつぶやいた。

 

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 私もまた、卒業してからしばらくは、まともな仕事につけなかった時代がある。
 仕方なく、街のイタリアン・レストランの2階でウエイターのアルバイトをこなし、そこのレジを閉めてから、1階のスナックのカウンターに入って、バーテンをやった。

 

 ある日、ある学園のクラス会のパーティーがあるといわれ、レストランのテーブルにオードブルなどを並べていたら、入ってきたグループがみな私のかつてのクラスメイトだった。

 

 酔った彼らの会話から、銀行や損保に就職した仲間が多いことが分かった。

 

 連中はみな三つ揃いのスーツに高級腕時計。
 私の方は、白シャツに黒い蝶ネクタイ。

 

 そのなかの酔っぱらった一人が、ビールを運んでいる私の肩に手を置き、
 「職業に貴賤はないからな。気を落とすことはないよ」
 と、(おそらく励ますつもりで)語り掛けてきた。

 

 …… 冗談じゃねぇや、と心のなかで思った。
 俺のことを、落伍者か何かのように思ってやがる。

 

 私は、そのレストランで、社長やキッチンの仲間にも愛され、それなりに充実した日々を送っていたのだ。


 当時の私は、銀行や損保へ就職することがエリートコースだと思ってもいなかったし、(生意気にも)むしろ、そういう生き方を軽蔑していた。

 

 私に声をかけたサクセス組の友が、その後、どうなったのかは知らない。
 ただ、彼の世界観の貧しさが、そのときの私にはとても腹立たしいものに感じられた。

 

 70年代の私は、そうとう鬱屈した気分のまま生きていた。
 その頃にずっと見ていた『仁義なき戦い』は、いまだに私にとって、元気を与えてくれる映画であり続けている。

 


 

 

クリスマス川柳

  

 クリスマスですねぇ。
 小さい頃は、けっこう胸がときめいたりしましたが
 今じゃ、365日のうちの、ただの1日ですなぁ。

 

 昔は、それでも人並みに、子供のためにプレゼントなんか買ってたんですけどね。

 

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 クリスマス
 サンタを辞めて
 50年

 

 「バブル」とかいう時代になると、夜中まで遊びまくってました。
 この季節、にぎやかなパーティばっかり続きましたから。 
 で、そういう朝に限って、カミさんが起きていたりするんですね。

 

 朝帰り
 とっさにサンタに
 早変わり

 

 酒くさい
 サンタは要らぬと
 足げりに

 

 で、カミさんの返事は以下のごとく。 

 

 メシはない
 自分でチキンを
 買って来い

 

 今では、それなりに平和なクリスマスを送るようになりました。

 

 ジングルベル
 聞きながら
 書く年賀状

 

 クリスマス
 老いたる家内と
 ケーキ食べ

 

 まぁ、こんな感じの年の瀬ですかね(笑)

  

 

人生最大のピンチ

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 人生のピンチは、何の前触れもなく、突然やってくる。

 「なんでこんなときに?」
 「なんで俺が?」
  みたいな不条理感をともなって、ピンチは、人の不幸に舌なめずりをする死の女神のように、足音も立てず、気がつくと、ひっそりと隣りにたたずんでいるのだ。

  

 俺の最大のピンチは、思い出すだけで2回ある。


 ひとつは小学校のときだ。
 休み時間、校庭の鉄棒でくるりと逆上がりをしたとき、突然訪れた。

 

 鉄棒の上で、口が閉まらなくなったのである。
 開きっぱなしのまま、口が固まってしまったのだ。
 最初は何が起こったのか、まったく呑み込めなかった。

 

 鉄棒から降りて、足を地面につけても、相変わらず口が閉まらない。
 顎(アゴ)がだらんと垂れ下がったまま、閉じようとする筋肉の意志をまったく受け付けなくなっている。

 

 声を出そうにも、ふはふはふは、と喉の奥が鳴るだけで、声が出ないのだ。

 
 「これって、アゴが外れた状態なのだろうか?」
 恐怖がじんわりと足元からこみ上げて来た。

 

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 両手でアゴを挟む。
 それをカクカクと動かしながら、骨と骨が噛み合うポイントを探してみる。
 
 しかし、なかなか見つからない。
 だんだん焦りが出てきた。
 保険教室にでも駆け込んで、誰かの助けを借りるか。

 

 そう思った瞬間、カチッという音とともに、見事にアゴが頭蓋骨に収まった。
 九死に一生を得た思いだった。
  

 

 もうひとつの絶体絶命のピンチは、社会人になってからである。


 会社のトイレで小便をすませたあとだった。

 ぷるんぷるんと飛沫を便器に跳ね散らかしながら、ズボンのチャックを上にあげた。

 

 すると、チャックが途中で動かなくなった。
 同時に、激痛が襲った。


 チャックが自分の大事なアレ なんていうんだろうか、男性の、いわゆる陰茎部とでもいうのだろうか。
 その裏側の皮をはさんだまま、チャックが止まったのだ。

 

 初期状態に戻そうと思い、チャックをもう一度下側に引いてみた。
 激痛が走る。


  が、動かない。
 皮に食い込んだチャックは、うんともすんとも言わない。

 

 押してもダメ。
 引いてもダメ。
 次第に冷や汗が垂れてきた。

 

 厳冬期の男性用トイレ。
 窓から寒風が吹き込んでくるというのに、顔が紅潮して熱くなっている。

 

 「こうなったら、もう病院へ駈け込もう !」
 というくらい気合を込めて、血が出るのも覚悟の上で、思い切ってチャックをずり下げた。

 

 「痛てぇ !」
  というほどのこともなく、あっさりとチャックは皮からはがれた。
 陰茎部を裏側にひっくりかえし、子細に皮の様子をチェックしてみたが、それほどダメッジを受けた様子もなかった。
 
 ホッと胸をなでおろす。 
 チャックを開けたまま、医者のところに飛び込むのもカッコ悪いところだったから、これも九死に一生を得たような思いだった。
  
 
 ピンチは知らないうちにやってくる。
 しかし、それを自力で乗り越えたとき、自分が一回りも二回りも大きくなったように感じる。

 

 次は何が起こるのか。
 怖いようで、楽しみだ。

 

 

CRY ME A RIVER

CRY ME A RIVER

 

 狭い階段を降りると、素っ気ない木の扉。
 扉の上には、古めかしいネオン管のイルミネーション。
 『 RUMI 』

 

 この季節、扉の前に立っただけで、その奥から歌声や喧騒が響いてきたというのに、今日はやけに静まり返っている。

 

  どんな顔をして入ればいいのか。

 20年。
 いや、それ以上になるか。

 

 ドアを開けると、カウンターの中の痩せた女が、物憂げに首を回した。
 「いらっしゃい」
 抑揚のない、しゃがれた声が返ってくる。

 女の顔を覗き込んでも、乾いた瞳には、何も変化が起こらない。

 

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 5人も座れば満席になるカウンター。
 2人ほどの人間が隣り合って座れば、もう余裕がなくなるくらいの小さなボックス。
 しかし今は、空いた席のどこにも、人影がない。


 カウンター脇の壁には、雨に濡れて煙草を吸っている女のモノクロ写真。
 ボックス側の壁には、サックスを吹く男の写真。
 何一つ変わっていない。
 それらの写真が、少し黄ばんで色あせている以外は。

 

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 カウンターのストゥールを少し引いて、腰を乗せる。
 黙って、女が差し出すおしぼりで、手の甲を拭く。

 

 「バランタインのフィネストを」
 「飲み方はどうします?」 
 「ロックで」

 

 女が、流れるジャズのリズムにアイスピックを合わせながら、軽く氷を割る。
 盗み見るように、その腕から首にかけて、視線を這わす。
 心もち首の周りの肉がたるんだようだ。
 目の下にも、シワが影を落としている。

 

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 「外、寒いですか?」
 女が不意に話しかける。

 

 「外は冷たい雨。夜ふけ過ぎに、雪に変わるかもしれないね」

 

 山下達郎の『クリスマス・イブ』を、ちょっともじってみたが、女は気がつかないか、関心がないようだ。
 もっとも、昔から女は、日本の歌などには興味がなかった。

 

 さすがに、20年経つと、人間の顔も変わってしまうものなのだろう。
 女の記憶から、私のことは消え去っているようだ。
 ならば、はじめての客として振る舞えばいいだけだ。
 
 「クリスマスだというのに、今日は空いているんですね」
 「今どきの若い人は、スナックなんかには来ないのよ。スナックで歌うのは老人ばかり。それも、こんな寒い日は、家から出ないわ」

 

 女が差し出すウィスキーを、軽く口に含む。

 

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 「こういう店が開いていてよかった。落ち着くよ」
 「どういたしまして」
 「昔から、こんな店だったの?」


 
 少し間があいて、女の唇が、ふわっと歪むように横に開いた。
 笑ったのだろう。

 

 「知っているくせに」

 

 女が、ライターをカチッと鳴らして、煙草に火をつけた。

 

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 「やっぱり覚えていたんだね?」
 「相変わらず意地悪な人ね。知らんぷりして」

 

 「20年経つのかな」
 「22年と3ヵ月」
  
 「詳しいね」
 「私が忘れたと思った?」
 「思った」
  
 「わけも言わずに、パタッと姿を消して 。私、朝の駅であなたを探したことが何度もあるのよ。知らないでしょうけれど」
 「知らなかった」
  
 「どうせそうよね。 私も一杯飲んでいい?」
 「マッカラムのロックだね」
 「そういうことだけ覚えているのね」
  

 
 22年前。
 ふらっと私は、この店に立ち寄ったのだ。
 一人きりのクリスマス・イブを持て余して。
 
 誰もいない部屋の灯りを一人で点けて、ベッドに腰を下ろし、孤独な夜にため息をつくのが嫌だったからだ。 
 だから、わざわざ家から離れた知らない町の駅に降り立って、知らない道を歩き、この狭い階段を降りた。

 
 
 「今でも歌っているのかい?」
 「何を?」
 「ジャズ」

 

 「バカね。本気にしてたの?」
 「だって、レッスンに行くんだといって、一緒に駅まで歩いた」
 「嘘よ」
 「どうして、そんな嘘を?」
 「あなたがジャズが好きだって言っていたから」

 

 「22年目にして、はじめて明かされた真実か」
 「真実を告白する日が来るとは思わなかったわ」

 

 グイとグラスを煽る女の手の甲に、シワが刻まれている。
 女は結婚したのだろうか。
 薬指に、エンゲージリングのようなものは見えない。

 

 あの手を握ったことがある。
 この店に何回目に来たときのことだ。
 最後の客が扉の向こうに姿を消し、店の中にたった2人だけ残った夜だった。

 

 照明を少し落とし、フロアでチークを踊った。
 確か、流れていた曲が、ジュリー・ロンドンの『クライ・ミー・ア・リバー』。

 「もうじき店を閉めて、アメリカで暮らすの」
 踊りながら、女は、耳元でそんなことをつぶやいた。
 
 「何のために?」
 「何もかも、いやになっちゃったから」
 
 女は、笑ったのか、それともため息をついたのか、お互いに頬を合わせていたから、それは分からなかった。
 
 そのあと、私たちは、どうしたのか。
 記憶が途切れている。
 したたか酔ったのだろう。

 

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 そのようにして店に通うようになってから、何日目だったか。

 

 そうだ。
 ラーメンと餃子を食べた。
 店にあったワインを持ちだして、そろそろ店じまいするというラーメン屋のオヤジにも振舞って、 それから、明け方まで歩いた。
 どんな道を通ったのだろう。

 

 女は猫を飼っていた。
 猫は、私を警戒する様子もなく、かといって、歓迎する風でもなく、カーペットの上で彫像のように固まり、無表情に私を見つめた。
  
 その後、女はアメリカに行ったのか、どうか。
 こうして、同じ店を維持しているところを見ると、その話も嘘だったのか。

 

 酔いが回ってきているのに、身体が温まらない。
 女は同じピッチで飲み続けている。

 

 「寒いね」
 「お湯割りに変える?」
 「いや、いい。 何か歌が聞きたい。ジュリー・ロンドンの『クライ・ミー・ア・リバー』」 

 

 「今は、CDもレコードもないわ」
 「じゃ、しょうがないな」
 「でも、私が歌う。カラオケならあるから」
  

 ▼ クライ・ミー・ア・リバー 

youtu.be

  

 女の声は物憂く沈んで、部屋の床をすべるように、低く流れた。

 昔の記憶が、皮膚の毛穴まで満ちてきて、見えない滴(しずく)となって虚空に散った。
  
 「クライ・ミー・ア・リバー」
  ♪ 川が流れるような勢いで、泣いてちょうだい。

 どういう意味なのか?
 
 いまさら、遅いわよ
 そう歌っているようにも思える。
 
 今頃になって、何しに来たの?
 そういう歌詞のようにも感じられる。

 

 20年経って、また淋しくなったの?
 勝手な人だこと。
 もし、淋しいのなら、その証拠を見せてよ。
 川のように、ここで泣いて見せたら?

 

 顔を上げて、歌っている女を盗み見る。
 突き放したような、笑顔があるだけ。
 そこから、女の感情を読み取ることはできない。

 灰皿に置かれた女の吸いかけの煙草から、灰がポロリとこぼれ落ちる。
 女はそれを横目で見ながら、歌い続ける。

 

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 22年前、この女と何があったのか。
 もう、それが分からない。
  

 

見知らぬ女(人)

 

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▲ トレチャコフ美術館でもっとも人気のある「見知らぬ女」

  

  

 昔、上野の東京都立美術館で開かれた「トレチャコフ美術展」をカミさんと見にいったことがある。
 
 その日は雨の休日で、上野の森の新緑が雨に煙って濃い影をつくっていた。
 美術館に入る前から、すでに絵画の世界を歩いているような日だった。
 
 トレチャコフというのは、帝政ロシア時代の画商の名前で、当時の保守的なロシア画壇に反抗した若い画家グループを支援した人の名である。

 

 当時、そういう革命派の画家たちを「移動派」と呼んだらしい。

 

 なぜ、「移動派」という名前がついたかというと、革命派を自認する画家たちが、実際に自分たちの絵を抱えて町や村を回り、美術展などに行く習慣を持たなかった庶民に見せて回ったからだ。

 

 当時のロシア画壇というのは、ヨーロッパ志向の政府の方針により、イタリア古典絵画の手法をそのまま踏襲する絵が主流だった。
 しかし、そういう保守系の美術展では、帝政ロシアの貴族政治の下で苦しんでいる庶民の生活を描いた絵が採り上げられることはなかった。

 

▼「移動派」の絵画_イリヤ・レーピン 『ヴォルガの船引き』

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 それに不満を感じた若い画家たちは、ロシア画壇の主流派と決別し、ロシアの腐敗した貴族政治を風刺したり、農民や一般大衆の悲惨さをテーマにした絵を描き始めた。

 

 だから、彼らの描く絵画は、権力と癒着した僧侶階級の腐敗だったり、プロレタリアートの過酷な労働の状況を克明に写し取るといったメッセージ性の強いものになった。


▼ サヴィツキー 『線路の修繕工事』

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 正直にいうと、私は、そういう絵があまり好きではなかった。
 政治風刺や権力批判などというテーマを盛り込んだ絵画は二流の美術だという思い込みがあったからだ。
  
 しかし、実際にその手の作品に接してみると、自分が持っていた先入観とは少し違うかな という印象を持った。

 

 やはり、素朴なリアリズムの「豪速球」でこられると、歴史の一瞬に立ち会っているという素直な感動がわき起こってくるのだ。
 そういう絵画体験というものを、私はそれまで持ったことがなかった。 

 

イリヤ・レーピン 『無実の死刑囚を救う聖ニコラウス』

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 それともうひとつ面白いと思ったのは、ロシア人たちの風俗だった。
 人々の着るもの、街、村の景色。特に貴族階級の婦女子の衣服。
 ヨーロッパというよりアジアに近く、かといって中国でもモンゴルでもない独特の装束は見ていて飽きなかった。

 

▼ コンスタンチン・マコフスキー 『蜜酒の杯』 /「ココシュニックを被る少女」

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 ロシアデザインの特殊性は、建物にも反映されている。
 玉ねぎ型の屋根を持つクレムリン宮殿独特の建築様式もじっくり見るとなんとも奇妙だ。


 こういう文化様式はどうして生まれてきたのだろう? と、考えれば考えるほど興味が湧いてきた。

 

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 ロシア文化というのは、「カオス(混沌)」の文化である。

 

 西洋近代的な文化の底には、古代アジア的な土着性が潜んでいる。
 フランス的教養で染められた貴族文化は、一皮むくと、魔術や呪術ばかり。


 
 革命前の19世紀帝政ロシアは、ひょっとしたら人類史上まれにみる不思議な国家空間を形作っていたのかもしれない。
 
 そういう面白さに気づくと、ますますロシア絵画に惹かれていくものを感じる。 

 

 今回の美術展のなかでも、ひときわ異彩を放っていたのは、イワン・クラムスコイの「見知らぬ女(人)」であった。

 

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 馬車に乗る一人の貴婦人が、傲慢と思えるほどの眼差しで、路上にいる人間を見下ろしている。

 

 ロシアの庶民階級から見れば、憎むべき貴族階級のいやらしさを身に帯びた女性のように見えたかもしれない。

 

 しかし、これを描いたクラムスコイ自身が、貴族社会を嫌って「移動派」の指導者に身を投じたくらいの人だから、この絵も「貴族の傲慢さ」を批判的に描いたものではない。

 

 むしろ注目すべきは、一見 “傲慢” な女の瞳に宿された、どうしようもない憂いだ。
 
 彼女は何者なのか。
 モデルは誰なのか。
 なぜ悲しんでいるのか。

 

 作者のクラムスコイ自身が、この絵に関しては生涯沈黙を守ったため、すべて謎であるらしい。

 

 この「謎」が人々の好奇心を引き寄せるために、一度見たら忘れられない絵という意味で、「忘れられぬ女(人)」といわれることもある。

 

 不思議なのは、彼女の目だ。 

 

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 馬車の下にいる人々を見下ろしているようで、この目は何も見ていない。
 よく見てみると、焦点が定まっていないのだ。

 

 では、彼女の心は、何をとらえていたのだろうか?

 

 不意に訪れた「意識の空白」。
 すなわち、「虚無」をとらえていたのだ。

 

 もし彼女が貴族階級の娘であったのなら、自分たちの富と権力を保証してくれた世界が崩壊し、やがて自分たちが経験したこともない労働者の世界がやってくる前の、一瞬の意識の空白。

 

 つまり、帝政末期の世界から、次の革命期の世界へ移っていく一瞬の空白を、彼女の鋭い感受性は、とらえてしまったのだ。

 

 だから、彼女の目に映ったのは、「今はまだどちらにも属していない世界」、すなわち「虚無」だった。
 
 
 これと似たような心の状態を描いた絵が、もう一枚ある。
 
 同じクラムスコイが描いた「荒野のイエス・キリスト」である。

 

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 これは、イエスが悪魔の誘惑と嫌がらせに耐え、荒野を40日さまよったときの情景を描いた絵だ。

 

 岩の上に座るイエスは、悪魔の誘いをようやく退け、憔悴しきって、もう動くこともできない。
 その目は、生気を失い、ただの穴のようになってしまっている。

 

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 ここに描かれているのは、またしても「虚無」を見た人の目である。

 

 イエスの心に、何が起こっていたのか。

 

 自分が悪魔の誘いと戦っていても、まったく自分を助けようとしなかった「神」の存在を考えていたという気がする。

 

 イエスは「神の子」である。
 ならば、父である「神」は、ピンチに陥った子を助けるのが当たり前ではないか?
 岩の上に座るイエスは、そう考えた。

 

 だが、荒野を吹く風のなかに、父であるはずの神の声はない。

 

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 やがて、イエスは、神の存在を疑う前に、神そのものを無条件に信じることが「信仰」であることに気づく。

 

 「疑う」ことを捨て、「信じる」ためだけに祈る。
 信仰とは、そういうものではないのか?

 

 それが、イエスの “穴のような目” が見つめた「真実」だった。

 

 神の存在を、人間は見ることも知ることもできない。
 ただ、何かのときに「突然の啓示」として、神を感知することができる。

 

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 ロシアの大文豪ドフトエフスキー(写真上)は、
 「平行線はどこまでいっても交わらない」
 という一般的なユークリッド幾何学に対し、
 「平行線は無限延点で交わる」
 という非ユークリッド幾何学の公理に刺激を受け、その “無限延点” こそ、神の立つ場所だと確信したという。

 

 無限遠点とは、もちろん人間には知覚できないし、想像することもできない。
 ゆえに、それは「虚無」なのである。

 

 しかし、その「虚無」は、神の慈悲と恩寵に満たされた “光り輝く虚無” だ。

 

 革命前夜のロシアというのは、そのように、数学の最先端の知見と、荒唐無稽なメルヘンがひとつの坩堝(るつぼ)の中で溶け合うような、とんでもない創造的パワーが渦巻いていた世界だったのかもしれない。

 

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外は白い雪の夜

  

 こんな悲しい別れの歌って、ほかにあるのだろうか?
 『外は白い雪の夜』。

 

 この季節になると、必ず思い出す歌のひとつだ。

 

 作曲は吉田拓郎
 作詞は松本隆

 

 この歌が発表されたのは、1978年。
 私は20代半ばだった。
  
 しかし、当時、私はこの歌をリアルタイムで聞いていない。
 後年、YOU TUBEをさまよい歩いていて、偶然この歌を拾った。
 たぶん、2016年か2017年ぐらいの冬だったと思う。

 

 だから助かった。
 もし、1978年当時にこれを聞いていたら、きっと私は、聞きながら号泣していただろう。
 
 それほど、歌でうたわれた情景と、当時の私の心境はシンクロしていた。

 

 どういう歌なのか。

 

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 雪の降る夜、人気のないレストランで、男と女が最後の会話を交わす。
 男は、その晩、彼女に別れ話を切り出すつもりでいる。

 

 女は、すでにそれを予感し、取り乱さないように男の顔を見詰めたまま、笑顔で覚悟を決める。

 

 歌詞だけ追うと、男が女から去っていく歌だ。
 しかし、男だって、女に未練を感じながらも、あえて「別れ話」を切り出すことだってあるのだ。

 

 それは、「このままでは女が去っていくのではないか?」 と男が予感したときだ。
 男は、女を食い止める手段を使い果たしたとき、やむを得ず、自分から先に「別れよう」という言葉を口にする。

 

 その場合、「別れ話」を切り出した男の方が女々しいのだ。

  
 それに対し、この歌では、覚悟を決めた女の方が、むしろ凛としている。

 しかし、その「凛とした強さ」は、今にも崩れ落ちそうな危うさを秘めている。
 あと、5分耐えることができなければ、彼女はテーブルに身を投げ出して泣いてしまうだろう。

 

 しかし、姿勢を正したまま、それをこらえている女の健気(けなげ)さが、なんとも愛らしく、悲しい。

 

 そういう切ない別れを、美しい思い出に閉じ込めるには、やはり雪の夜がふさわしい。

 

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▼ 2002年のライブより

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作詞のコツ

  
 夕食を食いながら、テレビで「日本作詞家大賞」の選考会を兼ねた歌番組を観ていた。

 大半が演歌である。


 テロップに流れる歌詞だけ眺めていると、どれもたいしたことのない詞に思える。
 ありきたりの言葉だけが連なる何のヒネリもない詞ばかり。

 

 …… と思っていたが、曲が流れて、歌手がその詞をメロディーに乗せていくと、何かが変わってくる。

 

 何がどう変わっていくのか?

 

 最初はそのカラクリが分からなかったが、途中から、おぼろげながら視えてきたものがあった。

 

 「作詞」というのは、単独で成立するものではなく、メロディ、アレンジ、歌手、さらに舞台といった「トータルな芸能装置」のなかで「生まれてくる」ものなのだ。

 

 だから、作詞そのものにおいては、ドキッとするような鋭い言葉は必要ないのである。


 むしろ平凡な、当たり障りのない言葉の方が良い。

 その方が、メロディにも、アレンジにも、歌手にも、舞台にも違和感なく溶け込んでいく。

 どこにでも転がっている平凡な詞だからこそ、どんな人間からも受け入れてもらえる “幅の広さ” が生まれる。


 
 「♪ あなたに会えて、私は幸せ」

  それでいいのである。


 好きな人に出会うことができた人間は、その言葉だけで、今の自分の気持ちをストレートに表現した言葉に思えてくる。

  むしろ、平凡な言葉が、「世界にたった一人しかいないあなた」という自分の気持ちを100%代弁してくれる言葉に変わる。
 

 

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 そういう技術を持っているのが、プロの作詞家だ。

 
 プロのどこが凄いのかというと、まず、どこにでも転がっている平凡な言葉を、“意外な” 文脈で使ってくる。

 

 「♪  夢をかなえてくれる人よりも、夢を追っている人が好き」

 

 実にうまい歌詞だと思う。

 

 もし、これが逆で、
 「♪  夢を追っている人よりも、夢をかなえてくれる人が好き」
 ということになれば、
 “夢想ばかりしている無能な人よりも、着実な人生設計のできる人が好き” という意味になって、平凡な世界観しか生まれない。

 

 しかし、「夢をかなえてくれる人」よりも、「夢を追っている人が好き」というひっくり返しによって、ドラマが生まれる。
 
 どういうドラマか?
 「愛が生まれる」ドラマなのだ。

 
 愛というものは、相手の “負の部分” に賭けてみようという気持ちを呼び覚ます。
 “負の部分” が見えたからこそ、恋する者は、相手を「助けてあげたい」という相手の心に寄り添う自分のスペースを見つけることができるのだ。
  
  
 もう一つ気づいたことがある。

 

 演歌の詞を考えるときは、まず聞いている人が、どんな場所でこの歌を聞いているのか、ということまで想像してあげることが大事だということだ。

 

 たとえば、年末になっても仕事が忙しくて、家族のもとに帰れない人がいるとする。
 そういう人が、雪の降る町外れの居酒屋で、一人でテレビの紅白歌合戦を聞きながら、手酌酒を飲んでいるとしよう。


 

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 そんなとき、
 「もう一本、これは私からのサービスだから」
 といって、ママさんがカウンターの端にポンと置いてくれるお銚子は、どんなに心が温まることか。

 

 で、さっそく詞を作ってみた。

 

  もう一本、もう一本、これは私の気持ちなの。
 だけど調子に乗らないで。ただのお銚子一本だから。

 そんなぁ、私の気まぐれ酒に、付き合う貴方(あなた)はお人よし。
 お勘定は、しめて8万5千円。

 お金がないのなら、駅前に「アコム」があるからね。
 ハァ、チョンチョン ♪
   
  
 演歌はいいよね。
 どんな演歌も、みな応援歌になる。


 悲しいときには、とことん悲しい歌ほど、人の気持ちにピタッと寄り添ってくる。

 

 演歌の歌詞を、「判で押したようなステレオタイプ」という人もいるけれど、普遍性というものは、案外そんな単純な形を取っているものなのだ。 
   

 

吉行淳之介 『驟雨』

 
 「驟雨」という言葉がある。
 「しゅうう」と読む。
 にわか雨、それも糸のような淡い走り雨のことをいう。
 
 この言葉を覚えたのは、吉行淳之介の短編『驟雨』を読んでからである。

 

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 小説のテーマは、娼婦とその客との間に繰り広げられる淡い恋愛ドラマだ。

 

 たぶん、こういう作品が、現在評価される余地はあまりないように思える。
 「娼婦」という商売自体が、性の倫理規定が厳しくなってきた今の世で容認される空気が薄くなってきているからだ。

 

 ただ、私がこの小説に接した50年前、 中学生であった私は「娼婦」が何であるかなどと問題にする以前に、男女の哀しいラブストーリーとして読んだ。

 

▼ 作者_吉行淳之介

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 話は、こうである。
 1950年代中頃、新宿の娼婦の町(赤線街)に通うようになった若い男が、ある日、その街で一人の娼婦に出会い、どこか惹かれるものを感じる。

 

溝口健二監督の映画『赤線地帯』(1956年 昭和31年)

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 しかし、娼婦というのは、数々の男を相手にする商売だから、一人の男が独占するわけにはいかない。
 
 男は、むしろ、それをよしとする。
 自分の気が向いたときだけ、その女のもとに通えばいいわけだから。
 「結婚」 のような男女の濃密なつながりを避けて、女と距離を置いて生きようとする男の気持ちには、かえってそういう関係の方が都合がいい。

 
 
 だが、その娼婦のもとに通い出すようになって、男の気持ちに変化が起きる。
 「惚れてしまったのではないか?」
 男はそう自分に問う。

 

 その自問は、彼の気持ちを動揺させる。
 彼女が、他の客たちに体を開くことに対して、知らず知らずのうちに嫉妬している自分がいるからだ。
 
 「娼婦に惚れるなんてバカバカしい。相手にとって、自分は客の一人に過ぎない」
 そう自分に言い聞かせる男の気持ちが、不安定に揺れ始める。
 「女も、自分のことを特別な存在として意識していそうだ」と思える兆候が表れてくるからだ。
  
 かといって、主人公は何かのアクションを起こすわけでもない。
 宙ぶらりん状態になっている自意識を持て余したまま、無為な日々を過ごしていく。

 

溝口健二監督の映画『赤線地帯』(1956年 昭和31年)

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 そして、話はそっけなくストンと終わる。
 終わり方はこうだ。
 
 主人公は、いつものように、その娼婦に会うつもりで、娼家を訪ねる。
 そして、彼女に先客がいることを知る。
 時間をつぶすために、彼は近くの居酒屋で、蟹(かに)をサカナに酒を飲み始める。

 

 酔った頭で、彼女の馴染み客同士が集まって、彼女の話を “サカナ” に酒を飲み合う情景を想像する。
 それは楽しい想像から、徐々に不快な想像に変わっていく。

 以下、引用。
 
 「酔いは、彼の全身にまわっていた。
 もぎられ、折られた蟹の脚が、皿のまわりに散らばっていた。
 脚の肉をつつく力に手応えがないことに気づいたとき、彼は、杉箸が二つに折れかかっていることを知った」
 
 それがラスト。
 「折れかかった箸」が、不安定な立ち居地を保っている男の憂いを伝えて余りある。
 読み進めてきて、最後にこの行にたどり着くと、この不思議なそっけなさが、とてつもない “余韻” として読者の心に降りかかるのだ。
  
 読んだのは中学3年のときだった。
 その時期、立て続けに吉行淳之介の小説を読んだ。
 
 似たり寄ったりの話が多い。
 気に入った娼婦のもとに通いながら、その女に惚れそうになる「心」を固く封印したまま、「これはただの遊戯だ」と陰鬱につぶやく男たちの話。
 
 それが身につまされた。
 
 もちろん、中学3年の自分は、娼婦なんて知らない。
 それどころか、女そのものを知らない。
 にもかかわらず、吉行淳之介の “娼婦もの” に登場する男たちに、言い知れぬ共感を覚えた。
 
 当時、初恋の渦中にあったからだと思う。
 
 受験を控えた自分に、「恋愛」など許されるわけがない。
 しかも、羞恥心も強かったから、相手に気持ちを伝えることもできない。
 だから、恋焦がれる女性のことを、必死に「ただのクラスメート」に過ぎないと思い込もうとする。

 

 だが、その自制心は常に裏切られる。
 勉強どころじゃない自分がいる。
  
 そういう自分の焦燥が、吉行淳之介の描く「煮え切らない男たち」の気持ちと共振した。
 
▼ 若い頃の吉行淳之介

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 今の若い人たちがこれを読んだとしたら、どう感じるだろう。
 たぶん、現実感のない話だと思うような気がする。
 
 なにしろ、「娼婦」という存在が、今はない。
 今でも売春組織はあるのだろうが、それは非合法のものとなる。

 

 ところが、これが書かれた昭和20年代後半には、まだ政府も半ば公認していた売春街があったのだ。
 そのような背景を知らないと、このような娼婦の街が、人々の日常生活の片隅にあっけらかんと存在していることの奇妙さを理解できない。

 
 
 それでも、当時すでに「売春は犯罪であり、反社会的なものである」という認識は広がっており、吉行淳之介の小説は、「売春を奨励するものである」と批判され、リベラル文化人や教育者などによる攻撃の対象となっていたという。
  
 でも、そういう小説に、中学生の自分は惹かれた。
 
 そこには、思春期の男の子が期待するような扇情的なエロ描写がない代わりに、乾いた抽象画のような男女の交情が描かれていた。

 

 そして、氷河の底に沈むような「冷たい官能」と、荒野の夕陽を眺めるような「荒涼とした憂い」があった。
 
 そういうものを背伸びしながらも覗き見ることは、まだ半分も手に入れていない自分の「人生」を見通す手がかりとなった。 
  

 
 吉行淳之介の初期の短編には、「小説」というより、「詩」であると言い切った方がよいものがある。

 
 『驟雨』は、一連の “娼婦もの” の中では、特にそのような傾向が強い。
 その中の一節が、一度でも頭の片隅に寄生してしまうと、それは一生を支配する。 
 
 この小説で、印象に残ったのは、次のような個所だ。
 主人公と娼婦の女が、朝のカフェの窓から外の景色を眺めるシーンが出て来る。

 以下、引用。
 
 「そのとき、彼の眼に、異様な光景が映ってきた。
 道路の向う側に植えられている一本の贋アカシヤのすべての枝から、おびただしい葉が一斉に離れ落ちているのだ。

 

 風は無く、梢の細い枝もすこしも揺れていない。葉の色はまだ緑をとどめている。
 それなのに、はげしい落葉である。
 それは、まるで緑色の驟雨であった。

 

 ある期間かかって、少しずつ淋しくなってゆくはずの樹木が、一瞬のうちに裸木となってしまおうとしている。
 地面にはいちめんに緑の葉が散り敷いていた」
  
 この小説のタイトルともなる “驟雨” がそこで登場する。
 
 「葉が離れ落ちる」という描写が伝える寂寥(せきりょう)感。
 「風もないのに落ちる」という言葉がつむぎ出す、神秘性。
 「少しずつ淋しくなっていくはずの樹木が、一瞬のうちに裸木になる」という観察から生まれる不条理感。

 

 小説や評論のようなロジックの世界には還元できない、「詩」としての妙味がそこにあるように思った。
 

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 毎年、この季節になると、葉を黄色く染めた街路樹のイチョウが散り始める。
 小説『驟雨』の中で散るのはニセアカシアの葉だが、私は、イチョウの葉が散り始めると、いつもこの小説を思い出す。

 

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 今年も、自分にとっての「驟雨の季節」がやってきた。 
  

   

リベラルとは何か

 萱野稔人(かやの・としひと)著
リベラリズムの終わり その限界と未来』
(2019年11月20日 幻冬舎新書)の感想

 

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 惜しい本である。
 「狙い」はいいと思った。

 

 しかし、結論を急ぎ過ぎたのか、なんとも消化不良を起こしたまま
発行されてしまった本という気がする。

 

 最大の問題は、『リベラリズムの終わり その限界と未来』というタイトルを掲げながら、肝心の “リベラリズム” の定義をあいまいにしたまま議論が進んでしまったことだ。

 

 さらにいえば、「その限界と未来」という副題を持ちながら、(“限界” の方は多少説明されているけれど )“未来” の方にはほとんど言及がないことも中途半端だ。

 

 確かに、ここ数年、「リベラル派」もしくは「リベラルな運動」というものに対し、世界中で批判が起こっていた。
 そして、それに呼応した書籍も出回るようになり、ネット言論でも「反リベラル」を謳う主張が目立つようになってきた。

 

 萱野氏は、それらを見据えて、
 「今さらリベラルの定義は必要ないだろう」
 と、はしょっちゃったのかもしれない。

 

 そうだとしたら、ますますもって残念な本である。
 世の風潮が「反リベラル」に向かっていたとしても、萱野氏なら、その理由について、独特の社会分析を踏まえ、さらに、哲学と思想の領域から読者に納得のいく解説をしてくれるのではないかと期待したからである。

 

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 実は、私はこの萱野稔人(写真上)という哲学者をわりと高く評価していた。

 

 彼が世に広く知られるようになったのは、10年ほど前に放映されていたNHKの討論番組『ニッポンのジレンマ』で、切れ味の鋭い社会批評を提示してからである。

 

 その後、彼は、専門分野の哲学のみならず、経済、政治、歴史と幅広い学問領域を横断的に渡り歩き、数々の研究成果を残してきた。

 

 特に、経済学者の水野和夫氏との対談による『超マクロ展望 世界経済の真実』(2010年11月)という本では、資本主義の勃興からグローバル経済の先行きまで見通す視野の広い分析を行い、当時これを読んだ私はすごく興奮した記憶がある。

 

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 だから、当然この『リベラリズムの終わり』という本も期待して手に取った。

 

 しかし、残念なことに(冒頭に記したように)、この本では「リベラル」という概念をしっかり提示することもせず、いきなり、
 「ここのところ『リベラル』といわれる人たちへの風当たりがひじょうに強くなっている」(序章)
 と一気にたたみ込んでいく。

 

 そういう展開に持ち込むのなら、少なくとも、“リベラル” といわれる人たち って何? という読者の素朴な疑問に、まず最初に答えるべきではなかったろうか。

 

 現在マスコミで、「リベラルな人たち」といえば、それは「保守的な人たち」に対して、「革新を標榜する人たち」というイメージで語られることが多い。
 政党でいえば、「政権与党」の自民党に意見をいったり批判したりする野党の「立憲民主党」や「共産党」のことを指す。

 

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 また、テレビの『朝まで討論会』などでは、自民党的見解を述べる人たちに対し、激しく非難する学者や評論家のことをいう。

 

 基本的には、「反原発」、「反米軍基地」、「反戦」、「反憲法改正」などと “反” を最初に掲げて思想を語る人たちといってもいいのかもしれない。

 

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 しかし、そういう人たちを「リベラル派」とひとくくりにまとめてしまうのはどうなのだろう?

 

 そもそも「リベラル派」とは、何なのか?

 

 それは、かつて「左翼」と呼ばれていた人たちが、そのまま「リベラル」と呼ばれるグループにスライドしたものなのか?
 それとも、旧「左翼」とは異なる新しい思想をもった人々なのか。

 

 「リベラル」の直訳語が「自由」なら、その言葉をまっ先に掲げ、かつ「民主」という言葉と組み合わせた「自由民主党」などは “最大のリベラル党” ということにならないのか?
 
 どうもそこのところがよく分からない。

 

 そこを萱野氏に教えてほしいと思ったのだが、しかし、氏は、そういう概念区分を言及することを避け、一気に、「リベラルが嫌われる理由」の説明に移っていく。

 

 すなわち、リベラルな人々が嫌われるのは、
 「口ではリベラルなことを主張しながら、実際の行動はまったくリベラルではない人がたくさんいる」からだ、という。

 

 つまり、萱野氏の回りには、リベラル派を自認しながらも、「学生や大学職員、若手研究者に対してきわめて権力的にふるまう人も少なくない」とか。

 

 そして、次のように続ける。
 「欧米諸国でも日本でも、リベラル派の主張は現在、かつてほどの支持を集められなくなっている。
 それは、リベラル派の人間が、自分たちのご都合主義に無自覚なまま独善的に “正義” を掲げるという “にぶさ” に、多くの人がうんざりしているからである」

 

 こんなくだりも。
 「リベラル派の人間は、自分たちの主張に支持が集まりにくくなっている現状を、“人々の意識の低下” や “社会そのものの劣化” だと批判する。
 そして、批判者に対してしばしば “反知性主義” というレッテルを貼る。
 しかし、そのレッテルは、むしろリベラル派にこそふさわしい」(第一章 76ページ)

 

 さらに、彼は、上記のことを言葉を変えて繰り返す。

 

 「リベラル派は、自分たちの言動が批判されるようになったのは、人々が右傾化したからだ、という。
 しかし、本当にそうだろうか。
 そもそも “右傾化のせいだ” という主張そのものが、『リベラル派こそが正しく、それを批判する人間はおかしい』という前提に立った認識だ。
 そこに、彼らの “にぶさ” があらわれている」

 

 まぁ、こういうように「リベラル批判」がとめどなく噴出してくるので、「反リベラル」の立場を標榜する人たちからみると、溜飲が下がる思いだろう。

 

 しかし、こういうリベラル批判が効力を持つためには、前述したように、「リベラルとは何か」という概念定義がしっかり提示されていることが前提となる。
 
 そこをあいまいにしながら議論を進めていくところに、私は多少の違和感を抱いた。
  
  
 ただ、萱野氏の「リベラル派には最大の弱点がある」という指摘には耳を傾ける必要があると感じた。

 

 その弱点とは何か?

 

 「リベラル派の弱点は、“正義の実現” にはコストがかかる、ということを軽視しているところにある」
 と、氏はいう。

 

 具体的には、こういうことだ。

 「リベラル派はしばしば、弱者のために(たとえば)生活保護をもっと拡充すべきだ、と主張する。生活保護だけでなくすべての社会保障をもっと拡充すべきだ、とも主張する。
 しかし、『その予算を確保するために、私たちが負担する税金をもっと増やそう』とはなかなかいわない」

 

 つまり、リベラル派は、口を開けば「人権の擁護」だとか「生活弱者の救済」などと主張するが、そのような “正義の実現” にはとてつもないコストがかかることを無視している、というわけだ。

 

 そして、そういうリベラル派のコスト意識の欠如が、近年一般庶民から嫌われているという論法に、萱野氏はつなげていく。

 

 氏がいうには、
 「そのような “正義の実現” を可能にするのは、パイが拡大しているときだけである」
 
 「パイ」とは、人々の間で分配しうる社会的資源のことだ。
 すなわち、具体的には、税金を基本とする国の財源をいう。

 パイの拡大期なら、リベラル派の主張は問題なく支持される。
 日本でいえば、たとえば、1970年代半ば。

 

▼ 1960年代から始まった新幹線の整備は、70年代の日本の高度成長期を象徴する事業だった

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 萱野氏は書く。

 「1973年、当時の田中角栄総理は医療や年金などの社会保障を大きく拡充した。なぜそうした政策が可能だったかといえば、高度経済成長によってパイそのものが拡大していたからである。
 この時代は経済が大きく成長していただけでなく、生産年齢人口も増加し続けており、パイを拠出する国民一人ひとりの負担をほとんど増やすことなくパイの分配を手厚くすることができた」

 

 が、「今は違う」と萱野氏。

 

 「今の日本は少子高齢化が進み、70年代の高度成長期とはうってかわって、パイの縮小が大問題となっている」

 

 つまり、リベラル派が主張するような、抽象的な「正義の実現」などが夢物語に思えるほど、財源がひっ迫している。
 
 「リベラル派に対する風当たりが強くなってきたのは、理想論しか語らないリベラルな人々に対する庶民のリアリズムが反映されたものだ」
 というのが、萱野氏が一貫して主張するテーマの骨子なのだ。

 

 欧米においても、こういう “反リベラル” な運動が盛んになってきている、と氏は書く。
  
 「ヨーロッパ諸国においても、極右政党が支持を伸ばしているのは、『財源が厳しくなり、われわれの福祉すらままならないのに、なぜさらに外国人を受け入れるのか?』という国民の反発があるからだ」

 

▼ 「ネオナチ」のような極右団体の登場も移民・難民増加への危機感が背景になっている

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 リベラル派は、こういう「反移民運動」を、しばしば「右傾化」、「全体主義化」としてとらえるが、そのような庶民の “右傾化” と思われるものこそ、実は、パイが縮小することへの庶民の危機意識から生じていると、萱野氏はいう。

 

 確かに、この主張には一理ある。
 欧米のことはいざ知らず、日本における「パイの縮小」は、まさに「少子高齢化」の進み具合が予想外に早くなってきたことに由来するからだ。

 

 だが、そういうように、“鮮やかに” つまり図式的に問題を整理されても、どこか腑に落ちないものが残る。

 

 それは、けっきょく、「リベラルとは何なのか?」という根本問題が依然として残されているという不満に帰結していく。

 

 私の思いを正直に書けば、社会風潮や国の政策に不満を表明した人に対し、「リベラルだ!」と “負のレッテル” を貼る発想には、やはり「全体主義的な匂い」を感じて、窮屈な気分になる。

 

 テレビのある報道番組を見ていたら、アフリカや中東では食糧危機が生じ、餓死者も出ているというのに、世界の食糧供給量は十分に足りているはずだという。

 

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 では、なぜ食糧危機に見舞われる国や地域が出てしまうのか?

 

 そこには、もちろん気候変動や内戦などの問題が絡んでいる。
 しかし、いちばん大きな理由は、金融資本主義の発展により、食糧が投機の対象となったためだという。
 けっきょくは、グローバル企業や富裕層のマネーゲームに「食糧」が使わているからだとか。

 

 そういう話を聞いて、「そりゃおかしいだろ!」と声を出すことも、反リベラル勢力から見ると、“コスト意識の欠如” に映るのだろうか?

 

 そう見られてもかまわないから、その代わりに、食糧問題とグローバル資本主義に対するしっかりした解説を受けたいと思う。

 

 昔の萱野氏なら、そこまでキチッと説明してくれたはずなのに、この本では、そこをはしょってしまったという不満が残る。

 

 

今日から捜査一課

 

 テレビの刑事ドラマなどを観ていると、よく「捜査一課」という言葉が出てくる。
 警察官が主人公になるドラマでは、この「捜査一課」と名乗る刑事の方が、普通の刑事よりもカッコいい場合が多い。


 聞き込み調査をするときも、定期入れみたいなものをヒラヒラと振って見せて、「捜査一課です」とかいえば、ほとんどの人は口答えすることなく、素直に対応してくれるようだ。

 

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 そこで、私も70歳になったのを機に、自分の活躍の場を広げようと思い、そろそろ「捜査一課」を名乗ってもいいのではないかと思うようになった。

 

 「俺さぁ、今度捜査一課を始めるからな」
 と、この前刑事ドラマを観たあと、カミさんにそう言ってみた。

 

 すると、この手の会話には驚かなくなったカミさんは、読んでいる新聞から目を離すことなく、「それでいつから始めるの?」と、物憂そうな声で聞き返してきた。


 こういうのは間を置いてしまうと決意がにぶるので、即断即決が大事だと思い、「今日からだよ。もう今から俺は捜査一課なの」とはっきりと告げてやった。

 

 そのあと、台所で食器を洗いながら、考えた。


 捜査一課になったはいいのだが、まず何をやればいいのか、それが思い浮かばないのだ。


 そこで私は、皿を洗いながら、隣でそれを拭き取っているカミさんに聞いてみた。
 「いちおう捜査一課を始めたんだけど、まず、俺に何かやってもらいたいことがあれば、遠慮なく言っていいぞ」

 

 すると、この手の会話にあまり反応を示さなくなったカミさんだが、それでも皿を拭く手を休めることなく、うつろな表情のまま、こう聞き返してきた。


 「あなたが捜査一課なら、私は何課ぐらいなの?」
 意表を衝く質問に、私は、多少どぎまぎしながらも、


 「そうさなぁ 。旦那が捜査一課の場合は、妻は捜査二課ぐらいじゃないのかなぁ」
 「じゃ、犬は?」
 「捜査三課だろ」


 その場で、わが家の捜査一課から三課までの担当責任者が決まった。


▼ 待機中の捜査三課

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 さて、部署は決まったのだが、犯罪が起こらない。
 犯罪が起こらなければ、せっかくオープンした捜査三課までの部署が開店休業になってしまう。

 
 現在、家族で、誰がどのようにして犯罪を発見し、誰がその調査に踏み切るか、そういうことを相談しようと思っているのだが、さすがにもう「捜査一課」という言葉を出しても、カミさんも犬も反応しなくなった。

 

 

クリスマスと紅白の季節

 

 新型コロナウイルスが蔓延しているせいで、年末行事を自宅で迎える人が増えそうだという。
 仕事の都合で、今までは年末も家に帰れなかった人にとっては、いいチャンスなのかもしれない。

 

 私個人の思い出を語ると、昔から、この季節には楽しいイベントを経験したことが一度もなかった。
 サラリーマンをやっていたとき、年末年始は一気に仕事がきつくなる季節だったからだ。

 

 当時編集にしていた年間本の締め切りが春先だったので、巷でジングルベルが鳴っているイブの日も、会社に一人残って残業していたし、大晦日の除夜の鐘も、電車に揺られたまま聞いたこともあった。
 ま、そんなことはいいんだけど。
  
 
 ところで、日本人は、これまでクリスマス・イブをどう過ごしてきたのだろう。
  
 私がまだ幼かった頃、 1950年代の話だが クリスマス・イブというのは、母親と子供が家でひっそりと祝うものだった。

 

 親父は というと、だいたいどこの家庭の親父もそうだったけれど、 会社の同僚たちとキャバレーなどに繰り出し、夜更けまで大騒ぎすることが多かった。

 

 当時の風刺漫画などには、サラリーマンのオヤジたちがサンタの赤い帽子を被り、
 「ジンゴベー♪ ジンゴベー♪」
 と歌いながらダンスフロアで踊りまくっている様子がよく描かれていた。
 うちの親父も「接待麻雀」と称して、家に帰って来なかった。

 

 そのうち、
 「クリスマスぐらいは家に帰って家族サービスをしよう」
 という風潮が高まってきて、世のオヤジたちは、ケーキを買ってまっすぐ家に帰るようになった。 
 それが、1960年代に入ってからだと思う。 

 

 今はもう、クリスマス・イブに外で騒いでいるオヤジはいない。
 テレビCMなどを見ていても、イブの日は家族そろってケーキを食べるのが「幸せ」というイメージが浸透している。  

 

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 ところで、若い人たちが、クリスマス・イブを恋人と一緒に過ごす習慣を持つようになったのは、いったいいつ頃からなのだろう。
 
 私が、そういうことに気づいたのは、バブルの時代だった。
 当時、都心のホテルの夜景の見えるレストランは、そうとう前から若いカップルの予約で埋まり、男は給料の1~2ヶ月分の宝飾品を彼女のために奮発し、その夜はそのホテルで1泊したとか。

 

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 「今はそういう時代だ」
 と当時のマスコミに知らされて、イブの日も残業していた私は、「ウッソだろ !! 」と腹を立てた記憶がある。

 

 しかし、いろいろな話を後から聞いてみると、イブを恋人同士で祝うことになったカップルたちも、それ相当の努力があったという。

 

 男の方は、膨大な出費をせねばならないし、女の方も、そのお目当ての男をGet するために、いろいろな段取りを重ねる必要があった。

 

 なにしろこの時代のイケてる女子は、「ホンメイ君」のほかに「アッシー君」やら「ミツグ君」といった複数のボーイフレンドを確保しておくことが当たり前だった。

 

 アッシー君やミツグ君たちだって、自分こそが「ホンメイ君」だと信じ込んでいる。
 だから、クリスマス・イブの約束を取り付けるために、彼らの間で、メスのトナカイを奪い合うオスのトナカイ同士のような争奪戦が起こる。

 

 そういう煩わしいゴタゴタを処理し、イブの夜を「ホンメイ君」と過ごすためには、女性の方も緻密な対応が欠かせなかった。 

 

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 ちなみに、バブル期のクリスマス・イブに男が用意したデート費用は、プレゼントだけで最低10万円。
 ほか、ディナー代に宿泊代。
 トータル30万円でも足りないこともあったとか。 

 

 

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 そのデート予算が2007年には2万円台にまで下がり、2015年になると、8千円台に落ち着いたという話を聞いた。

 

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 『ユーミンの罪』(2013年11月発行)という本を書いた酒井順子さん(写真下)によると、「イブを恋人と過ごす」というブームが巻き起こった背景には、1980年に出されたユーミンの『SURF&SNOW』というアルバムの影響があったという。

 

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 その中にある『恋人がサンタクロース』という歌が、「恋愛」と「イブ」 を結びつけたというのだ。
  
 「サンタが隣のお洒落なおねえさんを、クリスマスに連れて行ってしまった」
 と聞かされる主人公の女の子は、自分もサンタに連れて行かれるような女になりたいと思う。

 

 “サンタ” が「恋人」の寓喩であり、“連れ出した” というのが、「結婚」を意味することはいうまでもない。

 

 『恋人がサンタクロース』の歌が若いカップルにとって大きな意味を持った頃というのは、ちょうど「紅白歌合戦」に若者が振り向きもしなくなった時期と一致している。

 

 それまでの「紅白」は、大晦日の夜に家族全員がコタツに入って楽しむ “家族行事” だった。

 残業と夜の居酒屋放浪で家を空けがちなお父さんも、その日だけは団欒に加わり、子どもたちも、久しぶりに家族全員が顔を合わせる年末の一夜を楽しむ。

 

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 そんな状況から、子どもたちが抜け出したのが、ちょうどユーミンのニューミュージックが流行る時代。

 

 2000年代になると、ようやく紅白にも顔を見せるようになったユーミン(写真下)だが、それまでユーミンといえば、「紅白」みたいな家族の “かったるいぬくもり” などにはそっぽを向いていた人という印象が強かった。

 

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 当時は、そういうアーティストの方がカッコよかったわけで、若者たちはどんどん「紅白」に背を向けていった。

 「紅白」の視聴率は、現在で30%の後半ぐらいらしいが、1963年の時点では、80%を超えていた。
 60年代というのは、「紅白」が家族をつなぐ求心力を秘めた時代だったのだ。
 

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 たぶん、それは「近代家族」の形成期と波長を合わせている。
 60年代から70年代に入って、地方から出てきた人々が、都心の近郊に家を構え、「夫婦に子供二人」という平均的な近代家族を形成するようになっていく。

 

 「紅白」は、そうして田舎を捨ててしまった家族たちの “バーチャルな故郷” の役目を負っていたのだ。

 

 その擬似故郷的な匂いをもたらす「紅白」の野暮ったさに、若いころのユーミンは背を向けた。


 それに共感した(当時の)若者たちは、大みそかに家を出て、「初詣」と称し、同年代のカレ氏やカノジョと連れ立って、都会を練り歩いた。

 そして、高層ビルのバーなどに入り、都会の夜景を眺め、その人工的な光の乱舞に酔った。

 

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 80年代に、大都会の光を、ユーミンほどうまく歌ったアーティストはいなかったかもしれない。
 しかし、そのあざとい美しさには、どこか生物的なグロテスクさも交じっていた。

 

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  当時思いついた短歌がある。

  「夜景がきれい」と女がいう
  しょせんオレたちは蛾(が)の仲間